ここ何回か 何とかの一つ覚えのように

秋の話を続けています

 秋になると思い出すのが「燃える秋」

「五木寛之」の原作で 1979年の映画でした

 私は小説でした 映画は訳ありでビデオなし

オモシロかったですよ 感想は下記です

http://ameblo.jp/b012/entry-11611476352.html

http://ameblo.jp/b012/entry-11611473875.html


職場で読み終えてテ-ブルに置いといたら

いつのまにか消えてしまった。

 もうすぐ「秋彼岸」朝晩冷えてきました

おたがい体調に気を付けましょう。

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 お願いです

しばらくの間 ペタ返し・記事の拝読は

少し遅れます すみません。 拝


★あした15日業務の都合で投稿できません

 なので この記事は明日投稿記事という事で

 ご了解お願いいたします。 拝


 わが町の街路樹も 衣落しに懸命だ

一年間の汚れを落とした身体を 雨と雪でキレイにし 

新たな年にはまた その年に似合う衣をまとい

元気な姿を見せることだろう

何も金と時間をかけて 遠くの観光地へ行かずとも

町全体が 観光地なのだ

 ワガハイも嫁き遅れのクチうるさく 憎ったらしい

娘たちのイビリから逃げ出して街中を歩けば 気の早い

商店では クリスマスどころか正月用品まで専用のタナ

を作り商品を並べて「おせち」の注文受付までしている

 道路には 街路樹の衣が自動車の勢いで踊りだし

ところどころで固まって休んでいるかと思えば 自由に

ポツンポツンとお天とうさんの恵みを浴びて 独り身を

楽しんでいる

 わが娘たちは ワガハイに文句ひとつ言わず・・

いやホントは不満もグチもポンポンと 機関銃のように

次から次と飛び出してワガハイをイビリ始めるのだが

お局言によれば 娘たちには毎日の日課なんだそうな

災難なのはワガハイだ 業務に関しては娘たちの背に

お局がいるので 自由にのびのびと こなしている

ワガハイが何を欲しているのか言わずとも ために

どうすればよいのかを 娘たちは心得ている

長年にわたって築いてきた理想が 娘たちの集団だ

 毎日朝から夕まで 職場を抜け出すようになったのは

最初から意図したものではなく 娘たちの無言の了解を

得たものでもありワガハイの娘たちへの甘えでもある

ハラハラと音もなく イヤときには音をたて舞い踊る

街路樹の衣を眺めていると 齢のせいか妙に理由もなく

さみしくもあり また新たな年への期待もあり何となく

複雑な思いにかられる

子どものように 落ち葉と話し遊ぶことができるのは

娘たちがいるからで 娘たちがワガハイを守っていて

くれるからなのである。  (おわり)



街路樹で排気ガスなどに強いのは「銀杏」で

その実である「ぎんなん」正月料理にはかかせない

わが町も この「ぎんなん拾い」が 最盛期

小遣いかせぎで 毎朝拾っているのが高齢者だ

クルマの運転で気をつけるのも この時期

拾うのに夢中になって 車道に出てくる
10月も 一人ケガをされた高齢者がいる

『思いつくまま勝手気ままに』レストランでの

紫シェフは ぎんなんを長期保存するときは

塩ゆでしてから冷凍してます 「アラカルト」では

「もやしつくね・魚介マリネ・中華おこわ・大麦と

 じゃがいもス-プ・中華肉うどん・里芋さつま揚げ」

などの調理をする時パウダ-としても使っています。

(おわり)





 アメ-バが ペタの継続を決めた 

ブログ投稿者と読者にとっては 朗報ですね

そして 投稿記事の内容では

「書き方の指導」「ペタといいね・読者」を増やす方法

「記事を通しての集客・お金儲け」・・などの記事も

溢れています

 しかし なぜ「投稿するのか」「読者になる」のか

なぜ「読者を止める」のか・・このことについての

思い・考え方にふれた記事には今まで であっていない

基本的に「なる・やめる」どちらも その人の自由だが

 ブログへの「読者になる・読者をやめる」ことを

「簡単に・甘く考えて」いるのでは・・

ブログ開設者の開設主旨・投稿者と読者双方の利用する

目的・思い考え方への行き違いがあるのでは

 それともブログとは 何もむずかしく考えることなく

気軽に投稿し 気軽に読み流すものなのか・・

 そうだとは思えないのだ

金儲けが目的だけで埋まっている記事以外では どんな

内容のブログでも 読む側にとって生きていくための 

ヒントを見出すことができる 紫はそのように思う

 ならば「読者になる・読者をやめる」については

じっくりと考えてから決定すべきだ

「投稿する・読者になる・読者をやめる」いずれも

利用する人の人生観・生き方が 問われているのでは。

(おわり)







 日本語では「援助・応援・助ける・・」とか

「代表以外の役員・大番頭」「黒子・裏方」の人たちを

指していう言葉ですが・・

欧米圏では 状況次第で「リ-ダ-」を意味します。

 日本でのサポ-タ-は あくまでも裏方ですが

欧米ではいつもは表にはでないのですが イザ総動員と

いう場面では 部門リ-ダ-に変身するのです

いわば隠れた指導者であり 意思決定の権限をもち

部門の牽引者で 社内外を問わず交渉役となり

関係者の感情の動きを知り 能動的な働きをします 

部門・会社の業績を上げるための 隠れた指導者です

 とはいっても 表の指導者が業務を進めやすく・

邪魔をしないよう 普段はサポ-タ-なんです

ちょっと最初は 対応にまごつくんですが 

サポ-トなのだが 状況によってはサポ-トに

あらずなんですね

すべての企業が~というわけではないのですが

日本の場合だと 法的代表が二名いて社内と社外を

それぞれが担当しているとの イメ-ジですね 

 このような人たちには共通の特徴があった

見ていると どうやら組織の業績も大事にするが

基本は【個人】に目が向いているんですね

娘たちのカバン持ちで同行しながら この人たちの

街中の言動を観察してますと 善行や親切をテレずに

サラリとするし『喜んでもらって私もうれしい』と

堂堂と言葉の礼を受ける 

経営最前線は不変ではない 権利者が気に食わなくとも

ヒットするものを下が提案してくれば 個人を信頼し

まずは実行する それが結果として成功につながる

その考えの下地が 街中の「善行・親切」にあるのでは

(おわり)