『日本共産党の改革を求めて#MeToo #WithYou』をやっと読み終えた。本書は、「日本共産党の全国大会へ 全党員と市民の注目を党員・有志から求める会」(以下、「有志の会」とする)による党大会前後の会見と関連資料で構成されている。私は基本的に「有志の会」の行動には共感するものだが、一つだけ事実誤認を指摘しておきたい。それは、2回めの会見動画をみたときから気になっていた進行役の同志による「第8回党大会以後の党大会の採決で保留が出たというのは、2000年の党大会で1人だけ保留が出たというのはあったことを除いて、それ以外は全会一致の賛成で採択されていました」(94ページ)という発言である。これは明らかに違う。一例をあげれば、私たちの「さざ波通信」でも言及したが、2003年の第23回党大会で反対者が出ている。
 なお今大会で6名の保留はあったものの、反対がなかったことで、党幹部たちは最悪の事態は免れたと胸をなでおろした。彼らの中にはそれを根拠にして、結語についても、最終的に反対者がいなかったのだから反対者に対するハラスメントとはいえず、あくまで討論だったと主張する者もいる。詭弁もいいところであるが、それくらいしか正当性の根拠にできるものがないということでもある。

 会見に同席できなかった同志のメッセージ、とくに「元赤旗記者X」氏のものや二つの寄稿も興味深いが、本書の目玉は資料として掲載されている大山氏の発言原稿であろう。彼女の党大会での発言にいたる経緯とその前後で党機関からどのような扱いを受けたのかがよくわかる。
 X(ツイッター)などでその掲載の是非が議論となっているが、そもそもそのようなことが議論になること自体がおかしいのであって、大山氏の発言など党内にある異見は党機関が自らすすんで公開すべきものである。「有志の会」はそれを党機関の代わりにやっただけのことである。
 だが党指導部はそのようにはみなさかった。「有志の会」は、5月1日の『日本共産党の改革を求めて#MeToo #WithYou』の出版とその会見ののち、5/7付で「大山氏の発言原稿などの無断掲載が著作権法違反となるのか」という声明を出している。その最後の一文にこうある。

ましてや著作権法違反が親告罪であることを利用して、出版への異議申立や告訴等を党機関が大山氏へ強要するなどということがあってはならないと考えます。

 

 これはおそらく危惧として述べているのではなく、実際に「有志の会」や出版社に対して著作権法違反として訴えるよう、党機関から大山氏に「指導」があったものと思われる。もしそれがかなえば指導部は「有志の会」の同志たちを一網打尽に処分することが可能となる。
 しかし、いったいどのような理由で処分できるのだろうか? 党指導部は「分派活動」として処分しようとするのかもしれないが、「有志の会」は特定の政治方針や主張で結集した集団ではないし、実際に彼らは個々に自らの主張を述べる合同の記者会見という形をとっている。しかもその主張は、指導部が定義する反共攻撃(=事実に基づかない党批判)でも、党のなんらかの方針に対する反対意見でもなく、党の運営方法の改善や見直しを求めるものだ。一般企業に例えれば、一部の株主が合同で当該企業にコンプライアンスの遵守や改善を求めて記者会見したようなものである。
 組織の構成員が組織の改善を公然と要求することは、第三者による圧力とはまったく別物である。それを執行部(指導部)が問題視するならば、世間の目には、その行為は、組織がコンプライアンスの機能不全に陥っている証拠として映るであろう。党指導部がやるべきことは、彼らを処分対象にすることではなく、その主張に真摯に向き合って対応し回答することのはずである。

 5月13日に「柳原滋雄@フリー記者」がX(ツイッター)で、大山氏が「福岡県委員会の神谷貴行氏と類似の状況に入ったと見られ」ると報告しているが、もしそうだとすれば、現時点で大山氏は党機関の「指導」に従っておらず、それに対する処分ということになる。
 党機関が本来行うべきは、神谷氏や大山氏や「有志の会」の同志の処分ではなく、これら異見を述べた同志たちを守ることである。党内で異見を述べた者に対する無視や攻撃などは党の団結を破壊するものであって、それこそ党をかく乱する行為だからだ。「行動の統一」という党規約の規定は、少数者に対してだけではなく多数者に対しても要求されるものだ。今党大会は党の団結を強めることに失敗したが、今後こうした関連処分が続けば、かろうじて党にとどまっている、力のある自覚的党員らの流出が続くことになろう。党指導部の諸君には、一部の長老に無批判になびくのではなく、一般社会では理解の得られない処分・措置の自制を求めたい。

 

管理人(2024/5/14)