絵本探求ゼミの最後は、全国から層雲峡に集ってのリアルゼミでした。
午前中は、北海道で活躍されている写真家の佐藤圭さんの講演。
世に出る1枚を撮るために何年もかけていること、生命を撮るということは生命をかけるということ、対象の行動や生態、生きる環境について学び、知ることが「撮る」ことの基本となっていることなど、命と向かい合う姿勢を学ぶことができました。
ただ可愛いとか綺麗なだけじゃない。
写真は真実をよりリアルに伝えることができるものなんだと、改めて写真の奥の深さを感じました。
佐々木さんのお話しを聞きながら、ふと思ったのが「才能」と「続けること」についてでした。
亡くなった母は文章を書く人だったのですが、書くことが生きることに繋がるような感覚を原稿用紙を前にしている母から感じていたことを思い出しました。生半可な覚悟や中途半端な気持ちでは続けられない行動そのものが才能というものなのかな?と、そんなことも考えていました。
午後のグループ研究発表は、
それまでオンラインで準備を重ねる中で、私が何も知らないことを痛感していたので、せめて本番では少しでもチームに貢献したいと思って頑張りました!
発表は「ピーターシスの壁」について。
実は、3週間前までピーターシスを知らなかったのですが、読めば読むほど、知れば知るほど、素晴らしい作家だと感じています。
これらの絵本を知ったことも、私にとっては大きな収穫でした。
絵本だからこそできること。
絵と言葉で、何を伝えるか?
ピーターシスが自分の人生を通して絵を描き続けることで伝えたいことは何か?
冷戦から続く激動の時代を生き抜いてきた人だからこそ、今、彼の伝えるメッセージが大切だと思うのです。
絵本を読みながら、ベルリンの壁を壊す人々を夜中のニュースで見ていたことを思い出しました。
今、私が手にしている自由はあたりまえのことではないということも、絵本を通して感じました。
そもそも、絵本ゼミがスタートしたときに
「私には無理だ」
「ここは私が居られるような場所じゃない」
と、参加されている皆さんの知識量の凄さに付いていけずに弱音を吐いた私に
「大丈夫だよ」
「みんな、同じだから」
と、励ましてくれたところから始まり、
チームの研究についても、なかなか参加もできない私をカバーし続けてくれて、このチームでなければ、私はきっとこの場に立つこともできなかったでしょう。
迷惑しかかけていないと思うのですが、チームの皆さんには本当に感謝しかないです。
5回を終えてみて私が学んだことは何だろう?と振り返ると、まずは学ぶことへの向き合い方を感じることができたことが大きいです。
まだ、知るレベルまではいかないのですが、学ぶということがどういうことなのか?
何をすれば良いのか?どのように考えれば良いのか?
今まで全然知らずに過ごしていたように思います。
本を読むのも講座を聴くのも全て一人で楽しんでいるだけで、本当に学ぶ姿勢ではなかったのかも知れないとも、今は思います。
とはいえ、いきなり学ぶ姿勢でいることができるようにもなっていませんけれど。まだまだ何も分からないからこそ、この後も学び続けたいと思っています。
簡単に読んでいた絵本の世界は、難しくて奥の深い世界でした。
その背景を知っていることが、実際に読み聞かせの場でどれくらい役に立つのかはまだわかりません。
けれど、何も知らずに読むのと、知って読むのとでは、何か感覚が違うような気もするのです。もしかしたら、読み手である私にしか分からない感覚なのかも知れませんが、それでも違いは確かにある。
その違いをさらに確かなものとしていくのが、学びであり、知識なんだと思います。