絵本探求4期第2回振り返り | ライフペイジズとブロック解除『こころを育てる』空とぶペンギン校

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翻訳者で絵本を考える。

 

翻訳ということは日本語ではない言葉を日本語に変えているのだということを、変かもしれませんが今さら意識したような気がします。歴史も文化も違う国の言葉を、読み解いてただ日本語に置き換えるだけではなくて、そこには翻訳者の人生や出版社の思惑や関わる人の価値観が大きく関係しているのだということを改めて考えることになりました。

 

まずは、宿題の翻訳絵本を1冊

『ちがうねん』

原題『THIS IS NOT MY HAT』

ジョン・クラッセン/作 

長谷川義史/訳

 

関西弁が気になって選びました。

調べてみると、インタビューの中で長谷川さんが

関西弁の方がほんわかとした温かい印象が出るのではないかということで、出版社の人から「関西弁にしてくれ」と言われたことをお話ししていて、あえての関西弁だったということもわかりました。

(関西発!シュッとした缶詰「MAGKAN」!!【第五十五回】から)

 

以前、原書を読んだときにストレートに怖く感じたことを思い出して、日本版は「ほんわか」させることでじわじわくる怖さを感じることができているのかもしれないとも思いました。

ふと思ったのですが、西洋の怪談はストレートに怖いものが多いけれど、日本の怪談は親子の情が絡むようなじわじわ怖いものが多いような気がします。侘び寂びを感じる日本の文化と通じるものがあるのかもしれない。

 

翻訳者という観点で様々な絵本の解説を聞いていると、原語を理解できないことが悔しくなります。もっと英語を勉強しておけばよかったとか、韓国語を母から習っておけば良かったとか、自分の物知らずがとっても惜しいことをしている気持ちにもなりました。

言葉に伴う感覚って、言葉を学ぶだけではなくて、その国の歴史・風土・人の暮らしをどれだけ身近に感じることができる知識や体験を持つのか?ということが、実はすごく影響していると思います。であれば、小さな頃から海外の絵本に親しむことは、その感覚を培うのにも大切なのではないでしょうか。

卵が先か?鶏が先か?みたいな感じですが、翻訳された絵本が海外の感覚を伝えるものでありながら、日本人の感覚の中で理解するためには、翻訳者がその国の感覚を持っていたり、深い知識を持っていることはとても大切なのではないかとも思いました。特に絵本の場合は読み手が幼いことを考えると、その国の感覚を伝える日本語を紡ぐことは、本当に大切なことで、だから良い翻訳者という観点で見ることが大切なのかもしれないとも思いました。

その、良い翻訳者を見極める視点を保つためには、絵本や小説をただ楽しんでいるだけではなく、なぜ?の部分をもっと突き詰めて考える必要があるのでしょう。知識を持たない私ですが(これから頑張ります!)それでも、ただただ楽しいと思って本を読む体験が生きるのは、良い絵本や文章をたくさん読んできたので感覚的に面白いものを選べるからかもしれません。やはり、大人がどんな絵本を与えるかということは、未来の子どもの学びに繋がるのでしょう。

もう一つ、『おおきな木』の村上春樹訳のものと、ほんだきんいちろうやくのものとを読み比べた時、私が好きだと思ったのはほんだきんいちろうさんの訳でした。小さな頃に読んでいたのが頭に残っているからかしら?繰り返し語られる「きは それで うれしかった」という言葉が、とても好きだったことを思い出しました。

 

感傷的な感想かもしれませんが、同じ絵本を見る子どもが、世界共通で同じ感覚を持つ。笑うところは笑って、何かを感じるところは感じる。言葉が違っても、みんな同じ。そういう世界が平和というのでは?と、そんなことも思いました。