正直に言えば、この民宿、儲かっているかと聞かれたら、胸を張って「はい」とは言えません。
むしろ、少し首をかしげながら、「まあ、なんとかやっています」と答えるのが、いちばん正直なところでしょう。
昔の友人などに会って、「宿はどうだい、繁盛しているのか」と聞かれることがありますが、そのたびに、どう答えたものかと、少し考えてしまいます。
大繁盛、とはとても言えませんし、かといって「だめです」と言うほどでもない。
この微妙なところが、なかなか説明しづらいのです。
若い頃は、仕事というものは、もう少し成果が目に見えるものだと思っていました。
頑張れば、その分だけ数字が増えて、通帳の残高も太くなっていく。
努力と結果が、もっと分かりやすくつながっているものだと、どこかで思っていたのです。
会社勤めをしていた頃は、給料という形でそれが見えましたし、仕事をすればするほど、生活が少しずつ良くなっていくような気がしていました。
ところが、この民宿という仕事は、なかなかそうはいきません。
掃除をして、布団を干して、台所に立ってご飯を用意する。
お客さんが来れば、笑顔で迎えて、帰るときには「お気をつけて」と見送る。
そういう一つ一つの仕事を、毎日繰り返しています。
体はそれなりに動かしますし、決して楽な仕事ではありません。
それでも、月末に帳面をつけてみると、「今日はこれだけか」と、少し肩の力が抜けることもあります。
最近は、光熱費も上がりましたし、食材の値段も少しずつ高くなっています。
仕入れに行くたびに、「ああ、また上がっているな」と感じることも多くなりました。
野菜も、魚も、油も、昔より高い。
お客さんの料金を簡単に上げるわけにもいきませんから、帳面をつけながら、ため息が出る日も、正直あります。
それでも、この仕事が嫌いかと聞かれたら、それもまた違うのです。
朝、まだ少し涼しい時間に起きて、宿の窓を開ける。
空気を入れ替えると、山の匂いがふっと入ってくる。
その瞬間に、「ああ、悪くないな」と思ってしまうのです。
春は少し湿った土の匂いがして、夏は草の匂いが強くなる。秋には落ち葉の香りが混ざり、冬は空気がきりっと冷たい。
こういう季節の匂いを感じられるのは、この場所ならではだと思います。
宿の前の川の音も、毎日聞いていると当たり前になってしまいますが、たまに都会から来たお客さんが、「川の音がいいですね」と言ってくれることがあります。
そう言われて、あらためて耳を澄ましてみると、確かに、さらさらと水の流れる音がしています。
自分にとっては日常でも、誰かにとっては特別な景色なのだと思うと、少しうれしくなるものです。
お客さんが来て、「静かでよく眠れました」と言ってくれることがあります。
たったそれだけの言葉ですが、その一言で、昨日の疲れが少し軽くなるから、不思議なものです。
夜遅くまで台所に立っていた日でも、「ご飯が美味しかったです」と言われると、「それならよかった」と思えます。
宿というのは、大きな出来事がある仕事ではありません。
毎日、同じようなことの繰り返しです。
布団を干して、掃除をして、食事を用意して、お客さんを迎える。
ただ、それだけのことなのですが、その中に、小さなやり取りがいくつもあります。
「景色がきれいでした」とか、「朝ごはんが楽しみでした」とか、そういう言葉を聞くと、「ああ、この仕事も悪くないな」と思うのです。
儲からないけれど、嫌いじゃない。
むしろ、長く一緒にいる相手のようなものかもしれません。
夫婦と同じで、いいことばかりではありません。
文句もありますし、「今日はもう休みたいな」と思う日もあります。
それでも、いざ離れるとなると、少し寂しい気がする。そんな関係なのかもしれません。
この宿も、気がつけばずいぶん長く続けてきました。
壁の傷一つにも、昔の出来事が思い出されます。
庭の石を置いたときのことや、子どもたちが川で遊んでいた夏の日のこと。
そういう思い出が、この建物のあちこちに残っています。だから簡単に「もう終わりにしよう」と決めることが、なかなかできないのかもしれません。
今日も、特別な期待があるわけではありません。
予約がたくさん入っているわけでもありませんし、大きな出来事があるわけでもありません。
それでも、いつものように玄関を掃き、客室の窓を開け、布団を整えました。
もしかしたら、今日ふらっと立ち寄るお客さんがいるかもしれませんし、誰も来ないかもしれません。
それでも、きちんと準備だけはしておこうと思うのです。
この仕事、どうやら、もう少し続けてしまいそうです。
儲かるわけでもないのに、不思議なものですが、こうして毎日宿を開けてしまう。
もしかすると、それがこの宿と自分の関係なのかもしれません。
急ぐこともなく、焦ることもなく、ひざと腰に相談しながら、今日も静かに一日を始めています。