西陣織の歴史その3
「西陣織ってすごい!」
室町時代、西陣織は大陸から伝わった高機(たかはた)と呼ばれる織機をを取り入れ、糸の状態で染色し、模様を織り柄を表現する紋織(もんおり)が可能となりました。紋織技術により高級絹織物である西陣織の基盤が築かれ、織物産地として西陣が確立されたのです。
絹織物産地として西陣織は朝廷からも認められ、豊臣秀吉を筆頭とする天下人からの保護を受ける中、織物技術の更なる繁栄のため、その後も中国の技術を取り入れ優れた織物を生み出し、発展を続けました。そして日本織物の代表的な地位を手に入れると同時に、京都の産業となったのです。
江戸時代になると、世の中が安定して町人文化が台頭してくると、高級絹織物の産地である西陣はさらに繁栄しました。大きな糸問屋や織屋が立ちならぶ織屋街が形成され、高級織物はもとより、ちりめんや縞に至るまで織り出し、その勢いは他を圧倒していきました。