前回、式のドレスを決めてしまわなかったことを
後悔することが起きた。
Mの父親がまたもや余計なことを言い出したのだ。

式の衣装を知り合いの呉服屋に借りろという。
「ははてなマーク
呉服屋・・・はてなマーク
Mが父親に反論するはずもなく
そのままMの実家の隣の市にある呉服屋に
全員で行くことになった。

呉服屋に入ると勿論、反物しか置いてなかった。
店主も「ウチは洋装はおいてないです」と言う。
当然の反応だった
しかし、たまたま1点だけ白のウエディングドレスがあると言う
おいおいっ選べないの
冗談はやめてぇ冷汗

しかしあったのはいいが、サイズが9号のものだった。
私は小柄だったので、普段着ていたサイズは5号だった。
試着してみろと言うので、試着だけなら・・・と思い
言われるとおり試着してみた

がっ・・・

普段5号の服を着ていた私に
9号のドレスはあまりにも大きすぎた。

そしてまたもやMの父親が余計なことを言い出した
「呉服屋なんだからサイズ直したりできんだろはてなマーク
直す以前にどう見てもサイズあってないでしょはてなマーク
っていうかこれに決めたとは誰も言ってないビックリマーク
無茶苦茶にもほどがある!!

呉服屋は
「洋装は専門外なので
脇などは補正したり出来ても
ちょっと無理かも・・・」
と、確かに言ったのだ。
いやいやちょっとどころじゃないでしょ汗

しかしMの父親は
「それでいいだろ、もう決めろ。決まりだビックリマーク
と言った。
何ですと!?
普段着じゃないのに・・・
ウエディングドレスですよはてなマーク
特別な時に着るものですよねはてなマーク

納得いかないのでMに不満を漏らすと
「とりあえず親父に合わせろ」
と言う
何で・・・!?

Mに反論しても逆切れされるだけなので
それ以上何も言えなかった
一体誰のための結婚式なんだろう・・・ポロッ

その後Mの父親は自分が着るモーニングを
呉服屋で楽しそうに選んでいた
家出から帰ってきた後妻も留袖を呉服屋で選んでいた。
後妻は実年齢は私の2歳上だが
老け顔のため留袖を着ても
違和感がなかった

いいなぁ選べて・・・
どちらが結婚式の主役だか
もはや分からなかった

明らかに向こうが間違っていても
Mが父親に反論しているところを
今まで一度も見たことがなく
それをMに尋ねると
「親父の機嫌が悪くなると後が面倒臭いから。
機嫌損ねると親父はくどくなるから」

と言う。
親のご機嫌とってどうするんだビックリマーク
ってか親に言いたいこと言わないで
一体誰に言うんだ!!
今もその時もそう思った。

私は思ったことがすぐ顔に出るし
相手を選ぶけど言いたいことははっきり言う
それが私だった。
勿論、親に遠慮なんてしたことがない。
だからMが言っていることが全く理解できなかった
その時に結婚をやめていれば不幸の階段を昇らないで済んだのに。。。
今となっては後の祭りだ。

Mの父親と後妻が衣装を選んでいる間
私は子守だった
なんせ0歳から6歳までの5人も子供がいて
勿論一緒に連れてきていたから
子供達はすっかり飽きていた
親は子供をほったらかしっぱなしだったので
私が子供達の相手をしてあげていた
・・・・・・こういうのって普通おかしいよね
本当に誰が主役なのか分からない状態だった。

結局、私には選択の余地もなく
呉服屋にあった白のドレスを着ることになった
その後、式場へ行き
他のドレスを選ぶことにした。
予算の関係でもう一着しか選べなくなったので
もう一着は勿論、好きなピンクのドレスに決めた
と、言っても5号のドレスはなかったので
7号のドレスを直してもらうことにした

やっぱり自分で選んだドレスはいいなぁうっとり・・・
当たり前のことだが
試着した時にそう思った。

Mは相変わらず私に無関心のままだった
早くしろとは言わなかったが
「決めたはてなマーク
一緒にドレスを見に行って試着しても
その程度の反応しか示さなかった。

その時はおかしいと思わなかったけど
今思えば、結婚するもの同士が一緒にドレスを見に行って
普段の買い物じゃなくて結婚式のドレス選びなのに・・・
その程度の反応ってやっぱりおかしい。

Mはほとんど何もしてくれなかったので
その時の私は結婚式の準備を
ほぼ一人で進めていたから
平日は仕事しながら土日しなきゃいけないことを計画し
土日は式の準備等、日々忙しくいていて
全てがおかしいことに気づく余裕が全くなかった。
とある日の土曜日。
結婚式場へ行くのでMの実家にまず立ち寄った。
するとMの父親しかいなくて閑散としていた。

また後妻が家出したのだ。
しかも出て行ったのは昨日だと言う。
相変わらず通帳と現金すべてを持って行っていた。

Mの実家で家政婦扱いの私は
案の定M
「茶を入れてやってくれ。」
と言われ仕方なくMMの父親にお茶を入れることにした。

しかし台所に入ろうとすると
まるで空き巣が入ったかのように
部屋中が散乱していた。
元々後妻は家事を疎かにしていたのと
片付けると言う言葉を知らないんじゃないかって思うくらいに
物をそこらじゅうに置きっぱなしにしていた。

普段そこで食事するわけでもないのに
狭い台所の中央に食卓テーブルがあって
その食卓の上に物が所狭しと置かれていた。

その物というのも本当に訳の分からないものが複数あり、
酷い時は鍋と花瓶と水槽(魚が入っている)と
カブトムシが入った虫かご(夏場)など
食卓に並べる必要のないものが
並べられていた。
水槽もだけど虫かご食卓へ置くなんてありえないビックリマーク
しかもカブト虫・・・入ってるのに冷
ありえないことにそれもMの実家では
日常の風景の一部だった。

お茶を入れようと茶筒の蓋を開けると
お茶葉はなく、お湯を沸かしている間に
予備がどこかにあることを期待しつつ
探すことにした。

しかし数分後、探したことを後悔した。

台所にある食器棚や戸棚を見ると
恐ろしいことにゴキブリホイホイが普通に置いてあったのだ。
それも未開封ではなく、明らかに使用中のものだった。

大の虫嫌いだった私は鳥肌が立った。ガクブル
しかしもっと恐ろしいものを発見してしまったのだ。

食卓の上に隙間なくものが散乱し
茶筒が置いてあった隣に醤油差しやポットが置かれていて
ポットの真横にもホイホイは置かれていたが
その付近に何か徘徊している
無数の小さな物体を目にしていた。

触覚があったのでそれが何であるか一目で分かった。
本当に恐ろしい時は
声を出すことができないものである。

私はその場からすぐに立ち去り
慌ててMを呼んだ。
Mはかなりの潔癖症だったので
その光景を見ると
「きったねぇビックリマークくそっビックリマーク信じらんねぇ!!
と吐き捨てながら、食卓の上を綺麗に片付け始めた。
殺虫剤を散布しながら、害虫を悉く退治して
見事なまでに食卓がみちがえるほど綺麗キラキラになった。

本来、食卓のあるべき姿がこれなんだけど
後妻が戻ってきたら元の木阿弥になってしまうだろう。

食卓の上のゴッキー達は小ぶりのものがほとんどだったが
生まれたての半透明のものも多数いた。
私はその時ゴッキーの赤ちゃんを初めて目撃した。
勿論、虫嫌いのなで感動は一切なし。

ゴッキーって夜行性じゃないのはてなマーク
なんでこんなに多数いるのはてなマーク
しかもココって食卓の上だよねはてなマーク
食卓って普通、ご飯食べるところだよね!?
ショックのあまり一人で自問自答を繰り返していた。

私の実家ではゴッキーを見たことがなかったから
本当にショックが大きかった。ガーン

暗い気持ちになりながら式場へ赴いた。
今回はお色直しの衣装選びだったので
すぐに暗い気持ちが吹き飛んだ。
私って単純。nipa*

ドレス選びの衣装部屋では多数展示してあり
見ているだけで楽しかった
ここから選ぶなんてできるかな
と思うほど陳列されていた

当時から私のカラーはピンクだったので
ピンクと白と他のドレスにしようと考えていた
衣装がありすぎてその場で選ぶことができず
次回に見送ることとなった。

そしてその後再び、Mの実家へ戻ることとなった。
楽しい気持ちは一気に急降下した。がーん

結婚する前から家政婦扱いなので勿論夜ご飯の支度は
私がすることになるのだが
日中の害虫騒動で綺麗になったとはいえ
台所に入ることに抵抗があった。

入る前に電気を付け
一帯を見渡し徘徊するものがいないか確認。
何度も指差し確認をして
安全を確かめ、台所に入った。
それくらい虫が大嫌いだった。

台所の潜入に成功したのはいいが
さて、なにを作るべきか・・・
冷蔵庫を開けると食品がたくさんあった。
しかし、食べられそうなものは少なかった。

お豆腐はすでに1週間以上も賞味期限が過ぎ
割引されていたお惣菜も賞味期限が数日経過していた。
後妻が出て行ったのが昨日だったから
逆算しても後妻が家出する以前から期限切れだったことになる。

恐ろしいのはそれだけではなかった。
野菜室を見ると半ば変色して
液体化したものが多数見えた。

その時に私は野菜が腐ると液体化することを初めて学んだ。
変わり果てた野菜の中に、白一色になった苺を発見した。
その苺はパックに入ったまま
一度も食べられることはなかった。

他の野菜を見ると
ピーマンは液状化していて
袋にピーマンと書いていなければ
判別が不可能な状態だった。

長葱は乾燥しており
外側をいくら剥いても
瑞々しさが全く残っていなかった。

椎茸はパックの中で黒一色になっており
二回りほど縮小されていた。

面白いことに同じキノコ類のシメジは
袋の中で菌が繁殖して
石突きの部分から白く埋め尽くされていた。

虫は大嫌いだったが
こんなんでも観察虫眼鏡は楽しかった。

しかし楽しかった観察も
虫がいることによって一転した。

よく見ると奥に黒いものが・・・
冷蔵庫の中は10度以下のはずなのに
小さな虫が奥で飛んでいたのだ。
・・・ありえない!!わお!!
絶句した。

そんな冷蔵庫の食品を食べられるはずもなく
Mに事情を話して、スーパーで食材を購入し
適当にご飯を作った
今回の害虫騒ぎのあとだったこともあり、
Mは冷蔵庫を見てあまりの凄さに驚愕し
「何だこれは!?
と言うものの冷蔵庫まできれいにすることはしなかった。

食事の後片付けまで済ますと
実家へ帰ることになった
今日は事件が多すぎて疲労困憊だった。

私はこの日以来
黒くて動くものに過剰に反応するようになった。



土日と違い本当に平日は平和だった
毎日始業から淡々と仕事をこなしていた

公務員だからといって定時で帰れることは少なかった
職場で同じ部署の人は俗に言う“お役所仕事”をしていたので
定時に終わらせて、さあ帰ろうビックリマークという人が少なく
だらだらと仕事を続けている人が多数いた

勿論、一番年下の私が先に帰るわけにもいかず
自分の仕事が終わっても残らざる終えなかった

そんな納得いかない状況に私が耐え切れるわけもなく
不満を小噴火させて部署内の一番上の上司に抗議した
「効率が悪すぎますビックリマークもっと作業の効率化を図るべきです。」
などと慎重に言葉を選びながら意見を述べてみた

しかし私の意見に上司は耳を傾けようともしなかった
それどころか私を宥めて話しを逸らしていた

・・・・・・話にならない!!怒る

作戦を変更し、周囲を味方につけようと試行錯誤し
一番上の上司以外と個別に話して意見交換を行った
皆一様に現状維持ではいけないという思いはあったので
私の積極的な働きかけにより賛同者が増え
その後職場内に少しずつ変化が現れた

仕事では例え相手が誰であっても
自分の意見を堂々と述べられるのに対して
同じようにMに言うことができなかった。

仕事も定時と言うわけにはいかなかったが
早く帰れるようになっていった
バス通勤だった私はある日の帰り
バス停でバスが来るのを待っていた。

するとそこに1台の車が通りかかった。
その車は通り過ぎようとしていたが
私と目が合うと急ブレーキをかけて停車した。

車の窓が開き声をかけられた。
「今帰りはてなマーク
毎年誕生日に何かしらくれたYに久々会った
「駅くらいなら乗せてってやるよ」
と、言われたのでラッキー音譜と思い
Y車に乗せてもらった。

その時に、Yが私の10歳上でバツイチで中1の息子がいると聞いた。
「・・・私の10歳上だから31!?もっと年上かと思った」
若かったから本人を目の前にして平気で言えた。

31歳という見た目にも驚いたが中1の息子がいるようには見えなかった。
「19歳の時に出来ちゃった結婚したんだけど、
俺が遊んでばっかいたから奥さんに逃げられた」
とも話してくれた。
Yは聞きもしないのに一人で自分のことを
ぺらぺらとよく喋っていた。
人は見かけによらないなぁ・・・遊び人なんだ、この人are?*
その程度の印象だった

「彼氏とかいるのはてなマーク
「いますよぉ~」
「かっこいいのはてなマーク
「かっこいいですよ」
「俺よりかっこいい!?
「当たり前じゃないですかぁ」
「えーそうなんだ。悔しいなぁ」
質問攻めだった。この人自分がかっこいいと思ってるんだビックリマークおこりんぼ
という会話だった
Yはどちらかというとぽっちゃり系で
細身が好きな私にとって恋愛の対象外だった。

駅より手前が実家だったので
「ありがとうございましたにこ*
お礼を言ってその時は最寄のバス停付近で降ろしてもらった

数日経って、また帰りにバスを待っていると
車Yは通りかかり「また送ってやるよ」と言って来た。
バスが来るのが見えたが車の方が早く帰れると思って
好意に甘えさせてもらうことにした。

今回もYが自分のことを話しながらだった。
Yは両親と同居していて、自分の息子は両親が育ててくれて
自分は遊んでて何もしなかったけど
そろそろ身を固めて落ち着かなきゃいけないと話した。
その時は「へぇ~、そうなんだ」程度に受け止め
私も年内に彼氏と結婚すると話した。

前回同様、最寄のバス停で降ろしてもらおうとしていたが
Y「いいよ、家まで送るよ」と言った。
なんとなく胸騒ぎがしたので家よりかなり手前で降ろしてもらった。

その後、帰りは近いバス停から乗らないようにし
1つ先のバス停から乗るようにした。

その後数日の間、バス停から家までの間に
不審な車に尾行されている感じがしたので
まっすぐ帰らずに迂回しながら帰った。

そしてとある日、帰宅直後に家電話が鳴った。
両親が仕事でまだ帰宅していなくて家には自分ひとりだった。

電話に出る時は名前を名乗らないで受話器を取るので
「はい。」と言って出た。

すると・・・
「あっ俺。Yだけど」

えっ・・・一瞬フリーズした。
「えっはてなマークなんではてなマーク番号教えてないよね・・・」
「調べた。送ってった時に確かこの辺だなって思って
電話帳に載っていた苗字の番号をかたっぱしにかけてやっと繋がった」
と、Yは言う。

調べたって・・・そこまでするか!?
・・・絶対に頭おかしいよ、この人!!
どうしよう・・・怒らせないように切らないと。

「なんで・・・どうしたのはてなマーク
とりあえず疑問を投げかけてみた。
するとYは途轍もない言葉を口にした

「俺と結婚してくれ!!
・・・はぁはてなマーク何言ってるのこの人!?
「俺の子供を産んでくれ!!
言ってることが意味不明すぎて怖かった。

すぐにでも電話を切りたかったけど
言っている言葉があまりにも怖すぎて
報復を恐れて切ることが出来なかった。

「俺、本当にmarryちゃんのこと好きなんだよ。
marryちゃんが俺と結婚してくれたら
俺、もう遊ぶのやめてマジメになるから!!
聞けば聞くほど本当に訳が分からなかった。

「あのさぁ・・・そもそも結婚以前に私達付き合ってもいないでしょ。」
いつまで経っても平行線なので冷静に言ってみた、すると
「だから、これから付き合うんだよ」
と、言う。本当に訳分からない。

「私この前。彼氏いるって言ったよねはてなマーク
もうすぐ結婚するって言ったよねはてなマーク
「だからその結婚やめて、俺と一緒になってくれるんじゃないのはてなマーク
・・・ならないってばビックリマーク
もう訳が分かりません。

私に非はないけど、こういう人はどこでどう豹変するかわからないし
断り方次第で感情が憎しみや殺意に変わっても怖いので
宥めながら謝ったりして2時間ほど説得し
誰の助けも借りずに電話を切ることに成功した。

本当に疲れた
それからYは二度と私の目の前に現れることはなかった。

年に一度の健康診断の日がやってきた
会場に行くとSと毎年会えていたので
今回もなんとなくSと会えるような
そんな気がしていた

しかし今年は姿が見えなかった
Sと私の共通の知り合いがいたので
その人にSのことを尋ねたが
Sは今日は休みで来ていないという

普段Mの実家のことで疲れていて
相談する人もいなかったから
Sに話して少しでも
気が晴れればいいなと
あの笑顔に癒されたいと思っていた

しかしSに会えなかったことで
心底残念だと思った自分がいた

その時はMの実家に振り回されて
私はかなり疲れていたから
もしSに会って相談していたら
Sは激怒し復縁を迫っていただろう

そうなっていたらその時の私はかなり弱っていたから
Sに寄りかかってしまっていたかもしれない
弱っている時の女ほど落としやすいものはない・・・
一人で立っているのが辛い時
誰かに支えてもらいたいと思う心境を
経験したので確かにそうだと思った。

それから数日後
段々と月日が経ち式場へ赴き
話を詰めるようになってきた
式全体の予算や出席人数を決め
招待状などのおおかたの決め事も
決め始めた

本当はお金もかかるから
自分が仲の良い友達と親戚だけ呼んで
シンプルなものにしたかった

一応職場の同じ部署の同僚たちも呼ぶことにしたが
なぜかMの父親が見栄を張って
近所の人達まで呼ぶことになった

近所の人達を呼ばないと
私の呼ぶ人数より劣ってしまうから
だったのかもしれない

田舎だからはてなマークそういうものなのかなはてなマーク
ともその時は思った
でもやっぱり顔も名前も知らない人達を
式に招待するのは抵抗があった
勿論、M自身名前を知らない人達が多数いた

Mは自分の父親が呼ぼうとしている近所の人達については
否定的じゃなかったが
式自体に関してはまるで他人事のように無関心だった

予算や大まかな人数を決めた後は
式に使う小道具的なものなどを決めていった

テーブルに飾る花やキャンドルなども数種類あって
各予算に別かれていた
かなり細かい内容があったので
本来なら新郎新婦が一緒に決めるのだが
Mは面倒臭いと言わんばかりに
「全部任せるよ」
と言って一見聞こえはいいが結局
無関心で放置状態だった

決めたりするのは最初は楽しかったのだが
たくさんありすぎて一人では限界があった
場面ごとに使用する曲など
細かい面でやはり相談したかったけど
「面倒」「任せる」
と言う言葉しか返ってこないので
もうちょっと一緒に決めたりしたかったけど
何かあるとちょっとしたことで
「面倒臭いから、じゃあ結婚式やめよう」
「別にやめてもいいんだから、俺は。」

と言われたので
友人代表やスピーチ・余興などは半分ずつにして
細かいところは結局、私一人ですべて決めた

今思えば結婚ってなんだったのだろう
全部一人で決めて
誰の結婚式なんだろう
結婚式って一人でやるものじゃないはずなのに・・・ポロッ

Mの実家に行くのと同じように
私の実家にもMを連れて行くようになった

私の父は公務員だったけど
技術職だったので交代性勤務で
4日に1日くらいの割合で休みだった

私が幼い頃から両親が共働きだったが
私の実家では普段
父がごはんを作ってくれていたので
Mが私の実家に来るときは
父が休みの時が多かった

Mは父がいる時は
当たり障りのない受け答えをし
言葉を選んでいて猫を被っていた
しかし父がいない母と弟の時は
私に対する時と同じように
遠慮がなかった

普段からMは私のことを名前で呼ぶことはなかった
そういえばつきあってから一度も
名前で呼ばれたことがなかった

大抵私に何か用がある時は
「あんた」と呼び
遠くの時は名前を呼ばずに用件がいきなり始まり
気づかないと怒ったりもしていた
それを逆切れとも言う

名前で呼ばないのに
口が悪い人だから聞こえていないと
「耳が悪いのかはてなマーク病院行ったらはてなマーク
と皮肉たっぷりに言われるときも多々あった

Mは普段から人をバカにするようなところがあり
口も悪いが言い方もきつかった
私に対して必ず「あんた」呼ばわりしていたが
それを母と弟がいる前で
さらりと私に向けて言ったものだから
母と弟はMに対して不信感を抱いた

その時母はなんでこんなに酷い言い方をされて
私がなんで黙っていられるのだろうと
口には出さないが思っていたらしい

弟は人の家に来て
身内の前で姉を「あんた」呼ばわりするのが
何様だビックリマーク非常識も甚だしい!!と感じたようだった

その時の私は今以上に鈍感だったので
Mが私を「あんた」呼ばわりするのも
気にも留めなかったが
母と弟がMに対してそんな疑念を抱いているとは
思ってもみなかった

そんな猪突猛進タイプの私は
きっと周りが見えていなくて
何を言っても無駄だと思った母は
私に何も言わなかった
その時の私は21歳と若かったから
母に言われても聞く耳持たなかっただろう

私はMの実家のことを大まかにしか
両親に説明していなかった
Mの母親が高3の時に亡くなって
後妻とその子供が5人いる
と、その程度だった

それ以上のことは話していなかったので
Mの父親が暴力を振るうような人だとか
後妻が家事を疎かにしているとか
その子供達がごはんを与えてもらえないことも
話さなかった

私はその時自分が凄い立場に置かれているとは
考えたこともなく、ただひたすら一生懸命だった
なので友達にも誰にも言わなかった

まさか私がMの実家へ行くたびに
家事をやらされていたとは
思っても見なかっただろう
その時自分ではひたすら一生懸命やっていたので
苦労しているとは思ってもみなかった
そもそもこれが苦労なのかと
周囲に言われて後から気づいたくらいだった

両親もそれを知っていれば
結婚を反対してくれただろう
たとえ反対されてもあの時の私は若かったから
親の言うことを聞かなかったかもしれない


Mの父親はMの妹と二人で暮らすようになった
しかし男手ひとつで子供を育てていくことは大変だった
二人暮らしがそんなに長く続くことはなかった

その後スナックに外国人(フィリピン人)のホステスを雇い
M父親はやがてその人と再婚。
Mの妹が4年生になった頃だった

しかし気に入らなかったら暴力を振るうMの父親から
その人は逃げていった

出る時にMの妹に片言の日本語で
「ワタシデルケド、 パパニハナイショネ。ゲンキデネ」
と、言って夜逃げ同然で出て行った
しかし逃げるものを決して逃がさない
執念深いMの父親は探しに探しぬいて
結局フィリピン人の妻は連れ戻された

そしてまた暴力を振るう・・・
また暴力から逃げて出て行く
イタチゴッコだった

その後また出て行き、最終的に遠くへ行ったらしく
暴力から、Mの父親から逃げ延びた
その当時Mの妹は夜出て行ったフィリピン人の義母を探すため
父親に車で連れまわされてイタチゴッコに巻き込まれていた
と、言っていた

その後、客として来ていた後妻の母親が
自分の娘が男と同棲していて
二人で働きもせず裸で過ごしているから
何とかして欲しいと相談したことがあったらしい

Mの父親は後妻をとりあえず店で働かせていたが
その後その二人はなぜか夫婦になった
年の差なんと27歳
後妻が当時17歳だったので
今思えば立派な犯罪

Mの父親と後妻の間に子供が授かったが
籍を入れたのは子供が生まれて数ヶ月してからだった
Mの父親の戸籍謄本を見る機会があったのだが
他にも驚いたことがあった

再婚を繰り返しすぎて記入する欄が足らず
1枚では収まらなかったので
婚姻のところに追加分の紙が張られていたのだ
こんな謄本はかつて見たことがなかった!!

Mの父親と後妻が再婚した後
後妻の実家からはそう遠くないので
後妻の年子の妹はよく遊びに来ていたらしい
私はMの妹から当時の話を色々聞いていた

後妻が出かけていた時や妊娠している時に
後妻の妹はMの父親のターゲットになっていた

Mの父親が
「顔が同じだからいいだろう」
などと訳の分からない事を言って
後妻の代わりに性の捌け口としていた

その後、後妻の妹はMの父親の子供を宿し
堕胎したこともあったという
婦女暴行事件を犯したくらいだから
それもあながち嘘ではないだろう

Mの父親の暴力は後妻に対しても変わらなかった
40過ぎの男が17,8の女に暴力を振るうなんて
ありえないような話しだが
Mの父親も最初は我慢していたらしいが
後妻の怠慢ぶりには我慢の限界だったのだろう

後妻は中学の頃から学校にもほとんど行かなくて
高校も行かずに男とだらだら暮らしていたので
楽したいという気持ちは続いていた
それは子供ができても変わることができなかった

すべてにおいて面倒臭がりなので
家事もギリギリまでやらずに
溜めるだけ溜めて後がないような極限状態までになって
やっと重い腰をあげるような人だった

洗濯もやることはやるみたいだが
昼間家にいるのにお昼頃洗濯を始めて
それからうたた寝をして洗濯機が終わっても放置
干すのは夕方から夜になった頃だった

私が来たときにMの父親が女が二人いるんだから
すぐにできるだろうと言って食事の用意をさせようとしていた
ごはんの支度をする前にシンクに溜まった食器から片付けないといけない

しかし後妻はその時に毎回
「洗濯物を干してくるね」
と、言って夜なのに半分乾いた衣類を洗濯機から取り出し
2階へにげてしまっていた

そしてしばらく戻ってこない
そうなると私がすべてをやらないといけない
シンクを片付けてお米を研ぎ、お味噌汁まで作ったりして
ある程度はやったつもりだが一向に戻ってこないので
痺れを切らして何をしているのかと思い、2階へ様子を見に行った

すると後妻は洗濯物を干し終えていて
山のように溜まっていた乾いた洗濯物を畳んでいたのだ

はてなマークなんで毎日家にいるのにこんなに溜められるのはてなマーク
疑問に思った
しかもなんで今それをやるのはてなマーク
今はそれをすべきときじゃないはずだよねはてなマーク
普段鈍感な私もさすがに人に対して怒りを覚えた

まだ結婚したわけじゃないのに
お客様扱いしてくれとは言わないが
この家に仕えた覚えはない
私はすっかり便利な家政婦扱いだった

その時は表に出さずにじっと耐えた
後からMに対して一部始終を告げた

するとMはこう言った
「あの人(後妻)と子供のことは関係ないし
面倒みるつもりもないから放っておいていいから
あれでも一応親だから
親父のことだけ何とかしてくれればいいから」

そうは言ってもどうしろっていうのよ・・・
具体的なアドバイスはなかった

「別に一緒に住むわけじゃないから、たまにだから我慢してよ」
えぇ!?
嫌だけど嫌とも言えなかった

土日だけだから・・・
私は自分に言い聞かせて我慢するようになっていった。