先日大阪のとある繁華街を歩いていると「ファシスト」だと自称する人物がマイクを使って街宣していた。通りがかりに聞こえたのは、〝ファシストだけど、怖くありませんよ〟という趣旨の発言だった。何が言いたかったのだろう? ファシストというと恐ろしいイメージがあるかもしれないけど、民主主義のある日本という国で合法的に活動しているんですよ、だから話を聞いてくださいよ、いいこと言ってるんですよ、ということなのだろうか――と私は想像した。同じようなことを共産党の指導部も言ってるんだよね、と思いながら……。

 党指導部批判を公表すると規約違反として処分されるのは時代錯誤だし民主的ではない――というと指導部が決まって持ち出すのが「結社の自由」だ。この指導部による「結社の自由」論、言ってることはまったく正しいのだが、同時にまったく筋が通っていない。
 松竹問題でもそうだが、その前にあったフリージャーナリストの今田真人氏の除籍処分(2014年)でも党書記局はこの「結社の自由」論を今田氏に示している。さわりの部分は以下のように書かれている。土方声明とも共通するものがある。
 

……あなたが「党規約」を認めるといっても、あなたの党規約の理解そのものが一貫して間違っているのです。あなたは次のようにいっています。
「(言論、出版の自由について)日本国憲法は、それを国民一人一人の基本的人権として保障しています。それが時々の党中央の方針と異なるからといって、それを公表すると党を攻撃するものとみなし、規約に反するので除籍するなどという措置は、憲法の上に党規約を置くものであり、時代錯誤もはなはだしい」
憲法と党規約の関係という点に限っていえば、これがどんなに間違った主張であるかは、すでにあなたに宛てた昨年11月11日付の書記局文書で明確にしているところです。
「日本国憲法二一条は、言論の自由とならんで結社の自由を定めています。結社の自由とは、個々人にとってみれば、加入するかしないかの自由、結社の一員であり続けるか脱退するかの自由をふくんでいます。自由な意思で加わった結社の目的や内規が自由への拘束と感じるようになった場合、成員には脱退する自由があります。結社の側は内規に従えない成員を脱退させることができます。日本共産党の規約も、『離党』の自由を認め、また党の側からの『除籍』という措置を定めています」
たとえば「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という党規約の規定が、自分の自由な言論、自由な出版を妨げると考えたら、その規約を無視し蹂躙するのではなく、そういう規約を持っている党から脱退するという自由を行使すればよいのです。
あなたの手紙そのものが、あなたが何と言おうと、あなたがまともに党規約をまもる意思がないこと、したがって日本共産党員の資格の根本が欠けていること、除籍が正当であることを重ねて立証していると考えます。

 

 指導部はもっと正直に、もっとあけすけにこう言えばいいのだ――共産党員である以上、時代錯誤で非民主的な規約に縛られます、それが嫌ならやめればいいんです、と。だが指導部は決してそうは言わない。130%の党を掲げる以上、狭き門にするようなことは言えない。党内には批判する自由があるとか意見の違いで排除することはないとか、共産党は民主的なのだと強調してみせ、共産党が非民主的だというのはむしろ反共攻撃なのだと言う。――繁華街の「ファシスト」の発言を聞いたときに思い浮かべたのが、こうした党指導部の姿勢だ。
 こういうのを何と表現すればいいのだろうか? 土方氏にならって「卑劣なやり方」か? あるいは「ご都合主義」か?


 異見を述べることはできても「同調者をつのる」ことができないのだとすれば、党内で反対意見をあげるのは、会議で独り言をいうのと何ら変わらない。賛成であれ反対であれ、そもそも意見を述べること自体が「同調者をつのる」ことだろう。賛成の場合だけ「同調者をつのる」ことは認められて、反対の場合は認められない。少数意見はいつまでたっても少数意見のまま、たまたま先見の明のある優秀な幹部がその少数意見に目を留めたか、あるいは自分で思いついたかして、それを絶賛したときにだけ多数意見になれる。これが日本共産党の党内「民主主義」である。
 たとえば、1989年6月4日に自分たちと同じ年頃の学生たちの平和的なデモが戦車によって蹴散らされたことを知り、怒りに怒った若き日本共産党員たち(私もその1人であった)は「中国なんか社会主義国じゃない」と訴えたが、多数派指導部は生成期ながら社会主義国だという見解を頑として変えなかった。当時の少数派は、ひたすら耐え忍んで30年以上たってようやく多数派になれた(ついで永年党員にもなれた!)。しかし達成感なんてこれっぽっちもない。失われた30年を返せ、『日本共産党の百年』で反省めいたことを書いて終わりにするな、せめて当時党を離れた少数派の人たちに土下座してでも戻ってもらえ、と言いたい。
 何を言ってるかではなく何をやってるかで判断せよとは、レーニンの言葉だったか、別にレーニンでなくても誰でもいいのだが、ものごとを判断する際には当たり前の指針であろう。その指針に従い、多くの国民は、共産党は口先では民主的だというが実際は非民主的だと気づいている。党指導部は言行一致をすすめるべきである。もちろん、口先で言ってることを実践するのである。
 

管理人(2023/12/8)