日本のライフサイクルは、導入期、成長期、成熟期をあっという間に終えて、衰退期にはいってしまった。

導入期

 日本が戦後、民主主義に切り替わってから、独自のビジネスモデルを築き上げ数々の競争を勝ち抜いてきた。

 ある意味戦後の混乱期こそが、平等な機会を与えられる自由競争の時代だった。

成長期

 しかし、勝ち残った企業がそのまま居座り続け始めた。

 国策として競争を排除する規制を作り始めた。

 様々な団体生まれ、そして新規参入者を阻むようになり、新たな製品が生まれても、そのほとんどは大企業か、その資本が入っているグループ企業に限られるようになってきた。

 しかしながら、世界的な市場に目を向ければ更なる市場を開拓する余地があった。

 この頃、学歴社会という言葉が出始めたころでもあった。

成熟期

 世界的にも有数な企業として成長した日本の大企業。

 莫大な収益を上げ、国のGDPも世界1になった。

 ベンチャービジネスは影を潜め、優れた人間は一流企業を目指すようになった。

 富裕層は、幼少期から英才教育が施され、大学入試に向けて科目ごとに家庭教師を付けている。

 その結果、東京大学は富裕層が7割を占めるようになった。

衰退期

 度重なる円高ショックにより、輸出に支えられた日本企業の脆弱性が露呈し始めた。

 新興国との価格競争の為、人件費の引き下げか外国人労働者の雇い入れが余儀なくされ始めた。

 企業は投資を控えるようになり、雇用を控え、賃金のベースアップも停滞し始め、日本国内の消費が低迷、日本全体のお金の流れが悪くなり始めた。

 年功序列で企業に居座る高齢者によって、20年後の日本を支えるはずの新卒者が職にありつけない事態に。

 お金が無ければ良い学校に入れられず、良い企業に入れない事が決定的になり、多少なりとも金銭的に余裕ができる晩婚化、少子化という影響が表面化した。


この先衰退期がどれだけ続くのか分からないが、既得権益構造がリストラクチャされない限り続くのだろう。

開国も、民主主義も、全てアメリカに実現してもらってきた経緯がある。

しかし、次こそは自国の力で打開すべきだと思う。

これは少し表現力が足りなったと思う。


しかし、経営者の立場で考えるならば誰でも一度ならずとも言いたくなる言葉だ。


確かに給料をもらえるのが当たり前だと思う人間が殆どだ。


なぜなら、一度でいいから自分で資金を貯めて物を作り売ってみるとわかる。


競合他社がひしめく中で、自己資金で良いものを作り売って儲ける事業を作るのは奇跡に近い。


そして、物売りはサービスだが、物作りというのは最も価格競争を求められる。


徹底的なコスト戦略に基づく「人物金」という経営資源を管理できるか。


ユニクロの服はほぼ全て中国や台湾で生産をしている。


NECや日立、富士通、パナソニック、ソニーのエレクトロニクス製品のほとんどは台湾や韓国で生産されている。


今や日本の製造業は世界を相手に競争している。そして日本の為替レートは80円台を切ろうとしている。


この瞬間にも、為替レートは円高が進み壊滅的なダメージを受けるかもしれない。


経営資源の何をもって戦うのか。


物に求めるのか、人に求めるのか。


こうした状況の中で多くの企業は、競争力の源泉を人件費の安い海外に求め生産拠点をシフトしていく。


しかし、永守重信は人にこだわり、この国で競争力の源泉を求め続けているのではないだろうか。

東電は数年掛けて原子力発電所の復旧を行う必要があるというが、その間は放射能を密閉できない不完全な状態のままだ。チェルノブイリは石棺を造り放射能汚染の飛散を防ぐまでに僅か4月27日から5月6日の11日間だった。
確かにチェルノブイリに比べれば炉心の爆発は無かったかもしれないが、格納容器から漏れだしたと思われるプルトニウムや周囲に拡がった放射性物質等の影響は、チェルノブイリと何ら変わらない汚染状態だ。
メンテナンスに時間と費用が掛かると言って、海水の注入を遅らせた東電の言うように穴の開いた格納容器へ放水を続け、更に汚染された水を処理するプールを作り復旧を続けるべきなのか。
周辺地域の影響を最優先と考えて廃炉覚悟で石棺を行うのか、政府の対応を見守りたい。