「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を鑑賞。



マカオである裕福な一家が何者かによって惨殺される。


それを聞きつけ、フランスからやってきた初老の男・コステロは、唯一生き残った娘の意思を受け継ぎ「復讐」を誓う。


その後、偶然3人の殺し屋に出会ったコステロは復讐を依頼。自身も行動を共にするようになる。


次第に4人の間には確かな絆が生まれていき、時を同じくして、物語はその内包した悲劇性をも加速させていく


コステロは言う。自身の頭には銃弾が入っていることを。それによって近いうちに記憶がなくなってしまうことを。それまでになんとしても復讐を果たしたいことを。




本作はジョニー・トーの監督作品で公開規模が小さいながらも評判が良かったため観たかった作品だ。


同監督の作品では「エグザイル絆」が極めて評価が高いらしく。こちらもチェックしたい。


俺はこの監督の作品は初めてなんだが、コステロと殺し屋3人との奇妙な友情関係と容赦なく失っていく記憶になんとも言えない「男臭さ」と「切なさ」を感じた。これがハードボイルドってやつか!?


記憶喪失モノといえばジェイソンボーン3部作を思い出す俺だが、ボーンシリーズは記憶喪失の青年ボーン(実は自らの意思でそうなったのだが)が自ら記憶を取り戻していくストーリーであったのに対し、本作ではコステロは次第に記憶をなくしていき最終的には娘一家の復讐のことも、仲間の殺し屋のことも、いっさいを忘れてしまう。


それでもコステロが復讐を果たす最後のシーンには、涙なしには語れない。




撃て!約束の銃弾を。







公式サイトhttp://judan-movie.com/







映画「告白」を鑑賞。



娘を教え子に殺された教師の森口悠子がその教え子(少年A・B)に復讐していくという話で、物語は主要人物らのモノローグ(告白)を通じて展開されていく。



森口→美月→少年Bの母→少年B→少年A→再び森口、という感じ・・・たぶん・・・そうだったと思う。



先も触れたように、ストーリーは森口の娘の事件を軸に主要人物らの主観、時に極めてエゴイスティックに歪められた「告白」によって語られる。観客は各々のそうした主観的な「告白」を通じて次第に客観を得る。


全体を通して映像がほの暗く、どこにいようがまるで曇天の空の下にいるような演出がされているのが特徴的で薄気味悪い感覚が作品を貫いている。


また、登場人物の過剰にコミカルな造詣がこういった不気味さをさらに鬱々としたものにしており、たとえば、から回る教師ウェルテルのKYっぷりや、少年Bの発狂ぶりなどがそうである。



森口は知っている。たとえ事件の真相が明るみになったとしても、少年は少年法に守られ刑務所にすら入らないことを。牛乳にHIV感染者の血液を混ぜて飲ませたところで感染などしないことを。エイズがもはや克服可能な病であることを。純粋な殺意など存在しないことを。娘の死に必然性などないことを。


だからこそラストで森口はこれまで一貫して使っていた丁寧語ではなく、「なんちゃって。」と言ってのけるのだ。ゾッとした。そう、救いなどないのだ。



言い知れぬ執念、諦念、そして絶望を感じた・・・。



松たか子の冒頭の一人語りは必見。こんなに演技がうまい女優だとは思っていなかった。



かなりお薦めかも。



公式サイト http://kokuhaku-shimasu.jp/index.html


そういえばワールドカップ初戦で日本がカメルーンに勝利。歓喜。



「わ~い!!!」


「鉄男 THE BULLET MAN」、本日最終日につきこの機会にと京都シネマへ。


本作品は、鬼才・塚本晋也監督の「鉄男」、「鉄男ⅡBODY HAMMER」に続く鉄男シリーズの3作目。シリーズといっても続編というわけではなく、1つ1つの作品で話は完結している。ただモチーフは一貫しており、それは主人公の身体が次第に鋼鉄と化していき、悩み苦しむというものである。それが極めて不愉快とも思えるほどの金属音を交えたBGMと激しいカメラワーク(ほとんど目がついてけない)で何度も反復される。また話の内容は粗く、ストーリーとしての完成度はほとんど放棄しているといっても過言ではない。極めてマニア向きな、いわゆる「カルト映画」の典型だろう。


特に傑作なのは「鉄男」で全身が鋼鉄化していくなかで、もちろん男性のある部分も鋼鉄化しいく。しかもまさかの形状に。そう、チンコがドリルになるのだ(小学生か!!!)。あげく交際相手とのセックス中に鋼鉄化が進みズタズタに内部から切り裂いて殺してしまう。それを大真面目にやってのける、とても笑えるようなシーンとしては作っていない。これこそが鉄男クオリティー。


さて、3作目の「鉄男 THE BULLET MAN」だが、以上のようなモチーフをやはり概ね反復している。強いて違いを上げるなら、時代の経過によって上がった映像のクオリティーと、いままでの作品では語られなかった鉄男の謎が説明されていることだろうか。しかしこういった演出は鉄男のカルト臭を見事に脱臭している気がしてならない。



公式サイトhttp://tetsuo-project.jp/