こんにちは、βMelodys(ベーム)です。
今日はちょっと趣向を変えて、私だけの「自己流・枕草子」を作って遊んでいました。
千年前の清少納言さんは「春はあけぼの(春は夜明けが最高にエモい)」と書きましたが、もし彼女が現代のWi-Fiが飛び交う世界に生きていたら、一体どんな日常を「いとをかし」と言ったのだろう、なんて妄想が膨らみます。
私の頭のなかの小鳥も、十二単(じゅうにひとえ)を羽織って、小さな筆を片手に「いとをかし、いとをかし」と頷いているような、そんなのんびりした午後。
かつての私は、「毎日をアップデートしなきゃ」「意味のある時間を過ごさなきゃ」と、外向きのOSをフル回転させて、年中無休で息切れしていました。
でも、今の私は絶賛「こころのOS」をβ版で運用中。
効率の良さはいったん置いておいて、ただただ愛おしい日常のバグ(愛すべき瞬間)を、言葉という音符にして並べてみることにしました。
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【βMelodys流・枕草子】
春は、あけぼの。
……にはあらで、やうやう白くなりゆく空をよそ目に、ぬくぬくとしたる布団(しとね)のうちにて、「いま五分、いま五分」と二度寝の論(ろん)を己と交はしたる、あのまどろみのほど、いとをかし。
夏は、夜。
月のころはさらなり。冷房のいと涼しうききたる部屋にて、わざわざ冷たき氷菓子(こほりがし)を食ひつつ、はかなき動画(どうぐゑ)を指にて繰りたる、あの贅沢なる脳のメモリの無駄遣ひ、いとをかし。
秋は、夕暮れ。
夕日の差して、山の端いと近うなりたるころ。家路(いへぢ)にて、ふと心細さに襲はれむとするとき、よろづ屋(コンビニ)に立ち入りて、新しき甘味(かんみ)と目が合ひ、「よし、これにせむ」とこころの少し定まる瞬間(とき)、いとをかし。
冬は、つとめて。
雪の降りたるは言ふべきにもあらず。いみじう凍えたる朝、あたたかきココアの器を両手にて包み、はふはふと息を吹きかけつつ、「今日もまた、β版(いまだ未完成)の私のままで、のんきに往かむ」とこころに余白を設けたるひととき、いとをかし。
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ここで、ちょっと心が軽くなる、千年前からの雑学をひとつ。
清少納言さんも、実は「絶賛迷子中」だった?
学校の授業では完璧な文学に見える『枕草子』ですが、実はこれ、彼女が宮仕えをしていた華やかな日々が終わったあとに、過去を懐かしんで書いたものだと言われています。
決して順風満帆なときばかりではなく、人生の先の方向性が見えなくなったり、揺れたりしていた時期に、「それでも私の人生には、こんなに美しい瞬間があったよね」と、自分のこころを救う(アップデートする)ために綴られた、愛おしいβ版の記録だったのかもしれません。
そう思うと、私たちが日々やってしまう「二度寝」や「動画の観すぎ」といったちいさなバグたちも、千年前の清少納言さんが見たら「それもまた、いとをかし(愛嬌があっていいじゃない)」と、のんきに笑って許してくれそうな気がしてきます。
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私たちはつい、四六時中シャキッと正解を選び続けられる、無駄のないスマートな生き方を目指してしまいがちです。
でも、ちょっと寄り道したり、だらだらしたりする「未完成な余白」があるからこそ、こころの緊張がすうっと解けて、自分だけの愛おしい旋律(メロディ)が響き始めるのだと思います。
今日も私のこころは、凸凹な日常を愛でながら、のんびりアップデート中。
完全無欠の清廉潔白な人間にはなれないけれど、だからこそ、失敗した日すらも「まぁ、これも私の枕草子の一ページだしね」って、あたたかいお茶を淹れて丸ごと愛せるくらいがちょうどいい。
あなたの日常のなかには、どんな「いとをかし(ちいさな愛おしいバグ)」がありますか?
よかったら、お茶でも飲みながら、コメントでこっそり聴かせてくださいね。
それでは、ゆっくりしていってください。
βMelodys(ベーム)