東京から、戻りそのまま新施設、インディゴコンディショニングハウスに、
ロッカーの床が仕上がってました!
移動中は、ニーチェの哲学書を読んでいました。

ニーチェは、人間の自然の欲望を肯定し、禁欲を促すキリスト教を否定しています。

もともと裕福な家庭に生まれたドイツ人のフリードリッヒニーチェ、幼い時父を亡くしています。頭脳も明晰で神学を学びますが矛盾を感じ辞め、信仰も辞めています、一生を無国籍ですごし、実存主義の先駆者であり、真の哲学者ともいわれています。

キリスト教の矛盾をとき、新約聖書の矛盾をといています。元はユダヤ教のイエスが死後に後の弟子達が自分達の立場を守る為に事実を変えて新約聖書を作っています、イエスが救世主と復活したというものですね、そこに、もちろん旧約聖書のユダヤ教には受け入れられません。しかしユダヤ教に受け入れられない外人の受け入れをしたキリスト教は肥大していきます。

キリスト教は祈ることと赦すことをとき、禁欲をといてますし、
人は生まれながら罪を背おってるとなっており、そうなると赦されるために祈ることを生まれながらやり、禁欲ならば、人が自然な欲望を叶え自由にいき、力を持つことが否定されます、
人間が力をもたなければ、神に祈るしかありませんから、キリスト教は守らるシステムです。

このように、ニーチェは科学的客観的に宗教を人間を話しています。

なのでキリスト教は旧約聖書の矛盾を解く科学を否定し弾圧して宗教裁判などにかけて、自分の立場を守ってきました。

しかし、人間も自然社会に生きさています、力あるものが頂点に立ち、群衆を率いていくのは、当たり前で自然の流れであり知的精神的に優れた人間が上位に力の強いものが中に、あとは平民とといています、
そして、力あるものが道徳や、人を納める帝王学をまなび社会の秩序を守る変わりに平民は守られる代わりに従う関係、主従関係が成り立ち各々が立ち位置を全うすることが大切と話しています
。自然の法則にあっているので自然に社会のバランスが保たれるからですね。

日本も1番安定期は江戸時代の士農商工の封建時代でしたよね。

また、平民は守らているにも関わらず、自分達の権利をとき、社会、人を正義の名の下に集団を組み攻撃すると書いてあり、なるほど他人のせい、社会のせいにして、自分の立場を顧みず集団に頼り攻撃するような人間になってはいけないなと思いました。

また、平民が為政者になると、道徳観念や帝王学を学んでないので権力や、立場で人を納めようとします、すると組織、社会は自然の流れでなくなるので自然崩壊しますね、会社ならば倒産ですね。トップの立場はきちんと学ばないといけませね。よくいう名選手、名監督にあらずとか、サラリーマン社長は失敗する例ですね。

自分の気持ちに正直に真っ直ぐ生き、道徳観念を学びながら、付和雷同で生きないとなと飛行機の中で考えていました!

よっしゃ!明日は愛媛です!



{546ABBA7-7496-4A92-AE4E-46E8AA0566C2}

{5A08189D-FE05-4609-A3CC-88A25CB136F7}

{E3DD9860-3832-4420-BBD1-67AF45F4D487}