聖書及びキリスト教では「偶像崇拝禁止」がかなり強いです。

 

偶像崇拝とは「人間が作った像を神が宿ってるかのように崇拝すること」のような意味です。

(もっと深い意味があるかもしれませんが)

 

聖書の信仰では一神教の考え方です。

聖書の神ヤハウェ以外には神はいないとなるので、他国の宗教なども異教や邪教という扱いです。

 

日本は八百万の神という考えが古代からあるし、神社も多くあります

また日本は仏教の方が馴染みがあり仏像も多くあります。

 

聖書の信仰者の方はそれを「偶像崇拝」だとブログなどで批判されているのも何度も見たことがあります。

 

そういう教えだからやはり受け入れ難いのだろうと思います。

 

他宗教への軋轢がかなり強い印象です。

 

私はカトリック系の学校に中学から通ってました。

毎朝礼拝もあるし、学校内に聖書の御言葉(聖句)も貼ってあったり聖書の授業もありました。

 

カトリック教徒の先生も多かったです。

 

かなりキリスト教色が強かった記憶があります。

 

では偶像崇拝に対し否定的でもってのほかなのか?

というと…

 

そういうわけでもなかったなという印象です。

 

偶像崇拝はダメだと生徒達に強調して、圧をかけてくることもなかったです。

 

キリスト教主体なので新約聖書の学びが主だったのもあり、うちの母校は道徳的な学びや情操教育的学びが多かった印象です。

 

なので情操教育として良い学校だったと思うし、良い影響を受けられたと思ってます。

 

私の中学時代の修学旅行は京都でした。

 

その時、みんなで奈良の大仏も見に行きました。

 

 

偶然崇拝禁止のカトリック系なのに、大仏を見に行った…だと…?

 

大仏って一神教の聖書的に偶像の類ですよね?

 

まあ、これは文化遺産を見学に行ってるわけで別に崇拝してるわけじゃないですからねw

 

それにカトリック系の学校だといっても家は浄土宗など仏教系の人の方が圧倒的に多かったです。

 

なのでそのあたり比較的寛容なのかなと思います。