人が人に惚れる。
僕には、この人を応援したいな、と思う人がいる。
では、応援したいなと思った人の、自分はファンであろうか?
、、、待て。
ファンとは何だ?
個人的なファンのイメージは、その人自身のあらゆる活動を応援したくなり、実際に応援し、応援し続けることで、自分自身の活力を得ている、というものだ。
応援の見返りは、その人の生きる糧を得ること
。
それが僕が思うファンだ。
僕は、応援したくなる人のファンなのか?
僕が応援したくなる人の作品を見ると、その人自身の作品から新たな着想を得たり、さらに良くするブーストする方法を考えたりする。
これは、僕が定義するファンに入るだろうか?
あれ? 自分ってどんなやつだ?
自分が何者か分からなければ、自分の近くにいる人を、5人ピックアップして、自分がその人たちをどう思っているか、考えてみると良い。
実は、その平均が、他人から見た自分だからだ。
この話を他人にすると、
「え? どういうこと?」
と言われるが、説明をきちっとできない。
科学的に証明する知識が薄いからだ。
しかし、アンドレブルトンや心理学の世界では言われている。
自分を形作るのは、周りの親しい人々なんです。
では、自分はどのような人物として、ファンに見られたいか。
それがわかれば、自分の周りの付き合いたい人がわかってくる。
では、自分はどんな人を応援したい?
「間違っていても、自分が面白いと思うものを、きちんと主張する人で、柔軟に人の意見を汲み取りながら、絶えず成長していこうとする能動的な人」
を応援したい。
ふむふむ、上記が自分だとすると、何かやる時に、自分が面白いと思うものなりふり構わず実行していこう。
面白いと思うものが、僕が間違っていたり、わからなかったりすることはある。
でも、どんな状態でも、やってみなければわからないのだがら、追求していこう。
僕自身は、実行することで、わかることが多い。
細部まで想像できていなかったり、最悪の想定や楽観的な計画をしすぎて、実行前に認識できないからだ。
だから、失敗を繰り返し、修正をしながら、何度となく挑戦する。
この繰り返しの先にしか、自分が思う本当に面白い作品を作ることはできない、とセルフイメージができています。
今後の活動で、自分が面白いと思うものを、もし一緒にやろうとする人がいなくなれば、自分1人でできることを探そう。
それくらい割り切って、作品作りを続けていきます。