4月になりMが転勤になった。
私とMは事実上別居と言うことになったのだ。


借りていたアパートはそのままにし
平日は実家から仕事に通っていた。
久々の家事からの解放。
何もしなくても帰宅するとご飯ごはんが出来ている状況。
改めてそういう環境に感謝した。


そして私はMから解放されることにより
再び自由を手にした。
結婚しておよそ半年経つが
早く子供が欲しかったのにも関わらず
未だに子宝に恵まれなかった。


なので同僚からの遊びの誘いは断らなかった。
またしても自分が既婚者であることを忘れることが出来た。
とはいっても元々そんなにお酒は好きではないので
羽目をはずすことはしなかった。


そして週末になると
Mがアパートへと帰ってくるので
金曜はアパートへ帰りMが来るのを待ち
土日だけ家事をする生活が始まった。
Mも毎週末に洗濯物の山を持ってきたが
たまにやる家事は以前に比べると
全然苦にならなかった。


それだけでストレスが随分と軽減できた。


結婚とはこんなにストレスがたまるものではないはずなのに
私のストレスは溢れる寸前だったのかもしれない。


この時は周囲の友達が誰一人結婚してなかったから
相談する相手がいなかった
職場の先輩にはいくらか話したりもした。
「marryちゃん最初が肝心よビックリマーク
って言われたけど

その最初の部分からうまく言ってなかったので
どうすることもできなかった。
どうにかしたいと思って

勇気を出していった結果が散々だった。


私が頑張っても

Mはその頑張りを認めてくれなかった。

それどころか踏ん反り返っていた。


離婚という言葉も浮かんだが

世間体を気にしていた私は

浮気をすることもできず

Mの言いなりになるしかなかった。

それでも心の底では

いつか認めて褒めてくれるだろうと

信じていた。


結婚して半年

未だにMに名前で呼ばれたことがなかった。

M以外は皆、名前で呼んでくれたのに

何でなんだろ・・・

日頃から疑問に思っていたが

それを口にすることはなかった。


結婚は人生の墓場とよくいうけど

Mとの結婚は私にとって本当に墓場そのものだった。


そういったストレスを自由になった今

発散することができるのが嬉しかった。


しかしその自由もそう長く続くことはなかった。


3月になりMの転勤も間近に迫っていた。
そんな中、Mの実家のα(アルファ)
4月から小学校に入学するのだ。
ピカピカの1年生になるのだから
本人もだけど親もとっても嬉しいはず。
普通の親なら・・・


後妻はやはり普通ではなかった。
Mの父親に怒られた翌日に通帳と現金を持って
実家に帰ったのだ。
それは毎度のことだけど、αの入学が間近に迫った状態で
聞けば準備も何一つ済んでいないとのこと。


一番最初の子供のことだと親は分からないことだらけで
不安になり早くから何が必要なのか等見聞きして
揃えるものだけど後妻は違っていた。


今回後妻はα以外を連れて行った。
後妻が家を出る時にα「パパと残る」と言ったそうだ。
その一言に対して後妻はα

 「あ、そう」とあっさり言って

α以外を連れ実家に行ったらしい。


もうすぐ小学校に入学するのに
嬉しくない子供はいない。
後妻と一緒に行くと学校に行けないのを察したのかもしれない。


後妻がいなくても義父はお店(スナック)をあけていた。
売り上げのためとかではなく家にいても仕方ないからなのだろう。
αのことが正直可哀相に思えた。
お店はカラオケの機械をおいていたので
αが選んだ曲を一緒に歌ってあげた。


母親がいなくて不憫だがあんな親なら
いない方がいいのかもしれない。
できるだけαが寂しくならないように
一緒にいて気を紛らわせてあげるようにした。


幾度となく現金と通帳を持ち出し
家出を繰り返す後妻と義父が離婚せずにいることに
疑問を抱き義父に問いてみた。
すると義父にはそれなりの思いがあったようで
その思いを語ってくれた。


義父と後妻の年齢差が27歳差
今はまだ体が健康で動くうちは収入があるが
子供達が成人する頃には自分の年齢が70歳を超えていて
仕事が出来るか分からないので
それまでに少しでも子供のために貯金をしてあげたいという
意図があったようだった。

(義父は50歳とは思えない肉体の持ち主だったので

そんな話をされても正直義父なら70歳でも現役で仕事してそう・・・

とこの時は不覚にも思ってしまった。ahaha;*


しかし、この時点で前妻・後妻の子供が7名(後に増加する)
単純に子供に対して1人100万ずつにしても
最低700万は貯金をしなければならなくなる。
実から出た錆とはいえ切実な問題だった。
義父にそういう考えがあっても
後妻が将来のこととか全く考えがないので
夫婦関係はお世辞にもうまく言っているとは言いがたかった。


他人事ながらいっそのこと今のうちに離婚した方が
義父だけではなく子供にとっても
身の為なんじゃないかって本気で思った。
両親が揃っているからといって
子供が幸せになるとは限らない。
古い考え方しか持ち合わせていない
義父にはそれが全く分かっていなかった。


土日にMの実家に行き
月曜から仕事のため
日曜の夜に帰るのだがM
「片づけまでやっておいてくれ」
と言うので後妻がいないしまぁいいか。
と、食べ終わった食器も片付け
翌日楽なように色々しておいた。
後妻がいないので部屋や台所がいつもより綺麗だったから
片付けもしやすかった。


私とMはこのまま帰宅したけど

後妻は入学式桜咲く当日になっても

帰ってくることはなかった。


職場では仕事をこなし言いたい事を
できるだけ溜めないでいたので
仕事のストレスはほとんど溜めないでいた。


共働きなのにMが全く家事をしてくれず
文句しか言わないので
私は家庭という場所に疲れていた。

そんな家庭に段々帰りたくなくなっていた。


あぁ~今日もまた帰ってごはん作って
お風呂やって洗濯して・・・
一生懸命やって褒めてもらえないのかなぁ


本当にMは私に冷たく
家事を手伝うどころか文句しか言ってこなかった。
私が一生懸命やってもそれを一生認めることはなかった


そんなMと対極だったhといる方が
数倍楽しかった
なんでMと結婚したんだろう・・・
と考える時も多々あった。
でも結婚してしまったのでどうすることもできなかった。


毎日ではなくても仕事の帰りにhと行動を共にするのが
日課となってきていた。
Mに話せないようなこともhには話せたし
何よりGにされたことを話した時は
自分以上に怒ってくれ
その後も態度が変わることなく
私に優しく接してくれた
だから私はhをとても信頼していた。


職場の同僚でhと同じ部署の数名と

よくカラオケに行ったりもしていた

もちろんそこにはhもいた。


各自車で通勤していたので

乗り合わせて行く以外は

私はhの車に同乗していた。

他の皆は私とhが仲良かったのを知っていたから

何も感じなかったのかもしれない。


ある日Mが今日は遅くなるから
ごはんを食べないと言われ
hに伝えたら
「じゃあ今日は一緒にごはん食べれるね」
と、とても喜んだ

そしてごはんを食べた後
山の方へドライブした
「marryちゃんに見せたい景色があるんだ」
と言って連れてこられた先には
綺麗な夜景があり、湖も見えた。
「うわぁ綺麗だね」
Mとはデートといえることもしたことがなかったので
私はとても楽しかった。
「喜んでくれたはてなマーク
「うん(´v`)とってもはーと
素直に嬉しかった。
hは突然真顔になりこう言った。
「marryちゃん・・・好きだよ」
ビックリマーク
それはあまりに唐突だった。

結婚してるのに・・・
こんな私を好き・・・はてなマーク
気が動転していた。
口から思ってもいないことが
次々と適当にこぼれ出た

そしてhにその口を塞がれた。
hにキスされた・・・。

「・・・ごめん」
「・・・。」
「でもmarryちゃんのこと本気で好きなんだ」
「・・・私の方こそ結婚しててごめんね」

hの優しさに甘えてしまって
好きになりかけてたけど
結婚してしまったからと
自分の心にブレーキをかけていた。
受け入れたい気持ちはあるのに
結婚さえしていなければ・・・
そしてhをそんな気持ちにさせてしまって
本当に申し訳ないと思った。

Mの実家に行っても自宅でも
家政婦状態の私は一向に休まる場所がなかった。


共働きであるのにも関わらず
Mは家事一切を私に押し付け
至らないところがあると私を罵っていた。


私は週末に掃除をしていたのだが
Mはかなりの潔癖症だったため
特に掃除の面で「汚ねぇ、汚ねぇ」
と、連呼し自分では何もしなかった。


家庭内でストレスがたまり、発散するところがなかったので
職場が唯一のストレス発散場所だった。
言いたい事を我慢せず言えるだけでも
ストレスが違っていた。


そんな私のストレスを軽減してくれたのが
hの存在だった。
歳も1つしか違わず話も合ったので
職場でも違う部署でありながら
一緒にいることが多かった。


平日仕事が終わってからだと
遊ぶ時間もないので
平日に休みを合わせて遊ぶ約束をした。


悪いことをしているわけではなかったが
あえてMに言わなかった
言わなかったことでどきどきした。


Mが8:10頃に出かけるので
9時頃に迎えに来てもらう事になっていた

9時に家の脇の幹線道路で待ち合わせた。
時間通りにhは来た。

「おぉ~今日も可愛いっすねハート

「もうぅ 何言ってんの~わはは
大体のお店が10時から開くのに9時に待ち合わせて
二人してどうしようか~なんて言っていた。

「ちょっと一旦家に帰っていい?」
「いいけど忘れ物?」
「うん」



初めてh家に来た
「ちょっと待っててね」
hは家に入った。
彼女でもない人間が助手席に座り
平日家まで行くのは端から見れば
おかしいのかな・・・と考えたりした。


しかもhの家は職場からかなり近いところにあった。
職場の人が見たらなんて思うんだろ
と考えていたらhが戻ってきた。
「お待たせ~音符

「どこ行こうか~とりあえずドライブしようか」
そう言ってhは車を走らせた。
hの車はスポーツカーだったし
少々いじっていたので早かった。
私もスピードが速い方が好きだったので
楽しかった。きゃはっ

その後は夕方くらいまでめいいっぱい遊んだ。
おかげでストレスが発散できた。にこ*きらきら


それからもhとは一緒にいる時間が増え
平日もhと少々遊んだりしてから
19時くらいに帰るようになった。

カラオケに行ったりもしていたが

1時間しか歌えなかったので

ゲーセンに行ったりもしていた。

hはごはんを一緒に食べたかったみたいだったけど
外食してしまうと家に帰ってから
ごはんを作ることができなくなるから
それだけはできなかった。

でもhがあまりにも一緒にファミレスに

どうしても行きたがっていたので

懇願に負け承諾した。


私は夕飯を食べるわけにもいかなかったので

デザートを注文した。

hと楽しく会話していると19時をまわっていた。

それなのに注文したものが一向に届かなかった。

店員にまだ来ないことを告げると

「申し訳ございません、今からお作りしてお持ち致します。」

と言われた。いっ今から・・・はてなマーク

ちょっとそわそわしながら今から届いて

食事したら20時なっちゃうかな・・・

って考えてたら段々落ち着かなくなってきて

hがそんな私に気づき優しく

「・・・帰ろっかshun...*

「うん・・・ごめんね」

食べることなく帰ることになった。

「ごめんね・・・本当にごめんね

次はちゃんと一緒に食べようね」


悪いことをしていなくても

後ろめたい気持ちがある以上は

良くないことをしているのだと思った。

こんなことがありながらも

本当に鈍かった私はhの気持ちに気づくことがなかった。

しかしhを振り回しちゃっているような気はした。

だけど若い私はhに甘えたままでいた。

私は若いうちに結婚したが
なかなか子宝に恵まれなかった。

しかし意外なところに子宝が授かった。
後妻がまた妊娠したのだ。
7回目の御懐妊である。
またですか・・・冷

計算すると私達が結婚したくらいに作ったらしい
無計画にもほどがあるビックリマーク
その時に一番下ζ(ゼータ)およそ2歳くらいだったが
未だに寝返りをうつくらいしかできず
歩行することができなかった。

ある日私は興味本位で
ζ(ゼータ)を持ち上げ体重を量ってみた。
最初に自分の体重を量っていたので
それを差し引くと・・・

「なっ、なっ、7キロぉ?」

※2歳児の平均体重は個人差はあるものの
10.4から13.4キロが平均だった。

しかも7キロですよ。
乳児の7キロだと大体生後5~6ヶ月相当が該当する。
いくら個人差があるといっても
これは酷すぎるだろう。
TVで虐待のニュースが流れて
餓死した子供の体重が流れた時も
ここまで酷くはなかった。

見た目は赤ちゃんだけど
ふっくらしていないので
骨と皮だけで生きてるような子供だった。
生まれた時は3キロ以上あったが
およそ2年で4キロしか増えていないことになる。
碌にミルクを与えて貰えなかったので
著しく発育せず発達もままならなかった結果だった。
可哀想だけど生命力が凄いなと感じた。

Mの実家で義父が
「ζ(ゼータ)はいくつになったんだ?」
という話になり、まもなく2歳だと分かると
義父は信じられない行動に出た。
「2歳なら普通歩けるはずだろう、
なんで歩けないんだ!」
と、竹刀の半分ほどの太い棒を取り出し
歩く練習をさせた。
そんな無茶苦茶な・・・
発育も悪く、未発達の子供に対して
歩けないとその太い棒で足を叩くのだ。

この家の子供達は(叱られるのではなく)怒られる時に
この太い棒で叩かれるのだ。
見ているだけでも痛い。

叩かれたζ(ゼータ)は当たり前だが大泣きしていた。
大泣きしながらも精一杯歩こうと努力していた。
そんな状況を見ていても
私達はどうすることも出来なかった。

たとえ第三者が介入しても
あの状況で止められる人間はいないだろう。
止めようとしてもきっと
「これは躾であって虐待じゃない」
と、言い張るだろう。
子供は親を選べない。
この家に生まれてきたことが不幸の始まりだった。

ちゃんと愛情を注いであげることができないなら
ちゃんと育てることができないなら
産まなきゃいいのに
子供を作らなきゃいいのに。

この夫婦にとって子供もペットも同じなのだ。
Mの実家では子沢山だけではなく
を飼っている
後妻は猫には適当に餌を与えるが
犬にはたまにしか餌を与えず
散歩もあまり行かない。

犬も子供もこの家に住むとガリガリになる。

犬はあまり餌をもらえず
外にある犬小屋に繋がれたままで
お世話をしてもらえないから
犬小屋の周りは糞尿が撒き散っており
掃除もしてもらえなかった。
餌をもらえない犬はおなかがすいた時に
自分の糞を食べて生き延びるしか方法がなかった。
おなかが空きすぎて声を出して吠える気力もなかったらしく
吠える声を聞いたことがなかったような気がした。

そんな犬が長生きできるはずもなく
弱りながらいつのまにか亡くなっていた。
愛情を注いで飼っていたならば
悲しくてもう飼えない・・・
と、なるはずだが
亡くなって悲しんだ姿を見たことがない。
それどころかまた飼おうとするのだ。
碌にお世話できないのに。

後妻にとってペットも子供も同じなのだ。
欲しいから産む、お世話は面倒くさいから嫌い。
人の親になったのに命の尊さとか
子供に教えてあげる以前に自分自身も
分かっていない未熟な親だった。

子供に対しての虐待はこれだけでは終わらなかった・・・。