長谷川 穂積(はせがわ ほづみ、男性、1980年 12月16日 - )は、日本プロボクサー

兵庫県 西脇市 出身。真正ボクシングジム 所属。現WBC 世界フェザー級 王者。元WBC世界バンタム級 王者。2階級制覇王者。

2005年 4月16日、WBC世界バンタム級王座を14度防衛中だったウィラポン・ナコンルアンプロモーションタイ )を破って王座奪取。以来、5年間・10度の王座防衛を果たした。

また、4度の年間MVP を受賞しており、「日本プロボクシング界のエース」「PRIDE OF JAPAN」「バンタム級絶対王者」と称されている。1秒間に10発のミット打ちを披露するほどの超高速の連打と絶妙なカウンター パンチ、卓越したディフェンステクニックとスピードを誇る。

Wikipediaより


「戦いに勝つこと」


これは、人によって様々な意味を持つものだと思う。そして、とあるボクサーは勝つことで母親の癌治療費を工面していた。自分だけでなく家族の為に勝たなければならなかった。

それが長谷川穂積だ。

その期待に応え日本人2人目となる同一世界王座連続10度防衛を果たした。

しかし、11度目の防衛でWBO 世界同級王者フェルナンド・モンティエール (メキシコ)にTKO負けを喫した。

ボクサーと言う職業はスポーツではない、ただ勝ち続けることでしか生き残れない格闘技だ。例えそれが10度の防衛を果たした王者であろうと負けた瞬間に無冠の挑戦者になる。

そして彼は再起を賭け、ある挑戦に出る。バンタム級からスーパーバンタム級(旧ジュニアフェザー級)を飛び越えWBC世界フェザー級王座決定戦に出場し1位ファン・カルロス・ブルゴス (メキシコ)と戦うことを決めた。

日本人初、飛び級で2階級制覇の挑戦だった。

時として、運命とは過酷だ。

試合の1ヶ月前に、母親が他界したのだった。

もう癌の治療費も必要が無くなった。

しかし、彼は事実を受け入れ、それでも練習を続けた。


その時の彼は「戦いに勝つこと」に、どんな意味を持っていたのだろう。


それを長谷川穂積はこんな言葉で表している。初めての世界王者獲得直後に「地味なチャンピオンでええです」というたった1つの謙虚な言葉だった。

彼は常に等身大の自分と向き合い、戦っていたのだろう。



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抜粋

日本には見えない枠がある。

この枠をはみ出た人間は限りなく生きていく事が難しくなる。

学生時代、日雇いバイトをしていた時にそのような人達と話をする機会があった。


無職者。

破産者。

犯罪歴者。

社会の底辺のように見える彼らの世界は意外と広い。多くの人達が枠の外で暮らしている。

それも元々は普通だった人がほとんど、だからこそ誰でもそうなる可能性はある。

自分の足元が如何に脆弱な基盤で出来ているか、彼らは身をもって教えてくれた。

それでも彼らは雨の日も風の日も僅かながらの収入のために働いていた。

その姿に、今を生き抜く強さを教えられました。


サイバーエージェントの中途採用募集を見かけました。

藤田晋氏の「中途セミナーのアイデア」

http://ameblo.jp/shibuya/entry-10760393320.html

やはり、転職と言うのはプライベートな行為でありながら様々なステークホルダーが絡み合っていてデリケートな問題です。雇う側と雇われる側の間にあるキャズムを超える努力が必要なところでもあります。

池田信夫氏は、ブログで「会社というタコ部屋」と称して、「要するに労使双方が「美人コンテスト」で相手を選んでいるので、情報の非対称性が大きい。」と、述べていました。

http://agora-web.jp/archives/1171270.html

ケインズが唱えた「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく、平均的に美人と思われる人へ投票するようになる」であれば、JALのような企業に大学生の希望者が殺到するという不思議な状況に見舞われるのもうなづける。

転職と言うのはどちら側にとっても難しいものだと思います。


・・・そうゆう私もIT業界に籍を置く転職組みです。

私自身、ソフトベンダーを渡り歩き、フリーエンジニアとして独立しました。

この業界では転職というのはそんなに珍しいものではないのですが、リスクが無いかと問われれば、それは違うと答えます。


ソフトベンダーは良くも悪くも社長の性格が色濃くでる個性的な会社が多く、よく言えば家族的ですが悪く言えば朝令暮改のワンマン経営が多かったです。当たり外れも大きかったですね。

ただ中小企業の経営者が朝令暮改というのは、強みを維持する為に必要な事でもあります。

それだけ他社との競争も激しく、資金も少ない為、決断を早くしないと経営が危うくなる恐れがあるからです。

私の場合は、やたらと社長とつるんで飲みに行ったりしてました。これも仕事のうちに入っていて社長とうまくやっていく事で9割の問題は解決できます。裏を返すと社長とうまくやっていけなさそうな場合、即刻転職した方が良いという事です。

サービス残業は多く開発サポート、マネジメント、営業、なんでもやらされていたので、残業耐性が強くないと勤まらなかったですね。


フリーエンジニアの場合は、勤務先の環境とうまく溶け込めるかということに掛かっています。これにはある程度定石があって、慣れるとできるようになります。

私の場合は人の嫌がる仕事を率先して取っていきました。そうすると組織にとって必要な人材に割と早くなれます。また、人の嫌がる仕事は大抵いろんな問題を抱えており、そこにニーズが沢山あります。

ある程度実績を積んだら、人の嫌がる点をどんどん解消する提案をするだけで、ポイントがどんどん稼げます。

当然仕事はキツイですが、サービス残業は基本的に無いのでやりがいはあります。

しかし、最大の難点は顧客の経営状態に左右され仕事が途切れる点があります。

不況による業務縮小や経費削減で真っ先に切られるのが、SES契約を結んでいるようなフリーエンジニアです。

派遣法も厳しくなり3年以上の派遣就労はできないため、更にフリーエンジニアの門戸は狭くなった気がします。


転職の難しさと言うより

自分のゴールに対して転職と言うのも1つの手段に過ぎないと思います。

それでも、こうしたリスクをとって可能性を選択する余地は十分あると思いますよ。