1937年当時、中国は国としては成り立っておらず群雄割拠の状態でした。

その中で最大の軍閥が蒋介石が率いる国民党軍でした。



現在中国を統治している毛沢東の共産党人民軍は、蒋介石の軍の僅か60分の1の勢力であり地図でも確認が出来ない。

蒋介石は全く日本と戦う気は無く、日本の大本営も対中国への侵略は望んで居ませんでした。

しかしソビエト共産党は戦争をさせ中国を混乱に貶めて勢力の拡大を望んでいました。コミンテルン


毛沢東はソビエトから支援を受けていて、蒋介石の国民党軍に多数のスパイを送り込み、国民党軍と日本軍とで戦争を起こさせようと何度も日本軍を挑発していました。

7月7日に正体不明の銃弾が盧溝橋で撃ち込まれて日本と国民党軍で小競り合いが始まったが、国民党軍は相手が強過ぎるので一夜で休戦。


日本軍の三分の一の軍勢では必ず負けると踏んでいた蒋介石。

しかし中国共産党は何度も何度も日本軍を挑発します。

それでも日本軍は挑発に乗らないのでデマを宣伝しまくります。

起きてもいない日本軍からの攻撃をでっち上げて反日工作を煽り、人民がやっと日本の排斥に火が付いたので、やむ終えず蒋介石は南方の上海で、日本駐留軍海軍陸戦隊4000名に対し、3万人の中国精鋭とドイツより援助された最新鋭重火器で猛烈な攻撃を仕掛けた。

これが第二次上海事変です。

日本軍は陸軍も上陸させて増援し、なんとか上海を守り抜きました。

これがきっかけで日中戦争は、蒋介石も望まず日本もしたくなかったが始まり泥沼にはまって行ったのです。

戦後日本の国会の要人が毛沢東に戦前の詫びを言うと毛沢東は

『日本軍のお陰で今の中国共産党がある。詫びることは無い、むしろ皇軍に感謝している。』
と述べていた記録が六回も残っています。

戦後GHQが対中国の日本の記録を全て破棄させて、日本が中国を侵略した!
との洗脳を続けていたので、日本人は未だに中国に悪い事をしたと思い込んでいる人が多いのです。