鈴本7月上席(7/1〜10)夜の部で主任(トリ)をつとめる林家つる子師匠の3日目の情報です。
15:50、並んでいるのは12人程度。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240703/16/b8008251/88/13/j/o1080081315458889551.jpg?caw=800)
父親は名人といわれた彫師。しかし父親は死んでしまい、母親と貧しい二人暮らし。息子の矩随はとんと、だめな彫師。河童を彫らせば、頭の皿は河童だが、体は狸で河童狸と言われる始末。親が名人だと子には相当のプレッシャーがかかる。
ある日、矩随は骨董屋の若狭屋に夜っぴて彫った馬を持って行く。それを見た若狭屋の主人、この馬は足が3本しかないのに気づく。矩随は寝ずに彫ったので、つぃうとうとし、馬の脚を切ってしまったと言い訳をする。これを聞いた若狭屋の主人は、今まで他の店から相手にされない矩随にずっと、彫った物を買ってやってきた。しかし、もう金輪際、面倒を見切れない。5両やるからこれで縁切りだ、お前なんか死んじまえと言い放った。
矩随は家に帰り5両を母親に渡し、これからお伊勢参りに行くと告げる。
母親は矩随が嘘をついている、死ぬつもりだと見破る。
そして一部始終を母親に話すことになった。それを聞いた母親は死んでしまいな、その前に観音様を彫ってくれと矩随に頼む。
矩随は3日3晩寝ずに観音様を彫りあげる。
それを見た母親は、そのすばらしさに手を合わせ、これを若狭屋に持っていき30両で売ってこいという。
矩随は若狭屋に観音様を持って行くと、それを見た若狭屋の主人が先代の物がまだあったのかと、矩随の言い値で買う。主人が観音様をよく見ると矩随作と彫ってあるのに気がつく。
矩随にこの観音様を彫った一部始終を聞くと3日3晩、母も一緒に飲まず食わずで彫った。観音様が完成した際、水を母親が所望したのでそれを母親と矩随で半分ずつ飲んだと若狭屋の主人に伝えた。それを聞いた若狭屋の主人は「それは水盃だ。早く家に帰りな」と矩随にすぐに家に帰るように促した。
それで矩随が家に帰ると母親はこと切れていた。
これを機に矩随は精進し父親に負けず劣らない名人と呼ばれるようになった。
父が有名人の子は父を超えるプレッシャーが存在する。
地道に励んでいれば、必ずやいい方向に向かうという人情噺でした。
つる子師匠の話ぶり、間がいいですね。引き続き、応援します。