誰のために想像するのか | 高橋正典オフィシャルブログ「価値組日記」

誰のために想像するのか

「想像できない未来は実現しない」

 

よく聞く言葉。

 

逆に言えば、

 

「想像できる未来なら実現できる」

 

とも言える。

 

 

今となっては世界に誇る新幹線は、当時

 

列車事故が頻発していた日本において

 

誰もが反対した。

 

200km以上も出して事故が起きないはず

 

がないと。

 

しかし、そこで諦めらめるわけにはいかない

 

と、メンバーに航空機の専門家を入れた

 

という。

 

その結果どうだったかは、誰もが知るところ

 

だ。

 

 

また、1996年8月スタバが北米以外では初

 

となる店を日本の銀座にオープンしたが、

 

それに先立ち行ったマーケティング会社の

 

調査結果では”失敗する”と報告されたという。

 

当時の日本の喫茶店は喫煙文化。

 

しかし、スタバは当時から全面禁煙。

 

また、日本人は食べ歩きや飲み歩きを好まず

 

スタバのカップを持ち歩くことはしないと

 

いうことだった。

 

しかし、それは「喫茶店」と「カフェ」

 

比較したものであって、スタバが目指す世界

 

ではないと、当時日本で店舗数で先んじていた

 

「ドトール」との比較をやめて、比較対象を

 

「ディズニーランド」へ変えたという。

 

 

共通することは、実現したい未来について、

 

「想像できる者」と「想像できない者」

 

が存在し、いつの時代も「想像できない者」

 

の理屈の方が最もらしいということ。

 

しかし、それを「想像できる者」

 

「やれない理由」を探すのではなく

 

「やれる方法」を考えたということだろう。

 

 

昨日、当社の管理職ミーティングでの

 

2023年の目標設定の議論においても

 

「想像できない」

 

「やり方がわからない」

 

「方法が見つからない」

 

そんな空気が場を支配する瞬間があった。

 

私はこう考える。

 

「想像できないということは、知ろうと

 

していないから」

 

「想像できないということは、したいと

 

思っていないから」

 

もし、そうなのだとしたら、そのリーダー

 

の下に働くスタッフは悲劇だ。

 

我々が想像するということは、自分のため

 

じゃない。

 

幸せにすべき全ての人のためだ。

 

なぜなら、リーダーたる我々が想像でき

 

なければ、今が繰り返されるだけの毎日

 

しか仲間に与えられないからだ。

 

 

人間は誰しもが平等であるこの世において

 

指示する権利を持つ者の責任は重いのである。