私のあり様
私は、常に経営者としてのあり様を考えて
います。
遡れば、経営者になる前の管理職時代から
自分のあり様を常に意識してきました。
例えばそれは、こんな言葉がベースにあったり
もします。
「経営者の器以上に会社は大きくはならない」
さらにそれを組織に落とせば
「リーダーの器以上の組織には発展しない」
経験上、確かにそれは真実です。
だからこそ、日々悩みます。
組織において常に私が求められるものは
常にを上を目指し
常に新たなビジネスに気づき
常にそれを具現化し
常に未来を灯す
というものだと。
もちろん、これはこれで正しい。
しかし、少しだけ最近違う視点で気づくことが
増えました。
それは、私が新たな何かを常に社内に提供
できる存在であるから組織は発展するのか?
という根本的な自惚れからの脱却です。
新たな何かを生める仲間や組織があるから
こそ、私の存在価値があるのではないか?
「0」→「1」
これが最も難しいと言われます。
しかし、私が経営していてもっと難しいと
思っているのは
「1」→「2」 です。
「0」という「無」から「有」を生み出すことも
難しいけれど、それはある意味確率論でもあり
博打でもあります。
失敗の中で生まれる何か?を探すものでもあり
ます。
さらには「チャレンジ」という言葉で許される
ことも多い。
しかし、「1」をさらに拡大させるのは確率論
では済まされず、「チャレンジ」という言い訳
も許されない。
きっと、当社のスタッフはこの「1」→「2」
いや「1」→「10」にするためにもがいている
のではないか?
そんなことも気づかされます。
今日、少し離れていたスタッフの仕事している
顔を見て、グッと来るものがありました。
気づいていない鈍感さを反省しつつ、今一度
今ある我々の大切に生み出した「1」をさらに
価値あるものに高めようと頑張る仲間…
そんな難しく「解」のないものに日々挑む
仲間の日常をもっと応援することもまた
私のあり様なのだと気付かされました。