2020年の党大会で綱領改定の報告をおこなった志位委員長はそれを指導部の判断の誤りだったと総括するのではなく「綱領改定の当初は、合理的な規定」であったとし、「中国の変化」によって「国内で社会主義をめざすと判断する根拠なし」と判断するに至ったとした。これは、よくある歴史的無責任(責任回避)論、"その時の事情からしてこうなる(する)ほかなかった"説である。
 志位氏はその事情の「変化」として「人権問題」としての「2008年4月のチベット問題」、「覇権主義」としての「東シナ海と南シナ海における力による現状変更を目指す動き」や2016年9月のアジア政党国際会議(ICAPP)総会での核兵器廃絶の問題における中国共産党代表団のふるまい、を挙げる。

 そもそも歴史的無責任論にもとづくこれらの説明は、前述の削除された綱領規定を読めば誰にでもわかるように削除理由としてはふさわしくない。「社会主義をめざす新しい探究」だという改定前の綱領規定は、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みのことを指しているからである。「中国の変化」によって「社会主義をめざすと判断する根拠なし」と判断したというならば、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みに、社会主義から逸脱する方向への「変化」があったことを示さなければならない。
 だが志位氏にはそれができない、かといって口をつぐむわけにもいかなかったのだろう。そこで彼は「中国に対する綱領上の規定の見直しが開いた『新たな視野』として、資本主義と社会主義の比較論から解放され」たと説明する。

 いやいや、冗談はやめてほしい。「資本主義と社会主義の比較論」に結びつく綱領規定を削除すれば、それから解放されるのは当然だろう。こんな議論はトートロジー(同義反復)にほかならない。
 しかも彼は、そのような比較例として中国のジニ係数をとりあげ、「この間、中国は、GDP(国内総生産)を急成長させ、絶対的貧困人口は大きく削減しましたが、同時に、目のくらむような格差社会をつくりだしている」(97ページ)とするが、この数値を用いた説明にもやはり「中国の変化」が語られていない。

 なぜか。事実は悪化したのではなく改善したからである。わずかとはいえ2009年以降、中国政府の内需拡大策によってジニ係数は減少しているのである(中国国家統計局が公表した数値によれば、ピークの2009年が0.491で、2013年は0.474、2020年は0.468となっている)。リーマンショック後、中国は世界に先駆けて超大型の経済対策を打ち内需拡大で景気浮揚を実現した。
 つまり、綱領規定の削除は、それに直接かかわる「中国の変化」によっては説明できないのである。生産力の拡大だけを目的とした新自由主義的経済政策に「市場経済を通じて社会主義へ」という性格づけをしたこと自体、そもそも無理があったということだ。

 次に、志位氏の2つの言いわけの1つめに挙げられているチベット問題は、それこそ中国がチベットを併合した中華人民共和国建国時からの問題である。仮に2008年以前には国際問題でなかったのかどうかは問わないとしても、国際問題として表面化したことはチベット民族の継続的な抵抗・闘争の結果によるものである。この時期に少数民族政策や人権問題で「中国の変化」があったわけではない。
 少数民族政策や人権問題を基準にするなら、中国は建国当時から社会主義でも社会主義をめざす国でもないのである。もし志位氏の言うように「社会主義が世界史的にみれば生成期」だったから「いずれ克服される」と期待して、国際問題化するまでは判断をくださないという理屈が成りたったとしても、1989年の「天安門事件」の時点で「国内で社会主義をめざすと判断する根拠なし」としていなければならなかったはずだ。

 ところが2008年に至るまで、この分野における中国共産党の誤りも「いずれ克服される」と党指導部が期待していたのであれば、その楽観主義の根底に何があったのかが問われなければならないし、そこから実際の綱領改定にいたる12年間の躊躇は何だったのかも問われなければならない。

 志位氏がもう1つの「中国の変化」として挙げている中国の「覇権主義」、これこそこの間の中国の対外政策の変化を表すものであり、党指導部が判断を変える契機となったものであろう。だが「覇権主義」があるかどうかを「社会主義をめざしている」かどうかの主要な判断基準とすることもまた誤りである。「覇権主義」とは無縁だったチャウシェスク独裁のルーマニアを持ちあげて恥をさらした過去にしっかり向きあう必要がある。(つづく)

 

管理人(2023/7/17)