「輪廻転生」は『超常現象』なのか否かという議論は

佛教での教えとは別にしても 「輪廻転生」は

『人間なら誰しも抱いている罪悪感』である

「因果応報」と密接な関連があって そこから

導き出されたものではないのか~との紫流解釈も

あってよいのでは・・


 そうすると歴史上の一つの時代の始まりと終わりは

言葉の表現としての「因果応報・輪廻転生」が

積み重なってきたものだ~と当てはめることだって

できるのではなかろうか・・

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 よけいなことを長々と~ようやく表題です そこで

日本の歴史から 無理やり「因果応報・輪廻転生」を

当てはめてみます

「平家⇒源氏」と「徳川幕府⇒明治維新」

この二つを考えてみる

「平家⇒源氏」

 歴史評論家の話では 平家が源氏に敗れたのは

「平清盛」の性格からくる失政だと・・

平家が政権を握ったころは 武士の時代に移行する

混乱した時代だったんですね

この清盛の性格からくる失政とは~源氏の係累を

一人残らず皆殺しにできなかったという優しさ・・

その優しさゆえに 義仲・頼朝・義経という

源氏の世代に報復されたのですね

「徳川幕府⇒明治維新」

 なぜ 家康は豊臣家を滅ぼし長期政権を築くことが

できたのに 豊臣家において絶大の力を維持そして

大坂の陣においても 豊臣につくした「毛利・島津」を

断罪し絶つことをしなかったのか・・

家康の力をもってすれば 事は簡単だったのだ

毛利・島津は 家康に服従はしたものの外様として

幕府の厳しい監視に置かれていた・・にもかかわらず

富国政策により 自藩に富と力を蓄えてきた

家康が 島津と毛利を根絶やしにしていたとしたら

ひょっとして 倒幕も明治政府の樹立も短期間には

いかなかったかもしれませんね・・

ナゼ 清盛・家康が「源氏を島津・毛利」を

一人残さず 根絶やしにしなかったのか・・

そのために結果として報復された 歴史の謎です

史実に「もしも・・・」は ありえない

必然性があったからこその 歴史の重みがあるのかも

しれません

 いまの時代は「失われた20年」ともいわれ

1989年に初めての消費税1990年バブル崩壊から

『実感なき景気』だと言われ続けてきた

その間 さまざまな「因果応報」を奏で さまざまな

「輪廻転生」なる人間模様を展開してきました

 この先の人類の歴史における 「因果応報」は

どのような「輪廻転生」に変わるのでしょうか・・

そして【死者の行先は どこなのでしょうか】 


(終わります)

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 私の記事は いつもアレもコレもと書き込みして

毎回理屈っぽい長文になってしまいます

読んでいて疲れるんですよね 申しわけありません

今回も 最後までおつきあい願いまして

ありがとうございました。







そのような紫流の勝手な思いからでてくるのは

この平和な時代に「佛教だ・戦争だ」なんて~と

しかめ顔をしたところで 日常の生活において

「因果応報・輪廻転生」という化け物は 断りもなく

「私たちの心の中」に忍び込んで すまし顔で

しらんぷりして同居しているのであります

佛教では というよりもチベットのラマ僧が唱えて

きたのが「輪廻転生(リ-インカ-ネ-ション)」で

辞書などによると『人が何度も生死を繰り返すことを

指しており 人も死ねば身体は消えてなくなるが

その念(霊~意識・魂)は 他に移って生まれ変わる』

と あります


 米国のドキュメンタリ-映像作家として名が知られて

いる「ジョン・G・フラ-」は「リ-ディング」の

研究者でもあった「エドガ-・ケイシ-」に興味を持ち

更に「輪廻転生」についての 科学的証拠を探し続けて

バ-ジニア大学医学部で 転生と魂の研究に取り組む

精神医学者「リャウン・ステイ-ブン」と 出会い

そして ケイシ-の息子「ヒュ-リン・ケイシ-」と

ともに 科学の分野から「輪廻転生」を見直した・・

その結果「エドガ-・ケイシ-」は

「輪廻転生と宿命は 強い関連を持っている」と

『リ-ディング記録に残している』ことが分かった

その記録には・・

【私たちの魂は 前世の人生を超越した進歩した時代に

生まれ変わる 転生とは それまで蓄えられてきた

能力を使う機会を与えられたという事であって

前世での生き方が転生の原因を作り その結果

現世に生まれ変わってきたのではないのだ

原因を超えたところに自分を持っていくために

偉大な霊的交渉を受けるのが 現世に生まれ変わった

本当の目的なのである】・・

 この上記 最後三行の部分の解説では・・

前世で殺人を犯した人間が 現世で殺される或いは

虐待される・・そのような現世への転生は ありえない

むしろ 殺されそうになる・虐待されている人々を助け

救い 幸せな人生を送れるようにするために

現世に転生するのだ

【私たちの魂が この世でしなければならないのは

犯した罪の数だけ人を救うことにある~それが

転生なのだ】・・と

【このあたりが 佛教とケイシ-との違いなんですね】

 しかし 疑問に残ることがあります それは

私のように「前世のない」人間はどうなるのか~

という疑問ですね

私紫は 若いころに二人の占い師から「あなたは

前世がない」と いわれたことがあるので・・

ビックリして調べてみたら「前世のない人間」も

いるんだそうです~その最後はどうなるのか・・


(次回で終わる予定です)






 今の時代「佛教とか戦争」なんてことを言えば

「この平和な時代に」と しかめ顔をされる・・

 だけど これもまたモノは考えようでして

ドアを開け 外へ出れば戦争が待っているんです

『大きな戦争』は「二国間」の 場合によっては

数か国を巻き込んだ世界規模の『大きな戦争』

『人と人・人と自動車・人と災害・人と病魔』など

これらはみな 自分を取り巻く『小さな戦争』なんです

「ネットビジネス」などの 金儲けも「戦争」です

 生まれてきた時代・育ってきた環境の違いもあって

ひとそれぞれ「戦争・佛教」そのほかの物事に対する

思いは違います

だけども『大きな戦争』はともかく『小さな戦争』は

私たちの 日常いつもついて回っています

遊びのゲ-ムにたとえれば 「サバイバル」なんです

「リスク」を考え いかにして「リタ-ン」するか・・

その方法が「戦略であり戦術」なんですね

「人と人との争い」という『小さな戦争』においても

私たちは無意識のうちに「戦略と戦術」を練っている

それが「生き抜くための人としての智慧・知識」

なんだ・・と 私は考えています

『小さな戦争』で 無意識に「戦略と戦術」を練るが

運悪く「外国旅行へ行ったまま帰らぬ人となる」・・

ここにこそ 現世で「因果応報」に悩み その先には

「死後の世界」があり 人は皆「輪廻転生」するのだ

との 嘘かマコトかの議論が出てくるのでは~と

思うのであります 

 しかし「輪廻転生」というのは・・何も

「逝ってからの話」ではないんです

現世生きている世界でも 私たちは「因果応報」を

繰り返し「輪廻転生」を繰り返しているんですね


私たちは たとえば勤め人だとしたら・・

自分だけ・職場で・家族と友人との時間~など

それぞれの 時と環境に合わせた顔と思いを持っていて

その顔・思いを無意識のうちに切り替えて生活している

これこそが 人間の歴史の中での 現世においての

必然的に組み込まれている「因果応報・輪廻転生」

なのだ・・と 

 

(続きます)



「戦術・戦略」とは『軍事用語』なんですね 

「戦略」~目的を達成するための総合的な準備・計画・

運用を長期的に策定する方法

今の事業経営で言えば「長期経営計画」です

「戦術」~戦略と比べて小規模短期的に策定する方法で

     「戦略」により策定された構想に従って

     実戦で効果をあげる方法で「短期経営計画」

「戦争とは」・・と聞かれたら 紫は次のように答える

  国同士の利の奪い合いであり外交戦略の失敗とか

  勝ち負けにこだわることなく メンツのために

  相手国に仕掛けることもある

 ★戦勝国のすべきこと・・

 敗戦国の国土は焼け野原にし 乳幼児・女も含め

 敗戦国の国民はすべて皆殺しにするべし

 一人たりとて生かすべからず・・

なぜならば・・生き逃れた敗戦国民が再起を誓い

地下活動をし 戦勝国への報復をさせるべきでは

ないからだ

★遊びのゲ-ムではない 人民を巻き込まず等の

国連憲章など宣戦布告後は紙くずと同じだ

最後は 勝った側の天下なのだ

このことは 過去二度の世界大戦をはじめとして

歴史が証明しているところであります

★しかしながら前線においての戦闘は 戦略・戦術構想

よりも奇なり~であります

 祖父は陸軍士官でした 終戦が近づく戦地で負傷し

本土で治療中に終戦を迎えたんだそうです 私が

学校の夏休みなどで遊びに行った時は 高齢の祖父から

護身術をはじめとして ニッポン男子たる者の心得等を

学んだが その祖父普段はよく話すのにどういうわけか

戦争の事に関してだけは 黙して語らずでした

その祖父が逝き そして早死にした今は亡き母親

からの話では 祖父はじめ兵士の全員が交戦地では

もがき苦しんだそうです

 それは 鬼畜米兵に向かって発砲すべきか否か・・

肌の色は違えど たがいに人間同士だ

人間には 種族を絶やさずという本能がある

発砲するという事は同じ仲間を殺すことになる たとえ

それが戦争だとしても 仲間を殺すために発砲して

よいのか・・かといって攻撃せずとしたら

天皇陛下の命に背き 日本国に背くことになる

戦地では 生きたい・死にたくない・発砲して

同じ人間としての仲間を殺したくない・・

だけど攻撃しなければ~そうしなければ自分が死ぬかも

しれない・・そのような矛盾するストレスのために

吐いて・泣き叫ぶ兵士もいたそうです

祖父は士官として それでも撃てと命令しなければ

ならなかったが 撃てと命令できなかったそうです


 祖父は 終戦後に死ねなかったが自殺を図った

米国でも自殺した士官が多かったそうです

オフクロさんの話だと 祖父が自殺を図ったのは

士官として失格(当時の日本軍人は部下兵士に死ねと

命令できなければ士官に非ず)恥辱と後悔と多くの

兵士を死なせ自分だけが 生きながらえて暮らすことは

できない・・兵士たちへの義務だと思ったのだろう 

このことは オフクロさんが帰還兵の話を聞いたところ

兵士の大半は 発砲はしなかった・できなかった

かりに命令があったとしても 大半の兵士は撃つことは

できなかっただろう 米兵も同じだった・・と

 この話をオフクロさんから聞いたときは ただ聞いて

いただけの感想でしたが 学生の頃に本屋で戦争の本を

立ち読みした時 その本には同じようなことが書いて

あったと記憶しています

★では 徴兵制度復活についてはと問われたら

私は 賛成しますね 赤紙がきても怯まない

今は歳だから 志願兵ですね

このようなことを言うと 好戦派と思われるでしょうが

右でも左でもない ましてや安倍さんのように自分から

好き好んで国民を戦線に送り込むような政策には大反対

島国で攻められたこともない平和的国民だからなのかも

しれないが 改正もなく70年にわたっての平和憲法の

どこに問題があるのか・・

自分が住んでいる国を守る・・それだけです 



(続く)



 学校時代に スポ-ツ部に所属していた皆さんには

馴染のある言葉です

不定期ですが早朝に弓道場に通うと

老師より聞かされる言葉です

わが和弓の老師は ウソのような真の話ですが

目を閉じても 真ん中へストンと矢を射る

瞼を閉じても矢の先に的の真ん中が近づいてくるの

だそうです

 稽古の終わり雑談の時には 私が幼児だった頃は

自動車の総台数も少なくて 道路も一方通行

時間制限もほとんどなく 酔っ払い運転なんて平気で

検問にあっても「飲んでますね気を付けて帰れ」で

済んだ 警官だって全員ではないが 飲んで運転した

時代だったようで これもウソのような真の話でした

老師は・・武道は守から破⇒離と段階を踏むごとに

むずかしくなる 人生修行と同じなのじゃ

 佛教の教えである「輪廻転生」のように

 最初は 先人の智慧知識を受け入れるが

いつのまにか忘れてしまう やがて事が起きては

また思いだし受け入れる

 それらを死ぬまでの間に繰り返しながら

最後には 確実に身につけていく・・

それを「守破離」という

 さらに言えば 決して他人を批判してはならぬ

 冗談の中にも真嘘が 真嘘の中にも冗談が潜む

 批判をする場合は 他人が言うておることが

 真嘘なのか 冗談を言うておるのかの見極めを

しっかりとすることじゃ・・

                        

「守」~型・技を忠実に守り確実に身につける

「破」~心技を発展させる

「離」~棲み慣れた自分の流派より離れて 

    己独自の心技体をあみ出し確立させる

 老師の訓示をお借りすれば・・

年代に限らず わが人生は「守破離」のどこにいるのか

性懲りもなく短腹となって 他人を批判する人生の

繰り返しではなかったのか・・

普段は忘れていても 老師の前に座ると思いだす・・。