1月20日付「しんぶん赤旗」で「結語」を読んだ私の知り合いの女性党員の第一声は「この女すごいな。☓☓☓の☓☓☓みたいや」(誹謗中傷にあたるため伏せ字)だった――ということで、今回は彼女にそのように言わしめた「結語」の問題点を指摘し、大山代議員の発言を擁護しておきたい。なおこの「結語」は複数の中央委員の証言によると、中央委員会で議論をつくして全員一致で確認したものだ。

 党指導部は「結語」を通じて――(大山代議員の)発言への批判という形をとりながら――、今なお除名処分に疑問や反対の声をあげる党員たちに対して「姿勢に根本的な問題がある」「あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く」「批判の矛先を百八十度間違えている」「政治的本質をまったく理解していない」と糾弾してみせた。
 この発言に党内外からパワハラだという指摘あり、地方議員を含む多数の党員がSNSで批判しているのは周知のとおり。この明白なパワハラ行為は、党指導部の少数意見、反対意見に対する向き合い方がどのようなものであるかを白日のもとにさらしたといえる。

 最初に指摘しておくべきは党指導部の除名問題に向きあう「姿勢」だ。

 党内外で除名処分に対する疑問や反対の声があがったため、党指導部はパンフなどを作って処分の正当性を訴えてきたが、党外はもちろん、党内でも今なお納得させることに成功しておらず、意見一致をみていない。
 それはなぜなのか、党指導部は自らに問いかけるべきであり、党指導部の除名処分という政治判断が正しかったのかどうかを再点検すべきなのである。それをしない指導部こそ、その「姿勢に根本的な問題がある」と言わなければならない。

 ではなぜ疑問や反対意見をあげる者の説得に成功しないのか? それはもちろん、(1)除名処分の理由である指導部の「攻撃」認定に説得力がなく、(2)指導部の矛先が松竹氏だけでなく実質的に疑問や反対意見をあげる者にも向けられているからである。

 党指導部はさんざん、異論を述べたから除名したのではないと口すっぱくして弁明してきた――党の外から突然攻撃したから除名したのだと。
 松竹氏の除名処分を決定した文書には、「異論」と「攻撃」が両方記載されているが、その「攻撃」部分だけをあげると
1、「1月に出版した本のなかなどで……わが党規約が『異論を許さない』ものであるかのように、事実をゆがめ」たこと
2、「1月に出版した本のなかなどで……日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して『野党共闘の障害になっている』『あまりにご都合主義』などと」述べたこと
 この二点に限られている。これらはいずれも、松竹氏が初めて提唱して広げたものではなく、共産党に期待する、あるいは野党共闘に期待する国民のなかにある一部の疑念や要望にほかならない。
 つまり、これらの主張を党に対する「攻撃」認定したことは、党内の少数意見、あるいは今の党の方針とは異なる国民からの要望をも、問答無用に切り捨てることを意味する。だからこそ党内外で疑問や反対の声が上がり今なおくすぶり続けているのである。国民からすれば「将来共産党が政権をとったら、こんなふうに統制されてしまうと思えてしまう」(大山代議員の発言)のである。


 党の外から言えば「攻撃」になるが、党の正規の会議なら問題視されないなどという党指導部のダブルスタンダードは、「結社の自由」から当然だとする党指導部の論理としては成り立つのかもしれないが、政治革新をめざす党の政治判断としては誤りである。政治革新をめざす党の指導部は、党内の反対意見・少数意見にしかるべき敬意を払い、最大限それらを尊重しなければならない。たとえそれが誤った意見であってもそのような意見を党内に浸透させてしまったのは指導部の至らなさにある。指導部がなすべきことは、反対者を即座に除名・除籍するのではなく、党内外で粘りづよい討論、対話と説得を継続することである。それが大山代位議員が語った「包摂の論理」というものである。

 そもそも異論を理由に除名したのではないとし、処分決定文書に処分理由の「攻撃」内容も明記されているにもかかわらず、それ以外に「綱領と規約にどのような攻撃を行ったか」を問うことは処分理由の追加・変更につながるものである。ところが「結語」は、除名処分に疑問を呈するならその「検証」が必要だと言い、そうしない発言者は「姿勢に根本的な問題がある」とし、あげくは党指導部自らその「検証」をしてみせ、次のように述べる。

 

党を除名された元党員の問題は、山下副委員長の報告で詳しく解明したように、「共産党の安保・自衛隊政策が野党共闘の障害になっている」「安保容認・自衛隊合憲に政策を変えよ」「民主集中制を放棄せよ」という支配勢力の攻撃にのみ込まれ、射落とされ、屈服したところに政治的本質があります。党外から出版という形で党の綱領と規約を攻撃したものを除名処分にしたことは当然です。問題のこの政治的本質をまったく理解していないことに、発言者の大きな問題があるといわなければなりません。


 このように除名理由ではないはずの異論そのものが問題の「政治的本質」とまで述べているのだ。「支配勢力の攻撃にのみ込まれ、射落とされ、屈服した」から(昔風にいえば〝転落者〟だから)除名は当然だという論理である。まさしく「排除の論理」そのものである※。

 ここまでくるともう支離滅裂というほかない。「異論を唱えたから除名したのではないと繰り返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとには松竹氏の論の中身が熱心に展開されますので、やはり『異論だから排除された』と思わせてしまう」(大山代議員の発言)どころではない。この「結語」は、まさに異論こそが「政治的本質」だとして除名処分を正当化し、はからずも党指導部が「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」という党規約を踏みにじったことの証明となっているのだ。

 

※:党指導部はこの論理に従って完全に「対話を拒否」し、松竹氏の除名処分再審査請求を受けても何の返答もしない、「却下」の決定をしても通知しないという態度を取りつづけている(〝転落者〟とは口もきけないというわけだ!)。
 

管理人(2024/1/22)