今日は、1999年2月14日の「さざ波通信」開設からちょうど25年、四半世紀になる。開設時のメンバーは当時30代前半だったが、今や50代後半となった。私たちは田村智子新委員長と同世代である。
 私たちの学生時代は、国際的には世界的な反核運動の高揚があり、その後チェルノブイリ原発事故、天安門事件、東欧革命、ソ連の崩壊と続いた。私たちはそんな激動のなかで揉まれ、20代だった19回党大会の頃からそれぞれに党中央に疑問あるいは明確な反対意見をもち、党の改革が必要だとの考えにいたる。そして1998年、不破委員長(当時)の暫定政権論を受けて、これに反対する私たちの見解を表明するホームページを立ち上げるべきだという考えで一致し、開設準備を始めた。
 ホームページ開設の具体的準備にかかったのは1998年の年末。ホームページの名称を検討した際に出た案としては、まず「波紋」があがった。だが、これは公明新聞のコラム名だということでボツ。そこからの連想で「津波」、そして「さざ波」――これは自分たちの微力さを表現しているようにも感じ、しっくりときた。実際にさざ波程度で終わってしまったのだが……。「通信」とつけたのは、「スパルタクス書簡」(第一次世界大戦時のドイツ社会民主党左派が発行した非合法冊子)や「反対派ブレティン」(ソ連を追放されたトロツキーが創刊)などに準じたものだ。

 

開設当時の「さざ波通信」

管理人(2024/2/14)