六十代を過ぎてからというもの、体のあちこちに少しずつ“年齢”というものを感じるようになりました。
若いころのように動き回ることはできませんし、重い荷物を運ぶのも一苦労です。
それでも、民宿の仕事を続けているのは、やはりこの土地が好きだからです。
朝の山の空気、田んぼを渡る風、季節ごとに変わる山の色――どれもが私の心の支えです。
民宿を営むということは、単なる仕事ではなく、もう私の人生そのものになっているように感じます。
思えば三十代で宿を始めたときは、勢いと夢だけで動いていました。
お客様を迎えるたびに緊張して、夜眠れなくなることもありました。失敗も数え切れません。
それでも、少しずつ応援してくださる方が増え、地元の方々の協力にも支えられて、なんとかここまで続けてこられました。
若いころは「民宿を大きくしたい」という夢もありましたが、
今では「小さいからこそできることを大事にしたい」と思うようになりました。
お客様とじっくり話し、心を通わせながら過ごす時間こそが、私の宿の一番の魅力です。
年を重ねるごとに、できることは減るかもしれません。
けれど、やりたいことはむしろ増えてきました。
たとえば、地元の子どもたちに自然の豊かさを伝えること。
昔の遊びや、山の歩き方、火の扱い方を教える機会を作りたいと思っています。
この土地の魅力を次の世代につないでいくことが、私にできる一番の恩返しではないかと思うのです。
また、最近は都会から移住を考えて来られる方も多く、「田中さんみたいに、自然と一緒に暮らしたい」と言ってくださる方がいます。
そんな方々に、地元の良さも厳しさも含めて伝えることも、私の役目だと思っています。
自然の中で暮らすというのは、決して楽ではありません。
冬は雪かき、夏は草刈り。それでも、その中に確かな“生きる実感”があります。
朝の光を浴びて一日の始まりを感じる瞬間、薪ストーブの火を見つめながら過ごす夜――そのどれもが、ここでしか味わえない豊かさです。
この年になって思うのは、「もう終わり」なんて言葉はないということです。
たとえ体力が落ちても、できることはまだまだある。
人と人をつなぐこと、自然の美しさを伝えること、そして何よりこの地で笑顔を守ること。
それが私の“終わりのない挑戦”です。
民宿の灯りを絶やさない限り、ここには人のぬくもりがあります。
お客様が「また帰ってきました」と言ってくださるたびに、この場所が誰かの心のふるさとになれているのだと思うと、本当に幸せです。
これからも、地元とともに、ゆっくりと歩んでいきたいと思います。
華やかではないけれど、ひとつひとつの季節を感じながら、この土地と共に生きていく。
そんな静かな暮らしの中に、私の人生の意味があると信じています。
人生の終わりまで、この場所で笑っていられたら、それが何よりの幸せです。