研修医の女医さん^^ ^ | 犬達と青い海と卵巣癌の私

犬達と青い海と卵巣癌の私

夫と犬二匹と暮らしています。
卵巣癌サバイバー17目です。再発手術を何度も繰り返し心身ボロボロ。次再発した場合には生きる為の辛い治療は受けないと決めています。時には辛い気持ちも吐き出してしまうかも知れません。なるべく楽しいブログになれば良いのですが^ ^

ご無沙汰しておりました。

 

実は昨日、久しぶりにブログをupして試たのですが、余りに詰まらな過ぎて即削除しました。

読まれた方もいらっしゃるかも知れませんね^ ^

失礼しました🙇‍♀️

 

 

 

 

台風🌀が自転車並みの速度で、日本列島を舐める様にゆっくり、ゆっくり関東に向かっている。

 

ここ横須賀でも、いきなりバケツをひっくり返した様な雨が降る。

 

余りにもゆっくりでナメクジみたい🐌

 

今夜も可なりの量の雨が降る様☂️

 

もういい加減消滅して欲しい‼️

 

まだ暫くこんな天候が続く様だけど、

 

台風が去った後は、10年に1度と言われる程の猛暑が待って居るそうなので、

 

心の準備が必要🥵

 

 

 

今回は17年前の癌初発の時の経験を書こうz(( _ _ ))..zzzZZ

 

47歳になって数ヶ月経った或る日、

 

いきなり、お腹に釘を打ち付けられた様な激痛に襲われ、

 

息をするのも、歩くのもやっとの状況!

 

一体何が起きたのか?

 

ひとりタクシーで病院へ

 

長時間待って、やっと診察。

 

私の辛そうな様子を見た医師は、「こんな時は救急車を呼んで良いのですよ!」と言った。

 

急遽、CT検査を受けると、右の卵巣がソフトボール程まで大きくなっていて、

 

その中には、充実性の物が見えると…

 

腫瘍マーカーの値も高いので、卵巣癌かも知れない。と…

 

しかし、卵巣の場合腹部を開き、病理の検査をして試て、

 

「その結果で手術式が決まります」と言われた。

 

それから暫くして、

 

出産以外で初めての入院。

 

開腹し病理検査をすると「卵巣癌」で有ることが分かり、

 

その日から、私は卵巣癌サバイバーとなった。

 

 

 

術後の私の身体には、途轍もなく大きな傷が残り、

 

自分でも自分の身体がが可哀想で成らなかった。

 

 

しかし、あんなに大きな手術の後にも関わらず、翌日から歩行練習が始まるのだ。

 

初日は、5メートル位。

 

やっとの思いで歩いた。

 

それでも、人間の身体の復活する力、強さに、我ながら驚いた。

 

まるで人造人間の様に、沢山の管に繋がれた見るも無惨な哀れな姿、

 

その私の身体から、日毎に、少しずつ管が外されて行くのは有り難かった。

 

 

「腸閉塞予防の為には、兎に角歩く様に!」と言われ、

 

点滴スタンドを押しながら、病棟の廊下を行ったり来たりして居ると、

 

70歳位の女性が、話しかけて来た。

 

「私は子宮頸癌なの。貴女は何癌?」と聞かれ、

 

「卵巣癌ですけど…」と私。

 

 

「そう、卵巣癌なの〜〜 卵巣癌って治り難いんですってね〜 

 〇〇先生に、卵巣癌と頸癌どっちが治りやすいですか?って聞いたら、

 そりゃ〜頸癌だろうね〜 って言ってたのよ^ ^」と……

 

そんな事知ってるよ〜と思いながらも、

 

いきなり、見ず知らずの娘位の年の私に、何故そんな事を言うのかと腹立った

 

 

以後、その女性に廊下ですれ違っても、「無」 影も形もない透明人間。

 

 

 

手術から回復した後は抗がん剤治療6クールを受け、

 

治療を終えて10ヶ月程過ぎた頃、再発。

 

 

 

主治医から余命1年。

抗がん剤がきいたとしても、薬をとっかえひっかえして3年位生きられるかな〜

5年は無理だと思う。と、残酷な言葉を淡々と告げられた。

 

 

あの透明人間が言った通りになってしまった。

 

 

その後、再び入院、抗がん剤治療を開始した。

 

やっと髪も伸びたのに😞

 

そんな中、研修医の女医さんが担当医のサブとなった。

 

女医さんは、一日中走り回って疲れて居るのに、帰り際に必ず顔を見せてくれた。

 

 

その女医さんの、忘れられない励ましの言葉^ ^

 

「この患者さんは症状が重いから無理だろうな〜と思ったら、すっかり元気になったり、

 この患者さんは症状が軽いから、絶対大丈夫だろうと思っていたら、そうでもなかったり、

 本当の処、私達にも、患者さんがどうなるかなんて全く分からないんです。」と。

 

この医師の言葉は私にとって大きな励ましとなった。

 

 

現在では、癌告知が当たり前となり、

 

しかし、余命の告知は医師それぞれの判断。

 

私への余命告知は、私が「どれくらい生きられますか?」と聞いたから、

 

あくまでも「統計的面から、この位生きられれます。」と答えたまで。

 

医師を責めるつもりは微塵も無い。

 

ただ、言葉の選び方により、患者に与えるショックは違う。

 

 

 

当時研修医の先生の励ましの言葉のお陰か、

 

17年過ぎても、私はこうして生きている。

 

 

 

先生〜〜 私まだ元気にしてますよ🙂

 

 

 

 

 

 

皆様、台風にはくれぐれもお気を付け下さい。

私も気を付けます^ ^

 

        

 

 

それでは、また😊