Mの実家は夜スナックを経営していた。
5人いた子供のうち1歳を超えた子供は夜、
家に置き去りにされていた。
置き去りと言うより
部屋に外から南京錠をかけてしまうので
寧ろ監禁と言ったほうが適切だろう。


景気が悪くなってきていたので
夜のスナックから昼にお店を開く案が浮上していた。
子供達の成長のためにも私は賛成だった。


義父の知り合いの議員を通じて
とある政党の国会議員が演説を夜、市の体育館で行うので
人手が不足していると言うことで
私たちがすでに協力者の頭数に入っていた。
Mの友達にも協力を仰いで手伝ってもらうことになった。
TVテレビでも見たことのある有名な国会議員が演説を行うだけあって
どこからきたのか大勢の人達が集った。
私たちは来客の誘導やトイレなどの施設案内が
ほとんどだった。


終わった後は議員から法律で禁じられている
買収(賄賂)があった。
いわゆる袖の下ってやつ。今回もひとり1万円一万円ずつ配られた。
私は不正が許せなかったから貰うわけにはいかなかったが、
Mがこれを許さなかった。
義父も貰っとけという。
納得がいかなかったが、相手は国会議員国会議事堂(荒れ)
力関係からすればこっちがなにをやっても
権力でねじ伏せられてしまうのがオチだった。
勝算の見込みがなかったので穏便に済ませるしかなかった。


あとから考えればこういう協力も
議員のつて(コネ)を使うための手段だったのだろう。
この前義父が言ってたように
Mの転勤の話が本物になってしまった。
すぐには信じられなかった。
この前話していたばかりなのにあれから1ヶ月ほどで
本当に転勤になるとはどれだけ根回しがいいんだか・・・。
コネとは恐るべし


数日が経ち、義父がまたひと暴れした。
今度は私はその場にいなくて済んだが、
居間にあった座卓が真っ二つになったそうだ。
その証拠に私が訪れた時には座卓が違うものに変わっていた。
座卓はかなり厚みがあったのでこれを真っ二つにしてしまう
義父がとても恐ろしかった。


それとほぼ同時にお店をリニューアルする計画が着々と進行していた。
なんでもスナックをカウンター以外、改装するようで
テーブルと椅子のセットを片付けて、座敷にしてお好み焼きなど焼ける
鉄板付きのテーブルを置くことになった。
お店の外側にも小窓をつけて、

大判焼きを焼いて店外でやりとりできるスペースも設けた。

それによってお店の名称も変更した。


リニューアルによって知り合いなどを呼び、初日は凄い人数が訪れた。
私達も従業員のように注文を取り、料理を運んだりした。
それだけならいいが、下拵えなどもさせられた。
これって許容範囲超えてない?
数々の疑問が脳裏を過ぎった。


後妻は無計画人間だったので、

リニューアル当日なのに下拵えを何もしていなくて

材料も足りないものが多く買出しもさせられた。

それだけではなく烏賊イカを焼いて

出したりするのに一切下拵えしていなくて
烏賊の皮を剥ぎ、はらわたなどを取り除く作業がなぜか私になっていた。
手が生臭く、いくら洗っても臭いが取れなかった。ドワーッ
一方後妻は来た客とタバコ喫煙を吸いながら喋っているだけだった。

ビール一升瓶もあまり冷やしていなくて
ケースから出し、業務用の冷蔵庫に入れたり
ほとんど従業員並み・・・いやそれ以上に働いた。

勿論、一銭も貰えるはずがないので、単なるボランティアに過ぎなかった。

お店の営業時間は昼間は鉄板焼きや大判焼きなどを扱い。

夜は夜でスナックをそのまま続けるらしかった。

当初聞いていた時間とは大幅に違っていた。

土曜日だったため折角の休みなのに

なんでここにいるんだろ、私。ポロッ
そう思う時もあった。


後妻がもうちょっと一生懸命やっている姿を見せてくれたら
こんな風には考えたりしなかっただろう。
私は一生懸命やってる姿みたら、自分も共感して励まされ
自分ももっとがんばらなくっちゃ!って思う単純人間なのに。uwa-n!!*
頼むから私に少しでいいからそういう姿を見せてくれ~!
と、心の底から願っていた。


それらを後からMに言うと

「しかたねーだろ」

の一点張り。

ただひたすら我慢するしか私には道がなかった。




Mが婚姻届を提出してしまったので
残念ながら夫婦になってしまった。

毎日残業付きのフルタイム勤務で
家事全般をやっていたが
限界がきていた私はM
「なんで何もやってくれないの?」
と聞いてみた。


するとMは信じられないことを口にしたのだ。
「子供が出来たら手伝うけど、それまではなにもしない」
そう言い切られたので
それ以上私は反論することが出来なかった。

そのまま仕事と家事と両立させるしかなかった。


限界が来て思いきって言ったのに
その結果があれだったので
何を言っても無駄だろうと諦めた結果だった。


心身共に疲れ果てていた。
どちらかと言えば家庭の方がストレスが大きかったので
ストレスを仕事先で発散させていた。


その頃の私は結構バリバリ仕事をしていたので
公務員特有の年功序列が大嫌いだった。
碌に仕事もしないで胡坐をかいている人ばかりが
周囲に多かった。俗に言う給料泥棒ってやつだ。
それが当時の私は許せなくて
同じ部署にいた碌に仕事をしない3歳年上の同僚♂を
扱き使っていた時もあった。


今の私からは到底考えられないが
当時は若かったから不正などが許せなかった。
曲がったことも大嫌いだったので
徹底的に真実を追求したりしていた。


私の直属の上司が私がココに来る前に
不正を隠蔽したという話を聞いてしまったから尚更だろう。


Mは私の前では亭主関白を振舞っていたが
私は決してそれを望んだわけでもないし
受け入れたわけでもない。


そんなMは父親に決して逆らうことはしなかった。

私が結婚してMの実家に行って
Mの父親である義父に共働きなのに
非協力的だと話すとその時は私の味方になってはくれた。


しかしMはその時理解ある態度を見せるが
帰ると相変わらず家事を協力してくれることはなかった。

ある日Mの実家でMと義父が話をしていた。
「俺は25までは自由にさせてやると言ったが
もう25過ぎたから戻ってきたらどうだ。」
と、義父は言う。なんのことだかさっぱり分からなかった。
「あぁ、そうだな」
Mが返事をしていたような気がする。
よくよく話を聞くと
義父が議員などを介して裏から手を回し
Mを実家の方へ転勤させる話になっていた。
・・・・・。
なんですとはてなマークビックリマーク

転勤はてなマーク

すると義父は続けてこう言った。
「先にMが来てmarryもいずれはこっちに
転勤できるようにすればいいな。」
一体何の話ですか?我が耳を疑った。
「そうだな。」
Mはなぜかそう返事した。

私の知らないところで勝手に話が進んでいく。


後からMに先程の話の詳細を聞き出した。

「確かに25まで好き勝手やってたから

親父の言うとおり仕方ない。」

Mはそんなことを言い出したのだ

はぁ!?

「私まで転勤ってどういうことはてなマーク

「別に残りたいならしなくてもいいんじゃない」

「まさかあの家で一緒に住むの!?

「まだ転勤するって決まったわけじゃねぇから

わかんねーよ」

そういう問題じゃないのに・・・

なんで逆らわないのはてなマーク

明らかにおかしいよねはてなマーク

なんで言いなりなんだろ・・・


Mの親父の言ったことは絶対だった。

水面下で事が進んでいたことに

この時はまだ知る由もなかった。



式が済んでまもなく3週間が経とうとしていた
端から見れば新婚さんだった
しかし蓋を開けてみれば
Mは一向に婚姻届を提出する気配がなかった

私とMは式を挙げて一緒に生活しても
他人同士のままだった
いっそこのまま結婚しないまま
別れた方がいいのかも・・・
そうすればバツがつかない。
と、思うほど疲れてきていた

毎日残業付きのフルタイム勤務で
家に帰って家事全般をするには
いくら私でも精も魂も尽き果てていた

「婚姻届出す気ないのはてなマーク
率直に聞いてみた。
「もう式が終わって3週間になるけど、どーすんのはてなマーク
疲れていたので強気で言ってみた
Mは適当に誤魔化して「出すよ」
とは言ったがすぐには出さなかった。

職場でいつまで経っても姓が変わらないことに対し
皆、「まだ改姓の手続きしないの!?と私は言われ続けた
誰もまさか私が入籍してないとは思わないだろう。
私自身もう届けはどうでも良くなってきていた。

そんな中、職場で私とは違うがGと同じ部署に
1つ年下の男の子hがいた。
部署同士が離れていたので
今までその子がいたことすら分からなかった。

仕事でたまたま話す機会があって
話をしたら人懐っこかった
とても気が合い意気投合して
すぐに仲良くなった。

hはアウトドア派だったので
休みに色々出かけていた。
「いいなぁ、行きたいなぁ」
と、言うと
「迎えに行くから、今度一緒に行こうよ」
と、誘ってくれるが、未入籍とはいえ一応結婚した身
独身の時の様にはいかないだろう。
しかもタイミング悪く
こんな時にMは婚姻届を提出した。
本当に結婚してしまったのだ。何て間の悪い。

hには高校の時から付き合っている彼女がいた。
興味があったのでどんな娘か聞くと
「彼女よりmarryちゃんの方が可愛いっすよ」
と言う。質問と答えが合ってないぞ。
私はhに彼女の我侭に疲れていたので別れたいとも相談されていた。
ある日hの彼女が職場に訪れた
hは彼女に私のことを話していたらしかった
彼女は私の存在が気になったらしく、私を見ると
「やっぱりねぇ、可愛いもんね」
と、(当時は)意味不明なことを言われた。
そして後からh
「ごめんね迷惑かけて」
と言われたがその時は何のことだか分からなかった。

数日後hは彼女と別れられた。と私に報告してきた。
「よかったね、と言うべきはてなマーク
と、聞くと
「うん、これで何も俺を縛るものはないビックリマーク
と言うので「じゃあ、おめでとう」と付け加えた。

それから公私共にhと一緒にいる時間が長くなり
自分が結婚しているのだという事を
忘れてしまう時もあった
hとは友達関係であったが
私はhに心を開いていたので
Mに言えないようなことも
hになら言うことができた

仕事と家の家事を両立できたのも
hがストレスを軽減してくれたことにより
こなすことができたのだろう
バス通勤だった私はバス停から自宅までの間に
買い物が出来るスーパーが全くなかっので
今日のごはんどうしよう・・・と悩んでいると
hがいつもタイミングよく声をかけてくれていた
それに私は甘えていた

送ってもらう時に買い物にもつき合わせちゃって
楽しそうに一緒に夕飯の買い物をするので
hと私が夫婦のようであった。

ある日、夕飯を食べようとしていたら自宅に電話がかかってきた
出ると相手はhだった。
仕事の内容での電話だったが、hからかかってきたので
ちょっとビックリして慌ててしまった。
それをMが勘違いして怒って出て行ってしまった。

「ごめん、旦那が怒って出て行っちゃった」
「えぇー!!ホントに!?ごめんね泣
hが謝ることじゃないよ、でもやっぱり家にはかけて欲しくない」
「ごめんね、本当にごめんね」
やましいことは一切ないはずなのに
なんでこんな会話だったんだろ。
hは全然悪くないのに、hに悪いことをした。

Mは2,3時間して帰ってきたが
誤解とはいえ気まずかった。
それでも結婚してしまったので
何事もなかったように平然を装うしかなかった。
実際に私はhとはなんでもない。
ただの同僚であり、友達だ。
だけどあの時なんであんなに動揺したんだろう。
自分でも分からなかった。
でもきっとMに知られることを恐れていたのかもしれない。
それなのになんで結婚したんだろう。
しなければ良かった
すべては遅すぎた。
結婚式も間近に迫り
両家の両親の顔合わせも済んでいなかったので
一度くらいは・・・と思って
結納の代わりに食事会を開こうとした。

Mの実家は子供がたくさんいて遠出が難しいので
私の両親にMの実家の方まで来てもらうことになった

一応両家共正装での顔合わせとなった。
子供達も普段と違い小奇麗な格好をしてもらえていた。
食事会を開いた場所はMの父親の知り合いのお店だった
小さな子供がいたため、個室に通してもらった。

両家とも今回が初対面同士だったので
最後まで堅苦しかった
私の両親を恐ろしいMの実家に
泊めるわけにもいかないので
夕方私たちは帰ることにした。

この時Mの実家に泊まらなくて済んだので
とてもほっとした。

結婚式の準備と同時に
新婚旅行の手配と引越の準備も進めていた
結婚するにあたって一緒に住むことになるわけなので
部屋探しも行った。
他の事は非協力的なのに対して
部屋探しに限ってはこれから自分が住んで生活するわけだから
意外に協力的だった。

新婚旅行はまだ行ったことのない海外に行ってみたかった。
しかしM
「飛行機乗って落ちたら嫌だから、海外なんて絶対嫌だビックリマーク
とか言い出した。
そういう機会がないと海外なんて行けないのに・・・
しかも落ちることを考えたら何も出来ないじゃん!!
と、思ったが口に出さずにいた。
「北海道に行ったことないから北海道に行きたい」
と言ったので北海道に行くことにした
海外に行きたかったけど・・・仕方ないので諦めた

北海道へ行きたいとMが言った一言で
決めたはいいが、北海道は広いのでどこへ行くか迷った
高校の時、修学旅行で北海道へ行っていたので
札幌にも函館にも行きたかった
私一人で決めたので無茶なコースになってしまった
言いだしっぺが何も手を差し伸べてくれなかったからだ

旅行会社の人も一人で訪れてきていた私に
親身になってアドバイスをくれたので
なんとか新婚旅行も形になった

でも後から考えると新婚旅行なのに
一人で決めて手配して
これって何か違うよね
当時の私はこんな不自然なことに気が付くことが
できないくらい一生懸命だった

なんとか式の準備と新婚旅行の手配を
式当日までに間に合わせることができた
前日に母が式場内のホテルに泊まり
独身最後になるはずの夕食を共にした

母とこんな風に会話することなど
かつてはなかったような気がしてきて
もうこんな風に母と会話もできなくなるのかと思ったら
結婚式自体をやめたいと思った
マリッジブルーというものに
この時初めてなったのかもしれない

式の当日もMは新郎であるにも関わらず
疲れた顔をして嬉しそうでなかった
それは友人・同僚も同じ事を思ったらしく
「主役なのに相変わらず嬉しそうじゃないね」
と、私が思ったことを代弁してくれていたようだった

Mの友人が2次会・3次会を開いてくれて
私の友人たちも勿論参加してくれて
友達に祝福されて結婚したかっただけとはいえ
とりあえず頑張った甲斐あって式は順調に終了した。

新婚旅行も1週間ほどお休みをいただいて行ってきた
普通は幸せ絶頂期と思いきや
私達はそうではなかった

共同生活を始めたはいいが
Mは家事を一切やってくれなかった

別に私は仕事を辞めたわけではない
俗にいう共働きというものだった

私は朝、早めに起きて朝食を作り
食器も洗ってゴミを捨てて
そして仕事に出かける
勿論Mはただ食べるだけ
昼間はお互いに仕事。
疲れて帰宅してごはんを作りながら、洗濯をして
お風呂の準備をする。
私の毎日は意外にハードだった。

お風呂に浸かる時が唯一ゆっくりできる時だった
ごはんの後片づけを済ませ、翌日用のお米を研ぎ
次の日の準備をしてやっと床につくことができた
さあ寝ようと思って時計を見ると
時間は大体1時過ぎだった。
それでもM
「毎日遅いけど、もっと早くできないのはてなマーク
と横槍しか入れてこなかった

最初は一人で頑張ってやっていくのだが
常に全力疾走だとやっぱり途中で疲れてしまう
こんな私にMは手伝うどころか
文句しか言ってこなかった

私が仕事から帰ってきて夕飯の支度に手間取っていると
「もうちょっと簡単なものでいいから
もっと早く作れないわけはてなマーク

など、何もしてくれないのに
手は出さないくせに、やたら口を挟んできた

仕事でMが私より早く帰宅していた
MTV1を見ていて私が帰ったことに気づくと
「腹減った、早くメシ」
と、疲れて帰ってきたばかりの私に言ったのだ

私だって・・・
仕事で疲れているのに
なんで何も手伝ってくれないのはてなマーク
私だってTV1見たいのに。

結婚ってなんなんだろう。
もっと楽しいものを創造していたはずだった。
式を終えて2週間以上経った。
婚姻届の承認の欄まですでに記入済みだったが
まだ提出していなかった。

記入済みの婚姻届はMが持っていた。
しかしMは一向に出す気配がなかった。
Mの実家にはMの父親と後妻の間に
5人の子供がいる。
長男α、長女β、次女δ、三女ε、三男ζの5人。
次男のγは赤ん坊の頃コタツで寝かせたままミルクを飲ませ
親がうたた寝をしている間に窒息して亡くなったそうだ。

Mの実家はスナックを経営しているため
夜、子供を家に置いたまま出かける

仕事だから仕方ない。
しかし腑に落ちない点があった。

なにかあったら危ないからと言って
出かける前に
子供達を2階の子供部屋に押し込み
部屋の外から南京錠をかけるのだ

子供がたとえ夜中にトイレに行きたくなっても
部屋の外に出ることもできないのだ。
実際、夜中にトイレに行きたくなって行こうとしたけど
外から施錠されているので子供のちからでは
どうすることもできなかった。

そうなったら大人もだけど
子供は我慢できるはずもなく
部屋の中でお漏らししてしまうしかなかった
子供にとって実に気の毒である

そんななすすべもない状態にも関わらず
翌朝母親は子供を怒るのだ
「ちゃんと寝る前にトイレ行けって行ったのに、行かなかったのはてなマーク
「ちゃんと行ったよ」
「ちゃんと行ってたら行きたくなるはずないだろ」

大人だって寝る前にトイレを済ませても
夜中に行きたくなる時だってあるのに
あまりにも理不尽だ

そんな理由で子供を怒り
ごはんなしの罰を与えたりするのだ
本当にありえなかった。

しかしまだこの時は
“虐待”という言葉が世間に今ほど浸透していなかったので
こんな状況を見ていてもどうすることもできなかった

ある日長女βの髪型が不自然だった
βは私に懐いており
「marryちゃん見て~」
と言って前髪を持ち上げて私に
不自然な地肌を見せた
「ここだけなんか髪の毛ないの」
その部分は500円玉500円よりずっと大きかった。

円形脱毛症だった
まだ5歳なのに・・・

後妻に話しを聞くと
βはパパが好きなんだけど
パパはβが(自分の)妹に似ているからって嫌がっているみたい」
と、後妻は自分の子供のことをそんな風に言うのだ

両親2人に愛情をもらえないβを不憫に思った
しかし両親に愛情を貰えないのは
βに限ったことじゃない

Mの実家の子供達は同じ年齢の子供より
2学年くらい成長が遅れていた
それは小柄とか成長が遅いとか
そんな言葉で片付けられないほど
極端に成長が遅れていた

ごはんなしの罰だけではなかった
ミルクを飲む赤子も同じような対象だった
ζは生後6ヶ月だと言うのに
未だ寝返りも打てなかった。
多少個人差はあるけれど多少ではなかった。
赤ちゃんと言えばふっくらしていて足とかボンレスハム状態だ
そこが可愛いのだけれども
Mの実家の赤ちゃんは足も細かった。

見ているとミルクを一日一度しか飲ませない時が多かった。
おなかがすいて泣くと
おしゃぶりを銜えさせて我慢させ
泣きつかれて寝てしまう。
その繰り返し。
6ヶ月だと離乳食が始まったりはするけれど
まだまだミルク中心のはず。
後妻は母乳が出なかったのでミルクだった。

後妻は自分が吸うタバコ喫煙は毎回買うのに
子供におやつは買わないし
ミルク代もケチっていた
オムツ代もケチってオムツがパンパンに膨らむか
横漏れしない限り換えてあげなかった。
だからオムツをしている子供達はオムツかぶれが酷かった。

その当時の私はどうしたらいいのかわからず
どうすることもできなかった。