こうして2020年の綱領改定を振りかえってみると、その限界もまた見えてくる。それが綱領に今なお残っている“生産力至上主義”とも言うべきものだ。
現行綱領は、社会主義への「客観的条件、および主体的条件」として「五つの要素」をあげている。
一つは、「資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力」。
二つは、「経済を社会的に規制・管理するしくみ」。
三つは、「国民の生活と権利を守るルール」。
四つは、「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」。
五つは、「人間の豊かな個性」。
綱領はここで「資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力」が社会主義の1つめの条件になっているとするのであるが、それだけではない。綱領第5章「社会主義・共産主義の社会をめざして」に次のような規定がある。
生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の構成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。
生産手段の社会化は、経済を利潤第一主義の狭い枠組みから解放することによって、人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的な発展の条件をつくりだす。(強調は筆者)
引用の2段落目の規定では、社会主義とは何よりも物質的生産力の発展・拡大であるとみなすことになる。社会主義になったら経済が停滞するというイメージを払拭したいという意図があったのかもしれないが、「資本主義と社会主義の比較論」をやめたのなら1段落目の規定だけで十分、2段落目の規定は削除すべきであろう。
党指導部が十数年間にわたる中国の経済成長を「社会主義をめざす新しい探究」とみなしてしまった原因=楽観主義は、おそらくこの“生産力至上主義”にある※4。中国のめざましい経済成長とリーマン・ショック後の世界に先駆けた景気回復と、「覇権主義」の強化とを天秤にかけて判断を下しかねていたのではないか。
確かに資本主義勃興期にあった若きマルクスはそのような“生産力至上主義”ともみなせる表現もあるが、その後資本主義下の資源の浪費や環境破壊といった負の側面をも正確に把握している。斎藤幸平氏の議論※5を出すまでもなく、志位氏自身が「利潤第一主義」を否定するものとして引用するマルクスの以下の記述にもそれは明らかなのである。
この領域(物質的生産の領域、必然性の国のこと――引用者)における自由は、ただ、社会化された人間、結合した生産者たちが、自分たちと自然との物質代謝によって――盲目的な支配力としてのそれによって――支配されるのではなく、この自然との物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同の管理のもとにおくこと、すなわち、最小の力の支出で、みずからの人間性にもっともふさわしい、もっとも適合した諸条件のもとでこの物質代謝を行なうこと、この点にだけありうる(『資本論』第三部第七篇第四八章「三位一体的定式」)
社会主義は、もちろん資本主義で発達した技術や生産力を継承するだろうが、目下の気候危機のさなかにあっては、その発展・拡大よりも「最小の力の支出」に抑えることをこそ強調すべきではないだろうか※6。
以上が私の読書メモである。冒頭に記したように、2020年の綱領改定で「二つの体制の共存」という理論的枠組を廃したことには積極的意義があるし、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である」としたことも評価できよう。
ただ社会主義をめざすうえで、日本を「発達した資本主義国」とすること、それもまた一種の“生産力至上主義”であることを最後に指摘しておきたい。2020年の綱領改定で加えられた「ジェンダー平等」については、志位氏もその意義を十分に語っているが、ここは簡潔にまとめられている「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」からの引用で締めくくりとしたい。
「今日のジェンダーギャップの世界では、日本は『先進国』どころか、カースト制度が色濃く残る127位のインドとほぼ同じ」であり、「日本は、戦前関東軍731部隊の中国人・ロシア人『マルタ』を使った人体実験・細菌戦や、国内で戦時体制構築に使われた『民族衛生』『国民優生法』の伝統が21世紀にまで持ち越された、特異な女性差別・外国人差別残存国なので」ある。
つまり社会主義をめざすうえでこの分野をみたとき、日本は共産党独裁の中国以下の途上国であり、日本共産党の奮闘がもっとも求められる分野なのだ。(おわり)
※4:生産力拡大を無条件に進歩的なものとみなす不破=志位指導部の“生産力至上主義”は、生産力を拡大する中国への「期待」をもたらした一方で、帝国主義概念の後退とアメリカや日本などの多国籍企業による帝国主義的進出の「美化」をもたらした。詳しくは、2004年綱領改定時の「さざ波通信」S・T編集部員による批判を参照していただきたい。
※5:斎藤幸平氏は、「マルクスが若い頃の生産力至上主義を捨て去り、資本主義による自然の略奪によって生じる物質代謝の『亀裂』を資本主義の矛盾として把握するようになった」と指摘する。(『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』2019年)
※6:人間の活動が自然環境に与える負荷を表す指標にエコロジカルフットプリントがある。地球上の生物生産空間120億ヘクタールとして、2010年時点での人類1人当たりの割りあては、1.8グローバルヘクタール(gha)、サッカー場2個分ということになる。先進諸国のエコロジカルフットプリントは、アメリカ人1人あたり9gha(5倍)、カナダは7gha(約4倍)、EUは4~6gha(約2~3倍)となっている。以上の数値は、『脱成長』(セルジュ・ラトゥーシュ)による。なお、2019年での日本人1当たりは4.7gha(約2.6倍)である(WWFジャパンの資料)。この数値が突きつけていることは、現在の技術を前提とするならば、先進諸国の生活のあり方を全人類にゆきわたらせることは(社会主義であっても)できないということではないか。
管理人(2023/7/19)