死にたい。ただ、そう思った。普通の人では耐えることはできないであろう。変な形で国際的有名人になり、藤井寺北小学校の高学年で、学年中の陰湿な虐めに遭った。

 

藤井寺市の地元では、本家が地主の家系で、分家にあたる家長である父の第一子の長男である私は、地元の学年中の北小学校生が加勢をし、主犯格の笹田充と佐野浩一のこの両氏の結託により、クラス中がまるでゲームをしているように、陰湿な虐めに加勢していた。

 

なぜ、地元の藤井寺市の津堂や小山他の地域の父兄は、自らの子供が私に対して、虐めに加勢していたことを注意するどころか、半ば裕福な家庭環境に嫉妬を感じ、むしろ、自らの子供に私たちの家庭について、嫉妬やねたみを話すことで、溜飲を下げていたものと思われる。

 

地元の津堂のミサワホームの自宅は、友人の奥様が、ミサワホームのご令嬢であったことから、積水ハウスで自宅を建てれば、半ば父の会社の仕入れ先のアケボノクラウンの松本会長に頼めば、50%のコストで自宅を建て直すことができたところ、その友人が法務省官僚であったことから、半ばミサワホームの自宅を立てることが賢明だと父母が私のことを考えた上で、東京のハウスメーカーを選んだものと思う。

 

何れにせよ、所得層が別段高いわけでもない地元いおいて、父兄が子供に半ば私を虐めることを助長する発言をしていたといっても過言ではない。

 

変な形で国際的有名人になり、先日の茨木市に本社がある丸菱運輸では、面接の際中に中高年男性ドライバー職の社員がドア越しに『俺は嫌やね』と露骨にいっており、かなり気落ちをして、面接後、敷地内で駐車していたクルマの中で、10分間クールダウンをしてから、高速道路経由で帰路に向かった。

 

気落ちが回復しない中で、今朝、朝食をとりながら、スマホで、国民民主党榛葉 賀津也幹事長とフリーランスの記者が私のことを想起させる明らかな違憲行為、人権侵害行為が常態化している中で、より面白かしくふざけあっているやり取りを見て、死ぬしかないと強く思った。特捜が動いて、国民民主党を壊滅していただきたい。明らかにマスコミも共犯ではないか!

最早、この日本社会は格差社会でなく、階級社会である。新自由主義を進めることを前提とした『小さな政府』による公的セーフティーネットすら不十分な身分制度を事実上進めた少数の富裕層に支配された社会であるといっていい。この政治の民営化を推し進める先に私たちの未来が有望であるとはとても思えない。誰かの犠牲の上に成立している社会など、今すぐ瓦解すべきだ。限られた少数の富裕層は、行政やマスメディアも支配している。

 

日本国憲法の上位にある日米合同委員会により、米国軍部からの指示をただひたすら、日本の代表である法務省官僚が受諾するしかない状況であるのが、この日本社会の実情である。生かさず殺さず。日本の自民党は、いわばCIAの役割を率先して引き受けているのである。そういう自民党国会議員が多くの人の緊急課題である貧困問題など更々考えていないのはいうまでもない。デモが起こらないのが不思議なくらいである。

 

最早、日本国憲法も天皇制や皇室も日本文化の権威とはいえなくなっている。私たちは、生きていくうえで意味を必要とする。それは、明治維新の薩長の錦の御旗であった菊の御紋であっただろうし、古来から続く天皇制を使節団の維新改革

のもと、英国にならったものともいえる。信者数が最多の浄土真宗においてもカトリックやプロテスタントの制度や組織を大幅に取り入れている。信仰の自由というものの各既成仏教の上層部は皇族や皇室と繋がっており、事実上、国家神道を前提にした宗教が認可されているに過ぎない。

 

私たちは、何れにせよ意味なくして生きることはできず、それは、ただひたすらの上からの権威によるものである。私は、牧師を目指して日夜聖書を読み進めている。近畿圏で国内の基督教の最大組織である日本基督教団が認める神学校は、同志社と関西学院しかない。年齢的に50代半ばの私が牧師を目指すとしたら、この何れかの神学部に第3年次編入学をして神学研究科に進み、修士課程まで修めなければ、牧師としての養成課程の最低の4年間を経たことにならず、牧師としては認められないのが実際である。そこに宗教的な証明も必要とする。なりたくてなるのではなく、召されてなるもので、そこに保証などない。

 

仮に牧師になることが難しければ、再び日本文化の権威のひとつである高野山大学文学部第3年次編入学を経て、文学研究科密教学修士課程に進み、日本文化における権威のもと歩を進めるしかないのが実情である。

 

宗教関係の養成機関は、私たちが思う以上に制度化されている。プロテスタントでいっても進学した神学校で、その後の方向性が大幅に決まり、制約を受けることも多い。新興宗教を否定はしないけれど、あまり望ましい選択肢とはいえない。既成宗教の幼児や女性への性加害における被害者は、公開されている被害者数を大きく上回り、桁数が違うといって差し支えない。新興宗教ならなおさらである。

 

私たちは、意味を必要とする存在である。だからこそ上からの権威でもある意味は、私たちを大きく規定する。果たして私は牧師になれるのだろうかと不安や焦りがないわけでない。牧師は宗教家であって仕事ではない。年収を考えるのなら割にはあわない。ただ、私の苦境を鑑みると何らかの宗教的権威は是が非でも必要なのであって、信仰であり、イデオロギーでもある意味なくして、この苦境を生き抜くことはできない。

 

だからこそ、私たちはただひたすら悪を憎み、善を行い、愛を与える意味に生きることで、初めて神性や仏性を持つ人足りえるのである。宗教という本質は、実のところ、その意味への意思であり、誓約でもあるのだ。目に見える世界だけでなく、目に見えない世界の中で、想念することが宗教行為であるのであって、それは、基督教、イスラム教、仏教他、すべての宗教に通じることである。

 

特に早くから貧困問題に関わっていたのが、基督教の宣教師であったし、平安時代の僧侶でもあったのだ。この貧困問題について真正面から救う活動をしているのは、一部のNPO法人に過ぎない。『小さな政府』という新自由主義によって生まれたNPO法人。半ば政府の出先機関であり、有志のもとの小さな活動であり、絶対数が不足している。この新自由主義に制約をかけ、公務員改革をした上で『大きな政府』のもと、公共投資を大幅に行い、雇用を促進し、非正規雇用そのものを撤廃すべきだ。

 

やたらと増税を推し進める与党自民党が社会保障の財源のための増税であるとか国防のための増税であるとかいうが、自民党自体が公共の福祉に取り組んでいるなど国民はさらさら思っていない。社会保障を高い税金で賄い、ほとんどの生計費の負担の必要のない北欧のような取り組みを自民党や官僚が行っているなど誰が信じようか。

 

まずは、日本文化や世界内存在の私たちの意味を深め、祈りに近い意味を再構築し、共同体の再定義をすることが『貧困問題』を根底から変えて救うものであるはずだ。高邁な意味を求めて、原初からの実存まで辿る哲学的作業が今の私たちには是が非でも必要なのだ。法治国家とはいえないこの日本の惨状を誰が予想できたであろうか?私たちは、各自が求める権威のもと、高邁な意味への意思を手繰り寄せなければならない。

 

 

私たちが目指すべき共同体とはどういうものをいうのか?第二次世界大戦の戦中、皆がひとつに協力することで、戦時を生き抜こうとした。貧しくもあった中で、力を合わせてなすことが当たり前で、そこには今のような金融リテラシーや難解な金融論、実体経済からかけ離れた経済論などを持ち出すまでもなく、共同体としての理想があった。ただし、人身殺戮を進めるというあまりにも悲惨な現実を進めざるを得ない戦時という前提があり、誰しも避けることができない悲哀を皆で抱きしめあった。

 

知覧の桜。あれは、宮沢賢治の児童文学のよだかの星を思わせる儚くも尊い生命の末路でもあり、誰しも本土に残した父母、兄弟、姉妹、幼子などへの愛情の発露であって、片道の燃料しか積んでいない学徒は、国を想う以上に家族を想い、時代の犠牲者として、ただひたすらの愛のしるしを残すことだけが彼ら学徒の使命ではなかったか?国のために散る前に、家族への愛の軌跡をただ白紙のキャンバスに記したかっただけであろう。だから、私たちは今の世で、何ら愛のカタチがいびつであることから、多くの貧困問題を背景とした少年少女、青年期を過ぎ壮年期で路傍の石となったホームレスや犯罪者予備軍を救い出さなければならない。

 

他者の不幸は、自らの悲哀であるべきだ。他者の涙は、自らの嗚咽であるべきだ。他者の苦難は、自らの痛みであるべきだ。私たちは、あまりにも愛するということを何処かに置き忘れたのではなかろうか?開かれすぎた性文化。誰かの犠牲によって成り立つ社会は、最早文化文明ではない。誰かの権力者による一方通行の公権力は、それは瓦解すべき対象であるべきだ。

 

私は今まで、上昇志向の強い野心家であった。何とか20代半ばで清風高校定時制に編入学し、立命館大学で経営戦略を専攻し、英国MBAを目指すことが最重要課題であった。日本文化の権威を必要としたことから、高野山大学大学院にまで歩を進めた。

 

しかしながら、今の私は違う。常に社会的弱者にいちばん近い立場にいたいと強く望んでいる。また、他者を救うための絶対的な良心を根拠とした権威が私には必要だとの思いから、50代半ばであるものの同志社か関西学院の神学部、神学研究科を経て、牧師という生き方を選び、保護司という少年少女のもうひとりの義理の家族として、また、多くの社会的弱者が抱える諸問題の背景が貧困問題であることから、私のつたない文章力を見て、読売テレビの事務方から作家、執筆家として生計を立ててはとの提案を真正面から受けようと想う。貧困問題を抱える彼らを救えるだけの経済力を私の執筆活動で確かなものとしたい。

 

私は、進んでそういう生き方を選びたい。他者の悲哀は、私の慟哭である。他者の傷跡は、私の哀しみであり、とどまることのない怒りである。誰も哀しませない。誰も傷つけはしない。誰も苦しめはさせない。私は、そういうことを恥ずかしくもなくいえる人をひとつひとつ増やしていきたい。完璧ではなく、欠けたる私であるから神の権威のもとに多くの良心を根拠にした生き方を目指す人が溢れかえる日常を多くの人の希望としたい。私たちは、生まれながら神性を持つ。自ら悪を行えば、私たちはすぐ果ててしまう存在なのである。

 

私は、牧師を目指しているのに祈り方を未だ知らない。私は、神を必要としているのに交わり方を知らない。幾ら知識があろうと私には知恵がない。この劣等生の立場から私は多くの社会的弱者を救いたい。牧師として、保護司として、作家として。多くの社会的弱者を救うためには、私の想いが祈りとなり、もうひとりの義理の家族となり、執筆した作品が果て無き希望へ多くの人たちを誘う。

 

人を救うことで救われる逆説的実存の働きの中で初めて私たちは、神性を生まれ持つ人といえるのだ。神はそういう人を求めている。私たちは、悪を憎み、善を行い、愛をひたすら与える存在であるべきだ。私は、あなたを愛している。誰よりも私は、あなたを愛している。笑われても私はあなたを愛したい。そうして、いつかあなた自身が笑って欲しい。私は、何度でもいう。あなたを愛していると。

未だ、主担当の法務省官僚からの連絡がない。変な形で国際的有名人になり、歴史始まって以来のことを耐えている。尋常ではない。昭和55年の小学校5年生の虐めによる不登校から公権力の違憲行為により、プライバシー権がはく奪され、行政とマスコミの政争の具にされている。虐めの被害者であるのにプライバシーがない中で、藤井寺北小学校や藤井寺第三中学校の虐めがあったことは、明らかに虐めでなく、犯罪行為である。

 

地元の藤井寺市や羽曳野市の父兄は、虐めを諭すどころか、藤井寺市や羽曳野市では、親族が羽曳野市の助役であったりと公職やある程度の役職に就いている親族がほとんどで、藤井寺市津堂の地元では、60坪近い一戸建ての自宅にBMWやSUV、軽自動車などを所有していたことから、地元ではたぶんに妬みの対象であって、父兄も子供に虐めを助長する発言をしていたに違いない。

 

私のプライバシーが時事問題と絡められ、政策のシンボルとされ、日米両政府の外交のシンボルにさえなっていて、明らかに違憲行為を国家権力が発動していたことは、説明するまでもない。それどころか行政の闇に家族が本意でなくても協力をし、急性期医療センターで身体中に人工的な特殊な手術を施され、青春期内科病棟を退院してからは、家族によるアカシジアやパニック障害、覚醒作用の誘発剤などの薬剤投与が続けられてきて、家族が加害者であったことをどう理解を進めればいいかわからない。きっと息を引き取る寸前まで家族や自分自身を責めて、一生涯悩み続けるものと思う。

 

一個人の判断力と行動力ですべてを前進させ、解消に持ち込むことなど到底できない。私は、テレビ局やラジオ局、新聞紙が事実を伝えているとは考えていない。あくまでも公権力による統治を進めていく中での治安維持や世論形成の中で、政治家や有名人がその役割を引き受けているのであって、有名人のファンがコンサートや楽曲のダウンロード、著作を購入することを何のためらいもなく、多額のお金を注いでいるが、すべては有名人の稼ぎや収益のからくりの手中に入っているのが実態で、有名人は稼ぐことを第一義に考えていて、ファンには消費を喚起誘導しているのが実際である。有名人の実態を知れば、私たち市井の市民が感動を寄せるほどの人格者でないことは、私を愚弄する政治家や有名人の一部始終を知れば、説明するまでもないであろう。

 

私たちは、マスコミの中で活躍する有名人の中で、この人なら間違いないと考えることができる人をよく見抜くべきである。マスコミは有名人を通して、莫大な収益を上げることを主眼において、都合の良い世論形成を進めているのが実態である。安易に政治家や有名人の活躍ぶりに賛同すべきでない。今は未だ、日本はある程度の自由が担保されているが、米国の属国から中国の属国に変わりうる可能性もかなり高い過渡期に入っている。台湾が戦時になれば日本が支援すると発言している政治家もいるが、台湾の軍人の中では、中国をやたらと刺激することが却って、中国に統一されることを助長することの第一要因になると考えていて、中国を刺激しないことがあくまでも得策であるとの見解である。

 

日本もやたらとウクライナ支持や台湾支持を声高に表明しているが、一番の得策はロシアや中国を刺激しないことである。まして、ロシアの場合は米国によるEUの拡大化の促進により、米国による内政干渉により、ロシアに戦時を誘発させたのが実際である。日本のマスコミの実態は、第二次世界大戦の大本営発表の報道統制や偏向報道による事実そのものを伝えず、市民国民を中央政府に都合のいい世論形成を担っているのが実態で、何ら大本営発表の報道と現在の報道とはほとんど変わらない。マスコミが有名人を通して、消費を促し、莫大な収益を上げて事実上の支配を拡大させる公権力の担い手であることに間違いなく、説明するまでもない。マスコミや有名人の実態を知れば、感動するには程遠い存在であり、あらゆる機会を通して主権者であるはずの私たちに主体的な判断をさせない世論喚起がマスコミの実態で、保守や革新などのイデオロギーすらひとつの手段に過ぎない。私たちは、もっとマスコミの実態を知るべきである。何ひとつ事実など語られていない。すべてフィクションであることはいうまでもない。

面談の主担当の法務省官僚からの連絡が未だかかってこない。運転免許証の更新の東住吉警察署の違憲行為を指示、促進、助長する対応について、日増しに憤りが増し、心身ともにつらく、数日たってもしんどさが取れない。なぜ、警察という職務の中で、高邁な精神や健全な上昇志向を持って、ひたすら上を目指さないのか?

 

私は、小学校高学年でいじめに遭って、不登校になって以来、日々勉学に取り組み、父から高等学校の日本史の参考書を渡され、分からないなりに読むようにしていた。また、母から義務教育課程の全カリキュラムを自学自習で取り組めるように、自らのペースで取り組める教材を購入してもらって、既にその頃には、先取り学習や自学自習の習慣は、身についていた。

 

警察が一地方公務員で、上を目指すことにあまり関心が持てないのかもしれないが、私は、この日米両政府によるプライバシー問題や身体中に人工的な特殊な手術を施されていることについて、米国CIAの任務を受諾した上で、国政のトップを目指そうと、日々、定期購読誌の革新から保守までの論壇誌を読みこなすことで、ただでは引き下がらない覚悟でいる。せいぜい、大阪府警の警察官ができ得ることは、案外少ないのかも知れないが、国内留学をしたり、弁護士資格を取って、できうる限り、検事と対等な立場を目指したりすることでは可能ではないかと思う。

 

その様な野心を持ちつつ、高邁な人生を警察の立場から目指すことも可能なはずなのに、どうして社会的弱者を追い込むことに愉快でいられるのか、私にはルーティンな一日を終えて、下手な公権力の立場であることから、大義を持って任務を遂行しているというより、日々の業務の中で退廃的な世界に埋没しているとしか思えない。私なら公安警察を目指したり、国際警察を目指したり、男性としての野心を昇華させていく中で、自らの立場を少しでも社会的地位の向上を目指して、職務に邁進するだろう。

 

取り調べの時に、藤井さんには弁護士が付けられないと聞いたとき、国選弁護人の説明や黙秘権の説明があって然るべきなのに、担当の内海刑事は何の説明もなく、その上司の津村刑事にあたっては、私の対応に含み笑いを浮かべていて、警察組織というのは、閉鎖的だと思いましたが物凄く情報が錯綜していて警察組織内の情報はかなり広範囲に共有されていて、明らかに情報に対する管理が甘いと思うと内海刑事に伝えたところ、顔色を変えられていたのが印象的であった。

 

米国CIAの任務を遂行するということは、米国政府を支配するユダヤ金融資本との関わりを持ちつつ、日本政府の中で事実上のトップの立場に付くことを意味しているし、誰にでも開かれている任務でないことはいうまでもない。全世界の情報にアクセスできる検索機能を使い、シナリオ通りに誘導、仕込み、要人を感化し、協力者へと引き込む。この様なことは、もう既にシステム化されていて、実際、今の米国政府の国際的位置づけや役割は過渡期にあると思う。

 

韓国などは、俳優や歌手、音楽家などを国際的レベルでの活動を前提に、韓国にシンパシーを感じる心情を拡散することで、事実上の俳優などの有名人が政治性を帯びた特別な役割を付与されていることは、日本の有名人が年収の高さばかりを追求することに邁進しているのとレベルも特異性も数段に違う。日本も国益を考えた広報活動には、もっと力を入れるべきであろう。なぜ、韓国の有名人が国境を越えて、心情を掴むことに邁進しているかは、単に経済力や富裕層を目指しているだけでない、それ以上の国策の上での戦略的アプローチを主眼に意図があって、成立しているのが韓国の俳優に始まる有名人の実態である。

 

私は、韓国の広報活動は日本にとって随分参考になる合法的な賛同者獲得のアプローチで、政治性を帯びつつ、反日感情や日本の文化背景の中で、皇室を中心とした民俗学的統治理論の背景があるのに、単に日本政府の首脳陣に忖度をしているだけの報道機関の有り様は、内向きで国際的に影響力を持つような発信をして、世界のあらゆる拠点に賛同者を獲得する戦略的な文化人の登用を考えるべきだと思う。韓国の広報活動の先例は、北朝鮮の情報統制など身近にあることから容易に広報活動の重要性は、早くに取り組んでいたと思えてならない。

 

私は、絶対に引き下がらない。主担当の法務省官僚は仕事や結婚相手となるパートナーの人選さえ進めると踏み込んでおっしゃっているし、ある程度の社会的立場を確保し、サポートをしていくということは、はっきりいえば、公職を想定した仕事と結婚を具体的に提案されるものと考えている。私を愚弄した警察官は、私を敵視している。私が、米国CIAの任務を内々に引き受け、国政のトップを目指すとき、私を軽んじた警察は、後々後悔されると思う。もっとよく考えて、情報を精査すべきである。

ブログテーマには、誰もが注視するタイトルだが、私としては、先日の東住吉警察署の対応で日を追うごとに苦しさが増し、警察より、そして、日本の司法よりも上位の社会的立場を目指すしかないと考えている。

 

行政とマスコミの政争の具にされ、人生のほとんどがプライバシーがなく、青春期内科病棟で真剣に交際していた摂食障害を症状に持つ彼女との性行為や自慰行為の一部始終が日本テレビを始め、公権力の不正な行使により、公共放送に垂れ流しされていたことについても、法務省官僚が主導する面談において、東京のキー局である日本テレビを始めとする各全テレビ局、在阪各全テレビ局が一堂に集まって、謝罪されており、私の生きづらい人生について、私の信条を汲み取る際立った発言をされたのが日本テレビとテレビ東京であり、他局や在阪テレビ局の首脳陣も口々に発言されている。

 

私は、何も米国CIAの任務を自ら引き受け、事実上の米国の植民地であることを受け入れるとの認識はまったく持っていない。米国の基軸通貨のドルの今後の揺れ幅や推移や代替される基軸通貨の行方は、米国政府を背景で支配するユダヤ金融資本の動向を注視しつつ、多極的外交を基軸に考えている。私は、あくまで米国政府とは対等かつ強固な同盟関係を結びなおすことを進め、日本本土の米軍基地の撤去かつ閉鎖を現実のものとする。また、バランスオブパワーが基本である外交戦略を基軸に、ロシアと中国、韓国、ドイツ、フランス、イギリス、インド、中東などの新興勢力との外交への比重を置くことで、独自外交と民間外交、ユダヤ金融資本に対応するための華僑の人的ネットワークをも尊重し、常に対話の道が開かれている外交戦略を推し進め、米国一極でない多極的外交により、戦時を招かないための友好国、資源を輸入するしかない日本国の現状を踏まえて、資源国である主要国を最優先した外交を進め、自衛隊や警察の再定義と改革を進め、現実的な軍備の在り方を海外の核保有国と核を持たない国との軍備の実態に鑑み、核保有国ではあるが、軍備に関しては実例に習うことも検討すべきだと考えている。核保有国は、多大な軍備予算の組み入れを行うことなく、国際的発言力を強いものにしているのが現状で、特に左派国政政党の意見をも重視し、左派政党の協力なしに核や軍備について、民主的でない政策決定を進めることは、国民の理解が得られず、乖離した世論の中で、独裁的手法を用いて、国内外に間違ったメッセージを送ることにしかなり得ず、何ら有益でない。時間をかけて、保守、革新の融和のもとに新自由主義でない公益性を基軸にした経済政策を進めたいと考えている。

 

また、参与についても京都大学大学院藤井聡教授、同志社大学村田晃嗣教授の二名を招聘したい。私は、このつらい日々の中で、口語訳聖書、新共同訳聖書、新改訳聖書、岩波書店訳聖書を一年間の日課表に基づき、読み進めている。宗教書ではあるが、政治経済、歴史、宗教、文学などを集約した教科書だと考え、読み進めている。また、立命館大学経営学士号に引き続き、高野山大学文学部への学士入学、高野山大学大学院、京都産業大学大学院、近畿大学法学部、早稲田大学人間科学部への学士編入学を進め、政治経済、法学、宗教、人間科学をeラーニングで学び、事務次官任せにしない専門的知識の習得を進め、保守、革新の主張も学び進めたい。

 

今年も僅かだが、主担当の法務省官僚による仕事や結婚相手となるパートナーの人選については、公職である中道左派連立政権の総理大臣として助力を願い、パートナーには、文化人でもある高松亜衣さん、日本テレビ女子アナ、テレビ東京女子アナ他で人選をお願いしたいと思う。

 

特に長年に亘る行政とマスコミの政争の具にされ、身体中、特殊な手術を行政の闇に行われてきた実態から強い憎しみと憤りを昇華させるには、米国政府CIAの任務を引き受け、公職である日本国総理大臣を目指し、パートナーには文化に啓蒙高い女性の人選を法務省官僚に進めていただき、憎悪を超え昇華に向けた一歩を踏み出し、立場の違いからの対立でなく融和を推し進め、保守と革新を繋げる役割を国政で担いたい。変な形で国際的有名人になって、歴史始まって以来のことを耐えているが、警察官僚や法務省官僚、日本テレビ、テレビ東京との関係を最優先に重視し、常に同志として忌憚のない助言、助力を願い、偏りのない思想信条を培いたい。

 

この苦しみの極みを乗り越えるためには、それを超える思想信条を醸成し、社会に有益な存在そのものになることに邁進する以外に救いの道はないものと考えている。また、ブログにとどまらず、YouTubeチャンネルの開設なども進め、発信していきたい。

11月14日火曜日の東住吉警察署での運転免許証更新の手続きの際の白いカウンターを挟むバックオフィスで、性別、年齢の関係のない警察官が私に向けてのあからさまなあざ笑い。44年間に亘る警察の公権力による被害者であることや、家族を説き伏せ、私にアカシジアの誘発剤や覚醒作用の誘発剤、パニック障害の誘発剤の投与を指示し、住吉区万代にある急性期医療センターで、身体中に人工的な手術を施した経緯すら、周知の事実であるのに、警察組織主導の国家的犯罪行為であることもすべて承知をしていて、私の苦悩や戸惑いをあざ笑うかと思えば、終始私をにらみつける警察官。

 

数日経つごとにしんどさが緩和するどころか、しんどさが増し続ける日々。後頭部から頸部にかけて硬直していて、錐体外路系の遮断の兆しもうかがえ、頓服に加え、眠前のワイパックスとセロクエルを朝食後に服用するが、一向に緩和に向かわない。家族の心労も多大で、私としては近く自死すると思う。東住吉警察署は、私が自死をしてから謝罪をするのだろうか?謝罪すらしない可能性も考えられる。世論形成の担い手である皆さんには、この警察による国家的犯罪行為について、理解を進めていただき、東住吉警察署に抗議の電話を入れていただきたい。

 

非常につらく何も手が付かない。母も同じく、何も手が付かないと言っている。警察官が私をあざ笑えば、マスコミのアナウンサーやコメンテーターやタレントさえ私をあざ笑うのは予想でき得ること。日本国憲法については、義務教育の時点で、概要は学び、高等学校では具体的事例を挙げてより詳しく学ぶ。特に警察学校では、日本国憲法を中心とした法体系や法的効力、人権侵害について、公権力の乱用の具体例、危機介入に際しての最低限法的に許容でき得る具体的事例など様々において学んでいる筈で、私が警察の公権力の被害者であることは共有されている筈。プライバシーが警察により、全世界に拡散されている以上、説明するまでもない。正直、死にたいと思う。近く自死に至るのではとも思うし、錐体外路系の遮断が不可逆的に起こった場合、薬剤を静脈注射で打たない限り、人為的に発狂して精神病に移行する。何故、これほど残酷な立場に置かれ、青春期内科で出逢った彼女との性行為や自慰行為まで公共放送で、全テレビ局が流していることも周知の事実であるのに、警察官がすべて承知の上でゲラゲラ笑うのだろう。本当に死にたいと心の底から思っている。

 

昨日、浅川クリニックの診察を終えて、マックスバリュ駒川で家族の栄養ドリンク剤と形程度のお菓子を購入してから、訪問看護が控えていたものの現況を把握してもらった方がいいと判断し、湯里交番に寄って、面識のある警察官とその上司が話しをされている時に交番を訪れた。警察官として同僚の警察官が藤井さんにすべて承知の上で違憲行為に当たる理不尽な行為を進んで行っていることに決していい気持ちはしないとおっしゃっていて、同席されていた警察官が直属の上司に当たる説明を受け、藤井さんには湯里交番だけでも良識ある対応をするようにと常々助言を受けているとの説明をうかがった。

 

残念ながら、大阪府警全職員でも2万数千人がほぼ良識に欠ける警察官であるとの説明を受けた。かなりきつい状態が続いている。話しは大きく脱線するが、皆さんは警察の源流、祖といえばいいのか、ご存じだろうか?京都守護職の松平容保の要請により、急遽作られた新選組の生き残りの斎藤一が祖にあたる。侍としてイメージされているが、あくまでも新選組は殺人請負人の集団であり、今でいえば、人殺し、聖書でいうバラバであって、犯罪者であり、普通忌み嫌う行為を率先して行っていたのが、新選組であって、斎藤一は唯一の生き残りで、警察の源流の祖であって、その経緯を踏まえれば、日本の警察の実態もうかがい知れよう。つまり、警察組織が殺人請負人であって、斎藤一が殺した要人は数知れない。元来、会津藩は忌み嫌われる存在としての系譜を今でも引き継ぎ、原発が設けられている代わり、行政制度が他県に比べて手厚く、新婚世帯や乳幼児を抱える世帯を積極的に受け入れている。しかし、その実態は、原発の設置と引き換えに中央政府から手厚い行政支援を受けているのが実際なのだ。

 

そういう観点から今一度、「公」とはどう定義するかを改めて考えてみる必要がある。私は、保守と革新の橋渡しになるなら進んで米国CIAの役割を引き受け、国民民主党を説得し、立憲民主党、れいわ新選組、公明党、社民党、日本共産党の連立政権の担い手になり、日本に主権を回復し、米軍基地を閉鎖し、北朝鮮を除くロシア、中国との安全保障を前提とした同盟を結び、極東アジアの緊張関係を融和へと導きたい。

 

面談を主導されている法務省官僚は、私の今後の仕事にとどまらず、結婚相手となるパートナーをも関係筋にあたって人選を進め、結婚自体を決めていきたいとおっしゃっている。考えるに、法務省官僚は、ある程度の社会的立場を確保した上でサポートもして行きたいとおっしゃっている発言から公職を想定されていると考えている。また、パートナーに関しては、東京の主要テレビ局の女子アナの中から人選される可能性が高いだろうと推察している。

 

保守も革新も対立すべきでない。同じく日本の未来を願い、世界との融和を広げ、多少のイデオロギーの違いがあっても、同じ情熱を持つ愛国者であると思う。私は、昭和天皇には戦争責任があると考えている。皇室の中でも同じく、昭和天皇に戦争責任があるとの見解があり、マッカーサーは、昭和天皇がその自覚のもと、私を引き換えに日本国民の助力を伝えた昭和天皇に畏敬の念を抱いたと思う。このカリスマ性を戦後の統治に政治利用を考えたマッカーサーは、初めて日本の「公」を実感したはずである。

 

知覧の桜の動画を時折、視聴するが、その中には日本人でない在日朝鮮人や在日韓国人が僅かながら存在したことも触れなければ、日本の「公」をうかがい知ることはできない。自らの生命より守るべきものがある。生命より上位概念がある日本古来からの道徳観は、決して、戦争や軍政を拡大する根幹の思考概念ではない。聖書にも、自らが犠牲を担う覚悟を主に示したとき、主はすべてを許し贖い、犠牲に立つ姿勢に触れ、主自ら許したもうた。これこそ新渡戸が著した「武士道」である。旧約が神道であり、仏教で、新約が基督教である。「公」とは愛ゆえの自らの犠牲を顧みて他を想う愛情の発露である。きけわだつみのこえの学徒は、その時代の刹那に愛情の発露としての「公」を担い、日本軍部の大本営の犠牲として散華した。しかしながら、学徒の想いは、日本に残した父母、兄弟、子息のための愛情の発露の犠牲としての「公」であり、軍部のことなど考えていなかったと思う。どれだけ、つらく怖かったであろう。二度と戦禍を交えないための「公」。それこそが私たちが目指すべき、生命の上位概念の「公」である。

 

残念ながら日本の警察組織にそれを期待することはできない。何故なら、日本の警察組織に、その「公」たる思考概念がない。公権力のことをより良く理解しているのは、危険と隣り合わせにある自衛隊を指揮する幕僚長や防衛大学校の学校長にある。「公」とは戦争礼賛を示唆するものでなく、自らを犠牲にしてでも希求する愛情の発露であり、他を想う大義である。決して、二度と戦禍を交えるための履き違えた「公」を推し進めてはならない。まして、東住吉警察署に見る乱れた公僕の姿は、私たちの目指すべき「公」でもなく、権威でもない。一市民の人生の犠牲に大義の姿勢を示さない東住吉警察署は、警察組織を代表して謝罪すべきだ。

 

 

11月14日火曜日の東住吉警察署での運転免許証更新手続きから数日がたった。東住吉警察署の性別、年齢に関係なく、あからさまな警察官による言動の違憲行為は明白で、わざわざ皆さんに説明するまでもないであろう。警察の公権力によるプライバシー権がはく奪され、こぞって日本テレビを始め、東京のキー局である各テレビ局は、私を人柱にし、行政とマスコミの政争の具にし、加勢した。NHKも例外ではない。

 

もう一度、11月14日火曜日に戻ろう。私のプライバシーは警察により、全世界中に拡散されている。これは、面談で大阪府警本部の警察官僚や上層部の法務省官僚どころか在阪のテレビ局の読売テレビや毎日放送の事務方など、関係者各位認めているところである。

 

東住吉警察署の全職員の警察官が私の対応に際して、一貫して対立ありきで、警察組織の自己保身を一番に優先した対応は、最早、皆さんに説明するまでもないであろう。家族を説き伏せ、私の身体中に特殊な手術を施したのも、この理不尽極まる社会的弱者をないがしろにした警察組織による国家的犯罪行為であり、私を人柱にすることで統治つまり治安維持と共にガバナンスを図ってきたわけだ。

 

たった今、両親が帰宅したので、湯里交番の据え置き固定電話の500番に母が電話をして、東住吉警察署に抗議したとのことを聞いた。本人が死にたいといっていること。昭和55年の10歳から不登校をきっかけに警察の公権力によりプライバシー権がはく奪され、プライバシーがない中で陰湿ないじめが続いていたこと。これは、最早いじめではない。犯罪である。藤井寺北小学校5年生の頃を境に学年中による陰湿ないじめにより、持ち上がりの藤井寺第三中学校でも、そのいじめは引き続き、教職員などはすべてを承知で盾になってくれるどころか、助力を願っても力にはほとんどなってくれなかった。

 

管轄の羽曳野警察署でさえ本来ならば学校に代わり踏み込むべき重要事案であるのに、私の尋常でない苦悩を見て腹を抱えて笑っていたわけだ。警察の人事など人にはよるが、数年で異動することも珍しくもなく、全警察組織が私を愚弄していたわけだ。警察だけではない。司法の上層部は、賭けマージャンをしながら、シナリオを作って、目障りな人がいると特捜を動かせて、容疑をかけ、99パーセントの確率で、刑務所に送り込んでいる。日本の容疑者の犯罪確定の高確率は明らかに異常である。

 

東住吉警察署において、当初、私の精神衛生環境が明らかに危ういと判断して、パトカーや最寄りの交番からの駆け付けなどほんとに親身になって、一生懸命話しをしていただいたし、家族への声掛けもあり、今の東住吉警察署の対応とは対極にある。私として、警察は社会保険や福利厚生が充実している反社組織と変わらないと考えている。

 

44年間に亘る警察の公権力によるプライバシー権のはく奪。東京のキー局である各テレビ局の加勢。家族をも説き伏せ、44年間に亘り、アカシジアの誘発剤や覚醒作用の誘発剤やパニック障害の誘発剤などの投与を指示するだけでなく、住吉区万代にある急性期医療センターで、私の身体中に人工的な手術を施している。明らかに人権侵害行為を超えて国家的犯罪行為であり、ナチスのユダヤ人迫害の人体実験や日本軍の731部隊の人体実験とまさに変わらない。

 

変な形で国際的有名人になり、検事の知人からはアメリカ大統領になるだろうとメッセージが送られてきたり、面談を主導している法務省官僚がある程度の社会的立場を確保し、サポートをしていくにとどまらず、各テレビ局などの関係筋に人選をして結婚相手となるパートナーを決めて、結婚自体を進めるという。それまでに毎日放送の前田阿希子女子アナや女優の中江有里さんとの縁談なども持ち込まれ、家族としては戸惑うことが多かったと思う。

 

私は、数か月の交際で結婚を決め、出産をしている前田阿希子女子アナの言動に女性としての身持ちの悪さを感じている。確かに見た目はいいかもしれないが、私との結婚を前田阿希子さん自体が願っていて、縁談が毎日放送の事務方から持ち込まれ、本人の都合で破談を言い渡された家族は、かなり腹立たしかったと思う。中江有里さんについても同様だ。結婚生活の実態があり、相手は初婚であって、長きに亘って隠し続けてきた。私はテレビ局での起用において、かなりセンシティブな関係を担保に采配が決まっていることなど、今更驚かない。ただ、西側諸国陣営のバイアスのかかった既存

メディアによる情報だけを鵜呑みにして、日本政府の背後のフィクサーに都合のいい世論形成はまさに全警察組織の狙いである揺るぎない国体や階級制の統治を暗黙裡に進めているガバナンスそのものであって、主権国家でもなければ法治国家でもない。警察同士であれば罪状は問われないというのも今に始まったことではない。

 

日本の国営テレビはNHKではない。事実上の国営テレビは日本テレビである。また、保守も革新もつまるところ親米であって、このままでは国力がドイツにも抜かれ、インドにも抜かれ、ドル基軸も揺らいでおり、新興勢力による通貨基軸や決済手段が秒読みの段階であることも米国政府は、承知しているのにドル基軸や米国経済が世界を占めているなど、誰が信じよう。日本首相の条件は、米国CIAになることが資格要件であって、米国政府のプライバシー検索機能は、米国政府が秘密裏に認めた国家にしか提供されていない。日本には部分的に提供されてはいるが、米国政府による日本の立ち位置は、同盟国ではなく仮想敵対国であって、日本の繁栄など願っていない。

 

米国政府を事実上動かしているのは、中国華僑でもなくユダヤ金融資本であり、世界レベルの限られた財閥の指揮系統が米国政府の世論形成から首脳陣の人事まで決めており、私たちは、日本の既存マスメディアは、全警察組織の狙いである世論形成を軸にした米国政府の指示に沿う偏向報道であることを認識した上で事実を伝えているのではなく、時事問題を伝えている知名度高いアナウンサーでさえ、そのニュースソースの提供の狙いの実際などまったく知らないどころか日本政府が事実上の階級制の社会主義国であることも事務次官レベルの警察官僚が支配しているのであって、各テレビ局が取り上げる時事問題は事実でなく、小説である。新聞もしかり。事実など伝えている報道機関など国内にはない。保守も革新も警察組織の采配の何物でもなく、事実上の日本を統治しているのは、日本国の実態が階級制社会主義であって、警察官僚の事務次官他、各省庁の事務次官に限られている。もちろん、米国CIAの役割を担っているのはいうまでもない。地方公務員である警察官のことなど何ら考えていない。警察組織も報道機関も好ましい存在ではない。

 

米国政府の世論が戦争屋の保守主義が大半だと日本人は思っているが、米国世論の大半は、リベラルどころか左翼一色である。また、キリスト教会も事実上、機能していない。まして汚職や賄賂が常態化している。ウクライナのゼレンスキーからバイデン親子は莫大な賄賂を提供されている。ロシアを戦争へ誘導したのも米国政府によるEUの拡大化と内政干渉である。ロシアを敵対国として日本が対峙していることは、かなり外交戦略上、危うい。資源国のロシアとは、本来友好関係を結び、安全保障についてもしっかりと同盟を結ぶべき国家であって、ロシアとの緊張関係は、近隣アジアの中国や北朝鮮にとって、日本がいつ侵略されてもおかしくない。自衛隊の幕僚長クラスにおいては常識である。

 

私は、変な形で国際的有名人になって、全警察組織のガバナンスの人柱であり、米国政府の政策上のシンボルでもある。入閣している国会議員など何ら専門的知識など持ち合わせていない。大臣クラスであって、用意された紙面を見ないで質疑に回答している大臣がどれだけいるかを考えれば、案外無責任である。情けないのは岸田現首相だ。米国CIAとしては役不足である。歴代総理の中では、米国政府の首脳陣は、岸田首相の浅学に呆れていることはいうまでもなく、同盟国の指揮者として期待を寄せているなどありえない。

 

いずれにせよ、私がブログに取り上げている東住吉警察署の浅はかさは後々、東住吉警察署全職員がわかることで、私を敵に回すことにおいて、後悔をするのは日本国内の全警察組織である。一地方公務員がどれだけの采配が許されているかは、警察官自ら重々承知しているはずで、階級制社会主義が日本の実態であることを説けば、一地方公務員の警察官に全警察組織の構成員としての法的効力などドラマを見ているようなフィクションである。年収においても、一警察官と警察官僚、進めて言えば、警察庁直系の警察職員とはまったく異質であり、同類でない。

 

まして、年収や政治力、外交スキルなどを兼ね備えた年収の高さも保持する事務次官と変わらない権限を持ち合わせているのは、海外に駐在している財閥系の商社の本部長クラスで課長クラスでも年収は国内にいるより、格段に高い。財閥系の商社の本部長以外で言えば、物流機能のインフラを担う上場会社の海外駐在員である。まして政治力も兼ね備えている。また、既存マスメディアに対する認識も正確で、判断力や行動力は並みの警察官どころか警察官僚と対峙できる外交力を兼ね備えている。今回の東住吉警察署の理不尽な対応について、父からは東住吉警察署のある職員からキャリア組など存在しない組織で、期待できるようなものでないと聞かされていたので、私には一地方公務員だと思ってればいいと言われたが、私の溜飲は下がらない。

 

あくまでも東住吉警察署の全職員が私に対して、対立軸ありきで対応しており、全世界中に私のプライバシーが拡散されているところ、わざわざ細部に至ってまで説明するまでもない。世論が藤井さんに付きつつあると訪問看護の看護師からおうかがいし、私は見極めがついた時点で具体的なアクションを起こしたいとその看護師に伝えた。本意でない形で、かなり踏み込んだブログに長文のエッセイの第二回目を掲載したが、とにかく、既成概念を疑ってほしい。良書を読み、語学力と同じく国語力も大切であり、一番の良書は教科書である。無駄に思わず、教科書の編集や構成には、かなりの学者からの意図が込められており、それを基盤に既存のマスメディアの功罪を見抜く力を皆さんには付けて欲しいと心から願う。私は、東住吉警察署が本来のあるべき姿に原点回帰するまで、私からの踏み込んだ長文エッセイのブログへの掲載は続けていく。対立軸でもってしか対応しないアプローチを始めたのは、東住吉警察署からであり、私のことなど何ら心配などしていない。皆さん、これが一地方公務員でもある警察官の実態だ。この長文エッセイは、フィクションではないし、説明するまでもない。事実に基づいた、警察組織の公権力による一被害者の苦悩の実態でもあるのだ。どうか大義がどちらにあるかは、この長文エッセイを細部に至って読み込めば、皆さんに伝わる筈であろう。

本日、午前9時、10分前に東住吉警察署向かいの交通安全協会に到着。プライバシー問題や身体中に人工的な手術が施されているところ、予期不安から前日、父母に東住吉警察署の対応で不快な思いをするのではないかと伝えたところだった。

 

交通安全協会で運転免許証の更新手続きの必要書類と写真撮影をお願いし、料金を支払い、東住吉警察署に向かう。前回の更新手続きでは、あからさまな不快な思いをさせる警察官に出くわすこともなく、後日の講習会終了後、運転免許証を受け取って帰宅。

 

今回は、明らかに露骨な誰から見ても不快な場面が警察署の入り口玄関に入ると私と変わらない中年男性の複数人がゲラゲラ笑っており、若い婦人警察官も与していた。私は、昭和55年の藤井寺北小学校5年生の時にクラスの不良グループの笹田充と真面目グループの佐野浩一が結託して、体育館で整列していると後ろにいる笹田充から伝言ゲームが始まり、佐野浩一は、私の成績を妬み、笹田充に加勢していた。

 

問題は、それどころでない。クラス中というより、学年中がそのふたりに加勢し、証拠の残らない陰湿ないじめが常態化していた。心身ともに疲弊し、微熱が続き、登校時には腹痛や頭痛の症状が顕著になり、不登校となる日が日増しに増えた。その昭和55年の頃の不登校が始まってから、公権力、正確に言えば警察によるプライバシー権がはく奪され、行政とマスコミの政争の具にされ、プライバシーがない中でいじめがあったわけで、これは公権力いわば警察による人権侵害行為であり、進めて言えば、日本国憲法にも逸脱した違憲行為を警察が指示、促進、助長したわけで、特に東京のマスコミのキー局にあたるテレビ局は、こぞって時事問題と絡め、私を人柱にした。

 

これは、警察に際していえば、私を人柱にすることでガバナンスの手段に使ってきたことであり、コロナ禍前まで家族が10年近く上層部の大阪府警本部の警察官僚と法務省官僚の事務方、マスコミを代表して読売テレビと毎日放送の事務方と家族が梅田近くの貸会議室で面談を続けてきた。面談は、法務省官僚主導で進められ、その鶴の一声で、東京のキー局に当たる全テレビ局、在阪の各テレビ局の首脳陣が集い、非公式ではあるものの大阪府警本部、法務省、テレビ局に始まる報道機関が謝罪をされ、今まで相当つらく生きてこられたこと、今なお尋常でないところ前向きに取り組んでいることなどを各テレビ局の首脳陣がそれぞれ発言されていて、特に心情を汲み取る発言は、日本テレビとテレビ東京が際立って発言されていたことを聞いている。

 

今回まで、核心に迫る内容を事実に基づいて書く機会をできる限り避けてきたが、東住吉警察署の警察官の対応が誰が見ても警察組織の保身を優先した発言や対応、示唆や揶揄、管轄の警察官による違憲行為を承知で不愉快な思いをさせる言動に理解が苦しむことも顕著で、社会的弱者の市民を守る筈の警察官が私のプライバシー問題が常態化、既成事実化しているところの何の良心の呵責もなく、個々の警察官が私の特殊な諸事情を承知で、私の苦悩や戸惑いを見て、あからさまにゲラゲラ笑っており、既に最寄りの湯里交番で両親が私の危ういところを説明しても、含み笑いを浮かべ、私が苦しんでいるのを面白がっているとしか思えない対応で、助力を願う両親に誠実に対応するどころか、含み笑いで着手すらしないことについて、帰宅後、父母が言いにくそうに私に伝えてきた。これは、今に始まったことではない。

 

東住吉警察署は、大阪府の地方公務員であり、統括の代表は大阪府知事になろう。その全組織を統括するのが警察庁であり、警視庁は首都圏機能のインフラや立法府の国会、政治機能の集積地でもあることから、国体と絡み、各都道府県警察とは、特別な役割付与がなされており、皇室を守る皇宮警察などとの人的交流があるのも、警察庁や警視庁の中の警察官僚が皇室に関わる人事に登用されることが多い。大きく話しが脱線するが、国内で初めて設けられた報道機関は、読売グループの日本テレビであり、国営放送であるNHKは、もっと後になってのことである。また、読売グループの首脳陣が事実上の警察官僚の天下り先であって、日本世論形成を担う大きな影響力と規模からいっても読売グループが警察と最も近い関係にある。

 

12月10日で、54歳になるが10歳からの44年間、私は警察の公権力による違憲行為により、時事問題と絡められ政争の具にされ、聖書のイエスキリストでいう生贄であり、裏天皇制の民俗学の王殺しという立場の中、警察組織と共にガバナンスに関わってきたわけだ。問題は、それどころではない。自衛隊や警察は、米国政府の下請け機関であり、東京裁判の巣鴨プリズンで収容されていた政治家やフィクサーは、米国のCIAとなることを取引条件に、米国から多額の政治資金を受け、吉田茂以降の保守派の首相歴代者は、ほぼ米国のCIAである。主権国家どころでない。米国の植民地であり、自衛隊や警察は、米国のワシントンからの指令に沿う形で与党政府を下支えしてきており、昨今の時事問題である統一教会の役割も韓国のCIAの拠点であって、自民党は、その韓国のCIAの役割を担う統一教会に与してきたところが実際で、宗教法人格がはく奪されれば、より地下組織として暗躍し、公安調査庁の対象範囲外となり、自民党との関係が隔絶するどころか、より緊密に政治的役割で双方が連携強化することは間違いなく、任意団体となれば、自民党や日本政府の背景のフィクサーにとって、こんなに都合のいい話しはない。

 

日本の首相候補になるには、米国のCIA候補といっても過言でなく、皇室を超えて、米国政府の意向を最大限与して、中古の使い物にもならない軍需品を承知で購入しており、米国政府が日本を守る約束が履行されるはずもないことも承知で防衛費増税で、国民に負担を強いている。日本の既存のマスメディアは、米国政府の意向に沿う与党に忖度することで成立しているのが実態で、私に不快な思いを違憲行為を承知でさせる東住吉警察署も社会的弱者である一市民など守る気など毛頭ない。日本の代表であった安倍元首相さえ守れなかった奈良県警本部長の見解には疑義があり、安倍元首相の病理解剖を担った奈良県立医科大学の外科部長の説明には医学的整合性が担保されているものの、奈良県警本部長の弾丸の体内への侵入経路の説明は、医学的に破綻しているのは外科医であれば承知のことである。

 

安倍元首相は、米国政府の意向を組みつつ、日米同盟を強固にし、インドを中心とした新興勢力を巻き込んだ安全保障の新たな枠組みを提起し、資源を輸入するしかない日本にとって、ロシアのプーチンとも交流を保持し、北方領土問題も現実的な二島返還を進めたうえで、実質的に四島を事実上の日本領域として成立させる強かな政策の下、ロシア外交を絶やさず、資源ルートの確保を前提とした外交先を主力に国内の派閥の中で、積極財政を藤井聡参与の助言を得て、官僚から政治主導へと舵を切り、経済政策の新たな取り組みを唯一期待できるところ、テロに遭い死去された。

 

ただ、米国政府の意向を汲むCIAの役割を引き受けることが日本の首相候補の資格要件であることはいうまでもない。私は、以前、検事出身の今枝仁弁護士からFacebookのメッセンジャーで、藤井さんは将来米国の大統領になるだろうと唐突に送られてきて、驚いたことがある。今枝仁君は、北九州にあった青春期内科病棟の同期であり、弁護士としての大半の収益が自己破産などの案件を担い、多額の報酬を得ているのが実際で、橋下徹と意見を隔絶したと思ったら、すぐさま維新の会に与し、現実路線として政治家の役割の顔も持つ。人のことを言えないが、繊細で頭の回転が速く、風を読む力は親譲りで、私の特殊な諸事情も承知で私のプライバシーを常に情報端末で注視しながら、私の動向と絡めて維新の会の政治家としての発信をSNSで行うなど、到底、友達などと言えない。

 

東住吉警察署が初めから、淡泊で不遜な対応を一貫して取ってきたわけではないが、ある一時期を境に全警察組織の保身を前提とした対応や私の苦悩や戸惑いを目の前であからさまに笑みを浮かべる警察官に強い憤りを感じたのは、いうまでもない。富田林警察で身柄を保護されたとき、父が遠方から駆け付け、運転免許証を取り上げると課長職の制服組の警察官が私に力強く切り込むだけでなく、精神病院を紹介するなど言及し、私としてはこの制服組の課長職に何を伝えればいいか思案し、私は一貫して良心を根拠に判断したいと伝えたところ、わきに構える年配の婦人警察官から有効期限が十分あるので運転免許証をお返ししますと言われ、私の判断が功を奏したといっても過言でない。その際、父は富田林警察署の年配の警察官から警察に関わらない方がいいと耳打ちされている。私の監視役の制服を着た若い男性警察官は、終始含み笑い浮かべ、私の特殊な諸事象と絡めた時事問題を伝えたところ、私服の刑事課のデスクに座る若い男性数人は閉口していた。

 

今回の東住吉警察署のカウンターを挟むバッグヤードのデスクに鎮座する男性警察官は、私の苦悩と戸惑いを露骨にあざ笑うだけでなく、私をにらみつける男性警察官も個々に確認でき、何故、いじめの被害者であることから不登校になり、プライバシーが警察の公権力により、はく奪されるどころか、44年間、マスコミの加勢により政争の具にされ、米国政府の政策のシンボルにもされ、尋常でないところを耐えている。最寄りの湯里交番の男性警察官のコメントでは、立法府でないと藤井さんを救えないとおうかがいし、私が自前の国際政治について日本外交の戦略について、簡単にコメントしたところ、その分野を進めて極めていかれればいいのではとおっしゃってた。

 

しかしながら、私は主権回復を希求する中道保守や左派に近い政治信条で、米国のCIAの役割を進んで担い、テロに遭い、死去するというシナリオを自ら演じるのは到底本意とするところでない。

 

残念ながら社会的弱者に寄り添う革新系の毎日放送の起用するアナウンサーやタレントは私の生命の破綻など何ら配慮するところなく、左派であるから社会的弱者に寄り添うというのもごく少数派で、毎日放送は社長自ら単独で謝罪の場を設けたいとすぐさま家族に伝えている。

 

本日の東住吉警察署での運転免許更新手続きを済ませ、泣き寝入りかと自問しながら、交通安全協会の2階の講習会場の30分間で、感情的になっている状態を精査しつつ、やはり、東住吉警察署で抗議すべきと判断し、特殊な諸事情を総務の窓口の女性職員に伝えた上で、一貫して時系列で論理的に整合性の合う事実に基づいた説明の途中、細部の言及に入る前に、窓口で対峙した女性職員は唐突に笑ってないと短く伝えてきて、その核心に迫る話しの様子を鑑み、近くに座していた若い男性警察官がその女性の背後から仁王立ちにして私を終始にらみつけてきた。

 

帰宅を前にして、最寄りの湯里交番の当番警察官にも共有して、胸の内を話すのは得策だと判断して、感情を押し殺して淡々と細部に至るまで説明をし、その女性がすべて説明をしたわけでもないのに、笑っていないとだけ伝えるのが会話の流れとして不自然で、部分的に言及し、笑ってないと否定するのは、数理的な公式の証明問題であれば、笑っていることを肯定していることの明らかな証明であって、言語学的にも私が指摘する笑っていることの逆説的肯定であって、何ら信憑性もなく、本来であれば、市民の意見に傾聴し、その後に共通項を模索して市民からの訴えを精査し、適時対応するのが実際で、相手が抱える背景や諸問題をすべて汲み取らず、私に笑ってないとだけいう総務の窓口の女性職員の対応は、どう考えても私のすべてを承知の上で、話しの途中で先取りして言及し、コメントするというのは警察組織の保身の何物でもなく、私の両親や兄弟がどれだけつらいかわかりますかと伝えても答えないところ、市民の不幸をあざ笑うこと自体が日本国憲法の条文にさえ逸脱している発言で、法務省のホームページに記載のある人権侵害を根拠にした発言であることは明白である。

 

帰宅後、両親にことの一部始終を伝え、私が不幸にも自死した場合、私の死後、真実を把握している人が複数人はいた方がいいと鑑み、吐き出しも精神衛生上有益だとも考え、訪問看護の代表の田中看護師に連絡し、今から15分後、自宅に向かうからとおうかがいし、一時間近くことの一部始終を伝え、その後、区役所の健康づくりグループへ連絡し、担当の吉田さんにも同じく伝え、その最後、再度、東住吉警察署に電話をしたところ、男性警察官が電話口に出て、対立軸としてしか話しをしないので、何故、対立ありきで話されるのですか?私からかなりつらいところ歩み寄っているのに、私に何らかの問題があるわけでもなく、警察に対して領域を浸食するような方向性で発言しているわけでもなく、あきらかに対立ありきで話しをされているのが納得がいかないと伝え、返す言葉が聞けず、無言が続いたので、仕方なく電話を切った次第。

 

本日の運転免許証の更新についてのブログであるもののかなり広範囲のタブー視されている見解にも言及し、東住吉警察署に私の真意が伝わるか定かでなく、私の苦しみの極みを叙述することで、多くの方に問題提起をしたく、急遽、ブログに長文のエッセイとして多くの方に周知徹底を図り、公開することにしました。あくまでも事実を歪曲したり、何らかの挑発を目的にしていることでないことは、全文を読めば、その行間から伝わるものがある筈です。

米国覇権主義のもと、日本全土の農家は米国政府追従路線の犠牲になっている。食料自給率を底上げすることこそが国防力の要である。日本全土の農家の先細りが続けば、資源のない日本では自国で食料を賄えない。米国から多くの食料を輸入することで日本全土の農家は疲弊している。

 

かと言って米国の農家が健全運営をしている現状でもない。政府による大幅な所得補償により米国全土の農家は恩恵を受けている反面、実際に農家として自主自立している訳でない。大幅な所得補償により、逆に農家として疲弊しているのである。これは日本政府にとっても健全な外交路線でない。

 

仮に東アジア地域が戦場になれば、米国が日本政府の国防を担保してくれるなど幻想に過ぎない。原発は再稼働しない。資源エネルギーの基礎研究の基盤整備もない。原子力開発の研究者の後継も先細りしているのが現状だ。これだけの基盤整備の弱体化に保守革新両派の護憲主義による傀儡国家。

 

自衛隊の防衛予算を大幅に拡大するのと並行して、日本全土の農家の所得補償給付による自主自立化こそ優先すべきであり、資源エネルギーの対外依存を削減するために原子力開発をも大幅に促進すべきである。国土強靭化の推進と並行して憲法改正により自衛隊を国防軍にし核兵器を保有すべきだ。

 

戦後日本の自主独立を勝ち得て初めて米国と対等な日米安保条約を再考すべきであって、日本全土に米国基地が当然にあると受け入れている世論形成も報道機関は省みるべきである。保守革新両派の米国追従路線の世論喚起をする報道機関こそ売国奴であって信頼に値出来ない。農家の所得補償を。