創作界隈、オタク界隈には「布教」という概念があります。
布教は本来の言葉は特定の教えを広めることでしょうが、ここでいう布教は「自分の好きなものや推しをアピールして好きにさせる」みたいな意味です。
自分が好きなものや作品、推しを他の人にも共感してもらったり同士を増やしたい
こんな欲求を持つオタクは多いです。
布教したい気持ちは痛いほどわかります
私自身、自分以外に好きな人がいないもしくは極少のドマイナージャンル「同士いない系」に3回連続でハマってるのでw
某マイナーゲーム(しかも20年くらい前の作品)
↓
ギリシャ神話の美少年達
↓
聖書のダビデとソロモン(今ここ)
どれも同士がほぼいないし(極少)、他の人の創作もほぼ見かけません。
自分が創作しても、需要もほぼありません。
神話創作は意外とこういう人も珍しくないようです。
ちなみに神話宗教創作は、版権の二次創作は含みません。
版権作品はあくまで版権作品で別物です。その作品が好きな人でないと興味持てないです。
神話宗教の登場人物がキャラの1人として登場するゲームやアニメ、漫画は多くあります。
ですが版権は版権であり、原典とは別物だし、その版権作品を好きな人でないと興味持てないんです。(これ重要)
オタク界隈は布教が多いのですが、私自身は友達などに布教することはないです。
自然に好きになってもらう分にはもちろん大歓迎ですが、自分が同士いない系に3連続ハマってきて、多少は耐性がついたのもあります。
また自分自身が、人から布教をされて不快だった経験をしてることも大きな理由です。
どんな布教が不快に感じやすいのか?
私の体験談を元に書いてみます(もちろん感じ方はそれぞれなので参考になるかわかりませんが)
ある友達に布教大好きな人がいました。
その人は自分が好きなものや気に入ったものを誰かに勧めるのが特に好きな人だったようです。
面白い漫画など勧められ、読んでました。
すると「こいつは布教しやすい」と思われたのかエスカレートするようになり・・・
確かにその人から勧められ、好きになった漫画もありましたが、買って読むのもお金もかかるし時間もかかるし。
それに合わないものも当然あります。
それに頻繁に布教されるのはけっこうなストレスでした。
なので適度にスルーするようにしましたが微妙に角が立つというか…。
どうも自分が勧めてそれを私が読まないと「否定された」と感じたのではないかと思います。
おそらくその人は承認欲求として布教をしてたのでしょう。
自分が勧めてそれを受け入れられると、承認欲求が満たされるんだと思います。
そして私が一番悲しかったこと・・・
その人はこちらに対し頻繁に勧めて布教したがるわりに。
私がたまに自分が好きな漫画など勧めても、全部無視されたことです。
自分はやたら布教したがるのに、こちらが好きなものには無関心で全てスルーされる。
こちらには好きになってもらうことを求めるのに、自分は全てスルーするという、一方的な姿勢は悲しいし不快でした。
ちなみにその友達はいわゆる「会話泥棒」系の人でした。
会話やLINEしててもすぐ自分の話をするタイプの人です。
自分が好きなものや推しを布教すること自体は別に悪くないと思います。
布教は口コミの一種でもあり、口コミから良いものと出会えることだって多いですし。
ですが布教するのであれば、自分のだけ好きになってもらおうと求める一方的な姿勢は、相手にとっては不快だし悲しいです。
布教するなら、相手の好きなものにも耳を傾け、少しは興味を持とうとする意識も大事ではないかと思います。
また、布教をして好きになってもらうことを前提にされるのも、される側はストレスになったりします。
「いくら自分が好きで愛してても、興味ない人にとっては興味ない」
ということも頭に置いておく必要もあります。
どうしても布教したい、または知識披露したいのであれば
特定の相手に対してでなく、こういうブログやSNSで発信する方がいいかもしれません。
ブログやSNSは特定の誰かに対してでなく、自己表現してるだけなので、誰かにストレスを与えることもなく、読む人は適度にスルーできるので害はないです。
友達など特定の誰かに布教する方が効果的かもしれませんが、特定の相手にすればその人はSNSのようにスルーできません。
相手にストレスや不快感を与えない配慮も必要かなと思います。