前回の更新からずいぶんとご無沙汰してしまって、参院選投票日となった。党大会後はじめての参院選挙であり、党大会後の党活動の〝成果〟が判明することになる。
党大会後の中央のホームページの構成をみても何ら大きな刷新がなされていないことから前進に向かう要素はゼロである。このホームページには共産党(の政策や運動)に何らかの関心をもった人たちをどのように取り込むかという視点が感じられない。中央集権主義、官僚主義の限界である。大阪でいえば、維新が国政政党化(全国政党化)に苦慮している姿とダブってみえる。
今回はあくまで「日本共産党資料館」の掲載文献追加のお知らせである。
久々に「日本共産党資料館」について、気づいたミスをいくつか修正した上で文献を追加してみようと思い立ったのは、ほかでもない、松竹伸幸氏のブログ「共産党は党首公選を規約で決めていたことがあった」で「さざ波通信」の資料について書かれていたのがきっかけだ。
松竹氏のブログに書かれていること、すなわち「さざ波通信」併設の「日本共産党資料館」に掲載している第六回党大会の規約では、党首公選(全党員による指導部の選挙)も規定されており、その後、徳田球一書記長ら主流派の主導の四全協や五全協で規約が改悪され、党首公選の規定がなくなったというのは事実である。
手元には、四全協や五全協の文書など、五十年問題あたりの文書(それだけではないが)でテキスト化しながら「日本共産党資料館」には掲載していないものがけっこうある。そういうものを追加することも考えたが、バランス的には、戦前のコミンテルン時代の文献が少ないのでそれらを追加したいと考えた。
そうすると、やはりまずはコミンテルン常任執行委員会幹部であった片山潜関連の文献ということになる。ここのところ〝令和の米騒動〟が世間を賑わしているが、片山潜は本家の米騒動に関する論文も複数発表している。ロシア革命の衝撃が全世界をめぐる1918年に起こった米騒動は、ただの騒動ではなく、組織されていない労働者たちによる闘争であり、炭鉱※をはじめ各地の労働者によるストライキ闘争も続いた。日本共産党の創設はその延長線上にある。
今回追加した文献は以下のとおり。
片山潜の肖像メダル(党創立50周年記念品)※2
※1:たとえば、当時の炭鉱での様子などは、ユネスコ記憶遺産として登録されている山本作兵衛氏の炭鉱画集でも伺い知ることができる。
※2:個人崇拝につながるものを忌避してきた日本共産党としてはめずらしい片山潜の肖像メダル。党創立50周年を記念して製作された3種類のメダルのうちの1つ。同じデザインで、素材が純銀のものもある。当時の『前衛』をみると、メダルの他にも多数の記念品が製作されたようだ。