党大会決定を眺めていたら、29回党大会の「あいさつ」を検討していないことに気づいたので、今回はその党建設について述べた部分について触れておきたい。
 この「あいさつ」で話題になったのが、党建設の「空白の期間」についての分析である。そもそも党勢後退の分析をするのに、入党者の数だけをみて離党・除籍者の数をみないこと自体が一面的でお粗末としかいいようがないのだが、とりあえず志位氏の分析につきあってみよう。

 

 第一は、年平均の新入党者の推移であります。年平均の新入党者は、概数で、1970年代は年3万人、80年代は年1万5千人、90年代は年6千人、2000年代は年1万1千人、2010年代は年8千人となっています。90年代が特に大きく落ち込み、およそ10年間にわたって新入党者の「空白の期間」ともいうべき時期がつくられています。

 

 このように「新入党者(数)の推移」で、90年代が特に大きく落ち込んでいることを示し、それについて志位氏は以下のように分析してみせた。
 

 1987年8月に開催された第17回党大会第8回中央委員会総会で、それまではほぼ一貫して「党員拡大が党建設の根幹」とされていた党建設の方針が、「党員拡大と機関紙拡大が党勢拡大の二つの根幹」という方針に変更されました。
 

 「二つの根幹」という方針は、機関紙拡大を強調するために出された方針でしたが、党員拡大を事実上後景においやり、自然放任に近い状態が続き、さらに党員拡大を抑制する傾向もあり、90年代に党員拡大数が極端に落ち込み、新入党者の「空白の期間」をつくる重大な一因となりました。
 

 この党建設上の方針の誤りは、2000年の第22回党大会で是正がはかられました。……それ以降は、この方針が揺るがずに堅持され、党員拡大にたいして全体として自覚的努力が払われるようになりました。それは90年代に比べて、2000年代に新入党者が増加したことにも示されています。


 志位氏の分析をかいつまんでいうと、
1、1987年に党建設方針の誤りがあり
2、2000年に党建設方針の是正がなされた
3、その裏付けとして90年代に比して2000年代の新入党者が増加
というものである。
 志位氏は10年という大雑把な単位で、一見もっともらしくみせているだが、実は党員数の年次推移を見てみれば彼の分析が誤りであることがわかる。

 志位氏の分析が正しいとすれば、2000年から党員数の増加率が上昇していなければならないはずである。果たしてそうなのか? いちいちグラフを作るのは面倒なので、ネット上で共産党党員数の推移を探すと、「平成28年版警察白書」に党員数推移グラフがあった。
 


 

 これをみれば、東欧革命・ソ連崩壊による冷戦終結後の90年代前半に党員数が激減したのち、94年から2000年にかけて党員数は3万人増えている。ところが2000年から2006年までは1万7000人、2010年まで伸ばしても2万人しか増えていない。つまり志位氏の分析とは逆に、党建設の方針を正したのにもかかわらず党員数の伸びは鈍化したことになる。
 では何が要因なのか? 90年代の「空白の期間」は、外的要因としてのソ連崩壊という客観的情勢と、主体的要因としては、私も身近で見聞きした19回党大会後の党内引きしめ(粛清、異端分子狩り)で説明できるはずである。
 主体的要因としての党内引きしめ(粛清、異端分子狩り)は、党建設の「空白の期間」の要因となっているだけではなく、80年代からの一貫した後退の要因ともなっている。「あいさつ」にあげられている、「第二」のデータをみてみよう。

 

 第二は、党員の「党歴構成」であります。新入党者の「空白の期間」は、党の現勢調査で明らかになった「党歴構成」にはっきりと反映しています。現在、党歴0年~9年が17・7%、10年~19年が14・0%、20年~29年が11・0%、30年~39年が8・0%、40年~49年が19・5%、50年以上が29・8%であり、党歴30年~39年に大きな落ち込みがあります。

 

 こちらについては数字が挙げられただけで志位氏は何の分析もしていないし、この数字だけでは何もわからないが、「第一」の数値と突き合わせてみると、興味深いことがわかる。たとえば過去の新入党者が現在まで党員でありつづけたとしよう。すると70年代に入党した党員だけで現在の党員を上回る30万人、80年代の入党者は15万人になる。これを現在の「党歴構成」と比較すれば、
1、70年代、80年代の入党者の全党員に占める比率は報告されている数字の2倍近く(少なくみても1.6倍)になるはずであり
2、2010年代の入党者または党歴10年未満の党員の全党員に占める比率は報告されている数字の0.6倍くらいのはずである
 この数値の違いが意味することは、70年代、80年代に入党した党員の半数近くが離党・除籍したということである。その結果、党歴の浅い党員の比率が上がっているのだ。こうした「党歴構成」の変化が80年代からの一貫した党勢後退がどのようなものであったかを示している。そのもっとも大きな要因はおそらく新日和見主義事件であり、その後の知識人層や大衆団体における引きしめ(粛清、異端分子狩り)であろう。

 10年単位の入党者数のみに目を向けた雑な〝分析〟をするのではなく、より精密に、また入党者のみならず、離党者・除籍者数を分析をすれば、党勢の伸び悩みが、党の体質(=非民主的運営、異分子排除などの粛清体質)にあることは明らかなのだ。
 現在の党の体質を前提とするならば、おそらく年間5000人程度の新入党者を迎えるのが限度であろう。「再び、『空白の期間』になりかねない」(都道府県委員長会議での志位発言)どころか、「空白の期間」になるのは必至である。それどころか、今大会決定に基づき再び党内引きしめを図るならば、近いうちに党員9万人の除籍を発表した2012年と同様に、水ぶくれした党員数の〝整理〟が必要になることは目にみえている。

 

管理人(2024/2/9)