私は『さざ波通信』の停止(2004年)後は日本共産党関係の文献(貴重なものも含む)を処分し、党から距離をおいてきたが、昨年から穴埋めとして読みこんできて感じたことは、私たちが『さざ波通信』で批判していた頃から、何も変わっていないということ。不破氏が委員長から退いたあとの志位氏は、不破氏が敷いた新路線を忠実になぞってきただけで、新しいことは何も提起していないと言ってもよいのではないか。彼は基本的に〝守り〟タイプのリーダーだ。党に必要な有能な人材であろうとも、長期間〝守り〟ばかりでは、組織は縮小するだけだろう。

 今後はしばらく、『日本共産党の百年』を読み進めながら『日本共産党資料館』の資料充実に努めようと考えている。

 

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 「さしあたって一致できる目標の範囲」の統一戦線=「暫定政権」のうち、日本共産党が61年綱領の下で本格的に実現可能なものとしてはじめて追求したものが革新三目標(1971)にもとづく「民主連合政府」である。
 「民主連合政府綱領」発表時(1973年)、「日米安保条約の廃棄」はいちおう共産党と社会党と公明党の三党間では一致していた。一方、自衛隊政策について61年綱領では、当面の課題としては「自衛隊解散」としていたが、これについては三党間では一致していなかった。そこで「民主連合政府綱領」では、自衛隊政策の一致点として次のような形で提唱した。

 

民主連合政府は、なによりもまず、当面、革新統一戦線として一致できる範囲で、日本軍国主義の復活を阻止する効果的な措置をとる。そして国民世論が成熟し、統一戦線を構成する政党間の一致がえられた場合、憲法の規定にもとづく自衛隊解散を実現できるようにすべきである。

 

 これは要するに不一致点の「凍結」である。ただし党として「段階的解消」論を採らず「解散」を追求する。これを不一致点の「凍結」と呼ぶことにすると、当時の「暫定政権」論である「民主連合政府綱領」は、(A)「日米安保条約」は「即時」廃棄、(B)自衛隊は不一致点の「凍結」となる。

第1ステップ:当面する課題「自衛隊解散」を未来へ追いやる
 社公合意(1980年)によって最終的に「民主連合政府」が破綻したあと、党指導部は「民主連合政府」を党独自の政策としての「統一戦線政府」に格上げしていくのだが、それには障害があった。
 その障害除去の第1ステップが、20回党大会(1994年)で従来の中立後の自衛想定方針から転換し、「憲法9条にしるされたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したもの」としたことである。これによって自衛隊の反動的側面は捨象され、「自衛隊解散」という党の当面の政策は、軍事力のみならず国家権力が縮小され不要になっていく段階である「社会主義・共産主義」という未来へ追いやられることになった。ただし同時に、あくまで自衛隊=違憲だという党の主張は堅持され、自衛隊の解消に至るまでの過渡期には自衛隊は活用しないことも合わせて提起された。だが、これは後にみるように、党員に政策転換を受け入れやすくするためのその場限りの方便であったことが明らかになる。

第2ステップ:「日米安保条約」の即時廃棄を「凍結」
 第2ステップは、新しい「暫定政権」論の提唱である。現在の「暫定政権」論の原型は、旧綱領下の1998年8月の不破委員長(当時)のインタビューで初めて提起され、1998年9月の志位書記局長(当時)による21回党大会3中総「幹部会報告」にて確認された。この「幹部会報告」の核心部分は、安保条約にかかわる問題の「凍結」にある。志位氏は、かつて「右」転落した社会党とは異なることを次のように強調してみせた。
 

 そうした政治的局面が生まれたときに、暫定政権が実現するには、いくつかの条件が必要となってきます。……(略)
 一つは、安保条約についての立場のちがいを、政党としてはたがいに相手におしつけないということです。すなわち党としては安保についての立場のちがいを留保して、政権に参加するということです。わが党は、暫定政権のもとでも、安保廃棄派が国民の多数派となるような独自の運動をおこなうことはいうまでもありません
 いま一つは、暫定政権としては、安保条約にかかわる問題は「凍結」するという合意が必要となります。すなわち、現在成立している条約と法律の範囲内で対応すること、現状からの改悪はやらないこと、政権として安保廃棄をめざす措置をとらないこと、これらが「凍結」ということの基本点でしょう。……(略)(強調は引用者)

 わが党のこの方針は、社会党がたどった道とは根本的にちがいます。……社会党が参加した政権は、安保条約についても、政権としていかなる歯止めももうけず、日米安保共同宣言や新ガイドラインなど安保改悪の路線を推進してきました。……社会党は党として安保問題を保留して政権に参加したのではありません。すでに細川政権に参加する以前の「93年宣言案」で、「安保条約の許容」を党としても決定し、村山政権のもとでは、たいへんな「トップダウン」の方法で「安保堅持」を党としても決定しました。……わが党がいまあきらかにしている政権論とは天と地のちがいがあることは明りょうでしょう。

 

 ここで志位氏が述べていることは最新著『新・綱領教室』で「安保条約」の「段階的解消」論を採らないとしている部分と同じ趣旨である。この弁明は、今のところ、その場限りの方便ではなく遵守されている。いずれにせよ、これによって当面する課題(A)「日米安保条約」の「即時」廃棄は、不一致点の「凍結」へと転換された(※「凍結」の問題点については、かつて共産党が社会党に向けて批判したのと同様の批判を『さざ波通信』でおこなっている)。

第3ステップ:違憲の自衛隊を「野党連合政権」・「民主連合政府」で「活用」
 1999年7月の『産経新聞』のインタビューで不破氏は、「非同盟・中立の日本」で自衛隊の活用を明言、さらに2000年6月『朝日新聞』のインタビューでは、「野党連合政権にせよ、民主連合政府にせよ、まだ自衛隊が存在している段階で、日本が外国の侵略をうけた場合、自衛隊を活用するのか」との質問に「理論的にいえば、侵略に対抗する手段として、自衛隊を活用するのは、当然」だと答えた。これらは20回党大会決議を否定する党規約違反の発言であったにもかかわらず、直後の22回党大会(2000年)で追認される。

 そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。

 

第4ステップ:自衛隊の「段階的解消」論(3段階解消論)
 そして最後の仕上げとして22回党大会(2000年)で、自衛隊の3段階解消論が採用された。大会決議では、党の立場として次のように説明されている。
 

 自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。(強調は引用者)

 

 こうして(B)党の自衛隊政策は「段階的解消」論となった。ここで注意しておきたい点は、「自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがない」としつつ、第2段階である「民主連合政府」の段階になれば、党は「憲法九条の完全実施」(=自衛隊の解消)を「めざす」とされていることである。つまり、第1段階では「憲法九条の完全実施」を目指さないこと、第2段階の安保廃棄後に、従来の党の立場にもどるということになる。



党綱領の立場と「暫定政権」の関係


・民族民主統一戦線政府(61年綱領)
日米安保条約の廃棄:即時
自衛隊:解散

・「暫定政権」としての「民主連合政府」(1971年~1980年)
日米安保条約の廃棄:即時
自衛隊:凍結(党としては解散を主張)

・統一戦線政府としての「民主連合政府」(2004年綱領)
日米安保条約の廃棄:即時
自衛隊:段階的解消の2段階目(党としては解消をめざす)(2000年)

・新たな「暫定政権」(1998年)「国民連合政府」(2015年)「野党連合政権」(2021年)
日米安保条約の廃棄:凍結(党としては廃棄を主張)(1998年)
自衛隊:段階的解消の1段階目(2000年)

 

管理人(2023/9/23)