夜の山というのは、本当に静かです。
特に、うちみたいな山奥の民宿になりますと、夜九時を過ぎれば、ほとんど音がありません。
川の流れる音と、風で木が揺れる音。それから、ときどき鹿が鳴くくらいですな。
昔は、この静けさが少し寂しかった。
村にはもっと人がおりましたし、祭りもありました。
夜になると、どこかの家から笑い声が聞こえたり、若い衆がバイクで走っていたりしたもんです。
でも今は、本当に年寄りばかりになりました。
子どもも少ない。働き盛りの世代は、ほとんど町へ出て行ってしまった。
去年には、唯一残っていたスーパーも閉まりましてな。
今は車で20分かけて隣町まで買い出しです。
正直、「この村も、もう先は長くないのかもしれんなぁ」と思うことがあります。
うちの民宿も、昔ほど賑やかではありません。
それでも、ここ最近、不思議と若いお客さんが増えました。
20代、30代くらいの男性が、一人だったり、友達同士だったりで来るんです。
最初は、「釣りかキャンプかねぇ」と思っておったんですが、どうも違う。
皆さん、あまり何もしない。
昼間は川沿いを散歩したり、縁側でぼーっとしていたりするだけです。
夜も、酒を飲みながら焚き火を見ている。
ある日のこと、東京から来たという若い男性客が泊まりましてな。
30歳くらいでしょうか。
細い眼鏡をかけた、静かな人でした。
夕食のあと、「焚き火してもいいですか」と言うので、宿の裏で火を起こしてやりました。
最初は黙って火を見ておったんですが、しばらくすると、「ここ、本当に静かですね」と言うんです。
「まあ、何もありませんからなぁ」と返しましたら、「それがいいんですよ」と笑っておりました。
最近は、“デジタルデトックス”という目的で来る人が増えているらしい。
スマホやSNSから離れて、少し頭を休ませるんだそうです。
うちの宿は、場所によっては携帯の電波も弱い。
Wi-Fiも、都会みたいには繋がりません。
こちらとしては、「不便で申し訳ない」と思っておったんですが、若い人たちは、「通知が来ないのがありがたい」と言う。
時代というのは、本当に分からんものですなぁ。
そのお客さんも、「会社にいると、ずっと何か見てるんです」と話しておりました。
仕事の連絡。SNS。ニュース。動画。
気づけば、一日中スマホを触っている。
「何もしてない時間って、最近ほとんど無かったんですよね」
そう言って、焚き火をじっと見ておりました。
しばらくして、その人が急に、「なんか、久しぶりに落ち着きました」と言ったんです。
見ると、少し目が赤い。
泣いていたんでしょうな。
こちらは年寄りですから、そういう顔を見ると、余計なことは聞かんほうがいいのは分かっております。
ですから、「まあ、火を見てると、妙に考え事しますからなぁ」とだけ返しました。
すると、その人は笑っておりました。
わたしらにとって、この村の静けさは当たり前です。
夜は暗いし、店もない。コンビニもない。
若いころは、「こんな田舎、何もなくて退屈だ」と思ったこともありました。
でも、今の若い人には、その“何もなさ”が必要なのかもしれません。
翌朝、そのお客さんは早起きして、川のほうを散歩しておりました。
朝飯の時間になると、「昨日、久しぶりにぐっすり寝ました」と言う。
「ここ、音が少ないですね」とも言っておりました。
そう言われて、少し考えました。
たしかに、この村は静かです。
車も少ない。人も少ない。
夜になると、本当に虫の声しか聞こえません。
昔は、その静けさを“寂しい”と思っておりました。
でも今は、“贅沢”だと思う人もいる。
価値というのは、時代で変わるんですなぁ。
最近は、似たようなお客さんが少しずつ増えております。
「スマホを見ない時間を作りたかった」とか、「頭を空っぽにしたかった」とか、皆さん少し疲れているようです。
便利な時代ですが、その便利さに疲れてしまう人も多いんでしょう。
もちろん、だからといって、この村が急に元気になるわけではありません。
祭りも戻らんでしょうし、空き家も増えるでしょう。
スーパーだって、たぶんもう戻ってきません。
それでも、「この村には何の価値も無い」と決めつけるのは、少し違ったのかもしれません。
不便だから残っているものもある。
静かな夜とか、暗い空とか、火をぼんやり眺める時間とか。
そういうものが、今の時代には、案外貴重なんでしょうな。
最近は、囲炉裏へ薪をくべながら、「こんな山奥にも、まだ人の役に立つものが残っていたんですなぁ」と思うことがあります。
わたしも身体の動くうちは、この宿をぼちぼち続けていこうと思っております。