最近、ブログを書くようにしている。
なぜなら、1人でも読んでくれている人がいるからだ。
実に、10年ぶり位に連日投稿。
やはり、見てくれている人がいるとわかると、ついついブログを描きたくなる。
壁打ちで書き続けるのはつらい。
演劇の本番も同じだ。
1人もお客さんがいないところで、公演をしたところで、何が面白いのか。
そもそも、1人もお客さんがいないのは演劇ではないし。
演劇はコミュニケーションツールの芸術でもあるから、演者と観客の間にコミュニケーションが成立しなければ、演劇と言う形は取れない。
演劇の始まりがどうであったか諸説ある。
神様の言葉を代弁する巫女であったり、神に捧げる踊り子であったり、様々だ。
共通しているのは、発している人と対比して、必ず受け手がいることだ。
受け手がいない演劇というのはない。
……いや、知らないだけで、歴史上あるのかもしれない。
しかし、メインストリームにはなっていない。
面白くないからだ。
今の小劇場の演劇に関わっていると、ある一定数以上の少なくない人たちは、「自分が好きなことをやってればいい」と思っている。
「自分が魅力的に見えること」が重要だ。
とにかく、「自分たちが楽しければ良い」。
芝居に関わって30年近くなるが、今も、昔も、そんな人がたくさんいる。
そのため、演劇は玉石混合だ。
言葉を発したり、意思を伝えることができれば、やれてしまうからだ。
子供でもできる太鼓叩いたり、地面に線を描いたり、山を作ってみたりするのと同じなのが演劇だ。
しかし、気づいている人は気づいているが、気づいていない人はいつまでも気づかないことがある。
「簡単なもの」は、どこまでも果てしない高見があるということに。
ちょうど、コロナ禍に、演劇を少し離れ、ビジネスの世界に足を踏み入れたことがあった。
その時に、自分の中で、「本当に面白いものを作ればいいのか?」「面白いって何だ?」というモヤモヤが取れた。
モヤモヤしていた原因が、「今、自分がやっていることが面白いことなのか」「誰が見るのか」「何のためにやるのか」が明確でなかったことがわかったからだ。
つまり、見に来るお客さんの視点と同じ、芝居を俯瞰的にみる自分の視点が持ててなかったからだ。
そのため、お客さん視点を手に入れるために、あだこうだと数年を費やし、ようやく掴んだ。
「お客さんの視点を手に入れた」とまではまだまだ言えないが、やり始めた頃の自分にと比べれば驚くほどの進化をしている。
やはり演劇は、見ている人と、その場その瞬間を共有する手段であり、人生におけるヒントが隠されている場だ。
どこまでもお客さんに尽くすこと。
それが最終的に、自分に戻ってくる。
これが実感できるのが演劇だ。
俯瞰的に見ている自分も、お客さんの1人として満足させよう。
自分すらも楽しませ、他人すらも楽しませられれば、世界を変革する力が発揮できる。
ただ、総合芸術と言われる演劇では、正解も完成も無い。
その代わり、何をやっていても、お客さんのために何かしても、自分のために何かをしても、最終的に演劇に還元できる。
つまり、永遠に追求し続ける持久力が必要だ。
さぁ、まだまだ楽しいことをやろうじゃないか。
マイペースで行くぞ、