【雑記】生き方の一考 ~ 秋の夜長に手長猿 | Jazz@Saku

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会社員でジャズベーシストのJazz Man BSakuの日常を暴く!(笑)

秋の夜長、私は手長、ちなみに胴長、・・・。

などというくだらない事はおいておいて、




「長いのは背だけにしろ!話は短くていいんだョ!」

と言われたのは何年前位だったか。


昔から頭の整理がつかない事が多く、未だに「むにゃむにゃ」とした発言をして
他人を困らせているなと感じる。

仕事柄たまに行うTEGⅡの結果は10年前も今も変わらず、CPとAが低位なパターン。
私の自我状態はなんだか変わり映えがしない。比較的後天的に変革が可能なはずな
のに変わっていないという事は、自分自身の動機形成が足らないのだろうなと思う。
この「むにゃむにゃ」している発言とこの自我状態は弱点の表現として辻褄が合って
いる。

前職で度々行われた360度評価(部下評価、上司評価)で、「もっと自身を持って接
して欲しい」「自分の言葉で基準を提示して欲しい」「もっと公平な評価をしてほし
い」等、という言葉を寄せらていた事を鮮明に憶えている。これらの点は今も自分の
陥りやすい傾向として意識を保ち続けている。

このような傾向を持っていると意識して常に行動をしているかと問われると、疑いの
余地が甚だ有る訳だが、ただ、少し振返って去年・・1年前の自分と比べてみると、
「むにゃむにゃ」は減っていると思える。


ところで、私はたまにジャズの演奏をしているが、その時はどうなのか。
チャーリー・パーカーのように竹を割ったようなアドリブ展開はとても出来っこない
なく、必要はないと思えるが、最低限「むにゃむにゃ」としててはいけないと思う。
その昔師匠に「弾きたい事が無い時は、弾かなくていい。その意味のない音は失礼だ」
と叱られた事がその指摘だった。

やはり、同じ。「音にも出ていた」


言葉の世界(組織)では「ちゃんと整理してから人に伝えなさい」がこれに当たる。


閑話休題、チャーリー・パーカーという人はじゃ相当なビジネスパーソンかというと、
そうではなくジャンキー(麻薬中毒)で30代半ばで夭折してしまう。
なんだ、結局芸術に才能が特化した一音楽家じゃないか・・・という見方を持つ人
が大半だと思う。しかし、私は反対の見方に賛同をする。彼は有り余る才能を持ち合
わせていたが、環境からの抑圧と誘惑との葛藤からかアルコール中毒、麻薬中毒へと
陥り、その才能の発揮先をその一部としてしまったと見る。
チャーリー・パーカーに関する専門的な見解は他に譲るとして、つまり、そのような
彼が音楽という第3の世界に打ち立てたBe‐Bopというジャズの新境地は、20世紀に
作り出されたジャズの中でも一つの大きなスタイルとして人々に愛され続ける非常に
美しい音世界であるという真実が全てを語っていると思う。

美しい音世界の裏の破滅的な人生は、自己表現を唯一追及できる音の世界に全てを注
ぎ込んだ成果なのだと思う。彼の音には「生きたい、表現したいという強い意志」を
感じてやまない。


話を元に戻す。

自己表現には欲求が必要だが、どうも私は「こうしたい!」という高次の明確な欲求
が昔は少なかったのだと思う。だから、基準も自信もない自分がいた。
でも、今は妻や子供をはじめとした家族を何とかしていかなければと思っている自分
がいて、なんとか生きていきたいという欲求を持っている自分がいて、そのために何
かを表現していきたいと行動している自分がいる。

四十を前に恥ずかしい話だが、ようやくこれまでのスタンスに懲りたようだ。

今までの私の自信と欲求は、飽くなき挑戦と失敗の繰り返しから得られる納得感と自
己満足、そして前向きな評価から生まれていた。と思う。
今は、改めて老いと子供の成長を目の当たりにし、様々な方から様々なご支援をいた
だき、人生の有限をきっと認識するに至り、「『むにゃむにゃ』している暇はない」
と自分を奮い立たせるようにしている。


そういえば昔或る上司から「ゴールから演繹する思考に変えるともっと成果を出せる
と思う」と指摘された事があった。有りがたい事を言ってくれていたのだが、今やっ
とその思考パターンが何なのかがわかってきたのではないかと思う。「ちゃんと整理
してから」は、「結論から考えて、筋道立てて」であろう。
これは私にとって、なかなか難しい。

あいからず挑戦の日々は続く。




やっぱり話は長かった。そして、夜も長い、、、秋の夜長のある夜であった。