【雑記】真贋を見極める眼 | Jazz@Saku

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会社員でジャズベーシストのJazz Man BSakuの日常を暴く!(笑)

私はコントラバスという楽器とジャズという音楽のスタイルを通じていろんな人達と時空間を過ごすのが好きだ。これは間違いない。

 

私は鉄道に乗って日本の美しい自然や造形、土地で出会う人達との交流、食事、お風呂、風土を愉しむのが好きだ。これも間違いない。

 

これは、今の僕が認識をしている自己の一部。ジョハリの窓で言うとOpen Windowの自己認知だと捉えている。なぜそう思うかと言うと、意図的にSNS上ではこの自己を表現しているからである。だから、初対面の方からも、鉄道お好きなんですね。とかジャズでたくさん活動しているんですね。と言われることが多い。

 

でも、実際のところ、被雇用者であれば、大半の時間は、稼ぐことに費やしているのだと思うし、まして法人格に所属していれば、法人活動のPR/IR情報以外は秘匿事項であり、公にすることは一般的には統制されている。このルールとかモラルがあるから、僕も一切発信していない。

 

こうしたBlogなどで、発信しているのは、個人の活動として、自責の範囲の極々一部の自分である。

 

「毎日演奏と旅行で楽しそうですね。」という妬みの感情に満ちた言葉を吐いてくれる方もいて、そうした一期一会(敢えて)で自己防衛/肯定をしているのかなぁと思いながら、「はい、この時空を大切にしています。また、会いましょう。」と回答するが、まぁ大概再会することはない。

 

人は、それぞれが違う時間と空間軸で経験して知識化したことを(義務教育だって学校の差をつけているわけだし)使って経済社会の中で活動しているわけで、眼と判断軸も人それぞれ。(当たり前のこと言っていますが、整理したくて書いています。 ※そういう点で、本文は随想、あくまでも公開して、観てくれる人を意識しつつ、あくまでも個人の日記。=WebLog=Blog)

さて、エイプリルフールが成立するのは、4月1日がエイプリルフールであるということを知っていて、フールネタを発信した人の真を知っていることが前提条件であり、精巧な贋作に対してウケるんだと捉えている。「あいつならあり得る」「まさか」というギリギリが面白い。一方で、その習慣または発信者のことを知らない人には全くのちんぷんかんぷんだし、いわゆるスルー情報で、ニュースとして信じられてしまうことがある。これが、FakeNewsと認識せずにその個人には記憶されてしまうだろう。(あとで、ネタバラシまで追いかけられるとは限らない)

 

このように、形而上で個人個人の人生観や価値観が作られているという認識がまずは大切で、ここは一定道徳教育の基礎に取り入れられているとは思うが、実際の経済社会では悪用が絶えないし、X(旧Twitter)や2chはスケープゴートやカタルシスを狙った人間の心理に迫っているSNSだから流行すると捉えている。

 

1940年代、世界大戦中の日本は、ラジオと国民学校、そして地域の一斉放送が唯一の情報入手手段で、「日本は戦争に勝って、大日本帝国を築きあげています!天皇陛下万歳!」という情報で国民を鼓舞していたと(また聞きですが)いうのが果たして真実であったか?

 

体操選手、有名芸能人、政治、犯罪、、、ゴシップネタは、抑圧された労働条件下では癒しになったりするけど、そのような情報操作をされていることに気付いて、情報に対する真贋の眼が大切だ、と認識している方々との時間を大切にしていきたいと思う。

 

※少し日中の仕事の話。