セクハラ・いじめ・長いモノには巻かれろ的犯罪・

親族他人への死傷……

今の日本 思考が停止したような感じですね

 

 十把一絡げ的にいえば タガが外れたというか垣根が

くずれてしまったんだと思いますね

その帰結が 今の日本の世情なのだと紫は思う

教師と子ども・教師と親・親と子・上役と部下・男と女・

年長と年少……

善の意味で 権威が失われ 教える教わるとの関係が

くずれて 人間の尊厳までが無視され保たれなくなった

 

 人間関係は 綱引きであり調和の問題ですね

人間関係の さまざまな出来事を評価する時に必要なのは

善の意味での 上から目線が必要でしょう

個人と不特定多数と国の利害関係・無関心と無意味な服従・

責任をとらない自己中心・外国と比べるのが好きな論者・

何かあれば群がる愉快犯……

問題が起きても 当事者の人格による対応次第で

ウマく収まる場合も多いようですが……

 

セクハラの本質と犯人は 日本人の男尊女卑と子ども

時代の親子の関係が犯人

安倍問題の本質と犯人は 長いモノには巻かれろ的が犯人

どちらも人格と組織と悪の権力が絡んで 複雑怪奇となる

そうすると 権力を消滅させたからお終い・・と単純に

考えるのは早いのでは……。(おわり)

 

 職場の娘たちの話だと 桜が舞っていた公園の木々も

日一日と緑が濃くなり 新緑の美しさと自然の力強さを

感じる頃となったとのことだが 日中は夏日のように汗ばむ

かと思えば朝晩はひんやり・・気温差がありすぎ何を着れば

よいのか困る・・と

ここでウッカリと身なりなんて言うと ファッションで

ゴザイマスと修正される 

春の暖かさと寒さの名残が 周期ごとに訪れる時節でもある

 

新年度に入り新しいスーツに身を包んだ 新人たちの

姿を見ていると 満開の桜を眺めながら希望に満ち溢れ

恋の予感の真っただ中にいた 紅顔の美青年を想いだす

もちろん ワガハイのことでゴザイマスよ

それが今ではどうだ 桜が散る様を見れば胸がキュ~ンと

疼きドッキンドッキンと脈打つ・・年甲斐もなく恋なのか

イヤイヤそうではないのだ 心臓麻痺とか狭心症の症状・・

かも・・と不安に駆られる 

 

 最近は 昔の時代の出来事が夢の中に出てくる と思えば

昔の記憶にはない まったくの新しい作り話も出てくるのだ

パソコンのキ―を打つときも 指と目がキ―をさがしている

大家の娘が持ってきたビデオを見て涙顔のワガハイの横顔を

娘がみて笑う……

人はナゼ生きてナゼ死ぬのか などと考えるようになると

終着駅が近いのかもしれんて イヤイヤ終着駅は始発駅でも

あるぞよ と強がってはならないのだ

イザその時がくるときまで 自分を棄てる覚悟ができている

ようになれるのだろうか……

評論家が言うような 第二の・生まれ変わりの人生がある

などと思うなかれ 人生は一度だけだ……。(おわり)

 

【究極の情け】とは……

【死ぬと決めた人間の 邪魔をしないこと

 望み通り 死なせてやればよいのだ】

これこそが 真の人の情け……と 紫は思う 

しかし そのようなことができるのも あと数年だろう

8~10年先には 介護する人よりも受ける人が多くなる

血縁地縁も当てにはならず【独り死にが当たり前の時代】に

なるのだ そうなれば「人の情け」も当てにはできない

 

「死ぬと決めた人間は 確実に死ぬ方法だけを考える」

死の間際になってグズグズして ウン良く死んでも 

あの世の住民たちが迷惑するから 死ぬのはやめることだ

ウン悪く生き返った時 何を思う「今度こそと思うか否か・

それは 死に対する意識の変化と時間」が答えを出す  

 

死ぬ気になれば何でもできるだろう・・というのは

死ぬ気のない人間のいうこと

人間の命は尊い いかなる理由があろうとも命を奪うことは

決して許されることではない……

どこかで 聞いたような言葉ですが 読者の皆さんも

そのように思われますか……。

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【人間って ナンなんでしょうね】

【人間って 何のために生きているんですか】

【人の情けって ナンなんでしょうね】

【法は 何のために 誰のために あるんでしょうか】

(おわり)次回投稿は末日近くになります。拝

 

【情けと組織】

 今年平成301月に「西部邁」氏が 自殺されました

お悔やみ申し上げます

四月に 西部氏の自殺を助けたとの疑いで2人逮捕の報道

がありました 『自殺を助けた人間がいたようだ』との

噂があり警察が捜査をしていたようです 紫思うに・・

人のクチにガムテ-プは貼れない よけいなことを……

 

 もう一つ記しますと「子どもたちのイジメ」に対して

学校・教師たちの対応が非難されてきましたが

いつのまにか「学校・教師対保護者」の様相に……

 

★前回で 下記のように記しました

『人を救うのに法的資格など不要 法は万能ではないのだ

自分と他人を救えるのは 自分しかいない

法の条文には 人の情けはない

ないのだけれども・・あるようにできるのも 人だ

しかし悲しいかな 情けがあっても不本意ながら

その情けを 閉じ込めなければならないこともある』

 

西部さんの自殺のこととか イジメへの対応も

【組織と法を 人の情けから見た時】に 違う解釈と

違う対応も有り得るのでは……と 紫は思うのですが

 

★情けが法と組織に入り込む余地は ないのでしようか……

 

ここまでくると「性善説と性悪説」が出てくるのか……?

言いかたをかえると「人の情けには善と悪があるのか」?

6 最終回 究極の情けへ)

 

 

「人の情け」が自然に湧いてくるのは「自由があるから」

その自由は「人間の飽きる という感覚・感情の質感の深さ

というか感度によって ココロにゆとりが出てくるから」

なのかもしれない

 

「人に情けが あるかないかで人間世界の度量という

枡の大きさを感じとることができる」

「情けは人間世界に於いて どのようなときにうまれて

 人の心はどのようなときに 人の情けを感じるのか

 どのようなときに 人に情けは無用だと突き放すのか」

「人に情けがあっても その人が情けを閉じ込めてしまう

こともあるのだろうか」……興味のあるところです

 

悲観することはない……わが日本いたるところに

「人に情けはある」そして「逃げたいと思ったら人の情けに

 すがって逃げてもよいのだ」……だけど邪魔になるのが

「思い込み」・・というよりも「思い込まされている」との

意識を変えていく必要もある 世間一般の非常識よりも

自分の思いを信じましょうよ

例えていえば たがいに走行中の自動車接触事故・・

基本は どちらかが車線を越えたからなのに それが双方が

走っていたから互いに責任あり・・と思い込まされている

 

 人を救うのに法的資格など不要 法は万能ではないのだ

自分と他人を救えるのは 自分しかいない

【法の条文には 人の情けはない

 ないのだけれども・・あるようにできるのも 人だ

 しかし悲しいかな 情けがあっても不本意ながら

その情けを 閉じ込めなければならないこともある】

 

主題以外の キ-ワ-ドは【人間と情け】……を

勝手気ままに述べてまいりましたが 次回は「情けと組織」

6回【究極の情け】をもって最終回にしたい(5へつづく)