六中総を読んでの全体としての私の感想は、松竹伸幸氏のブログ(動画)「動画・野党共闘の時代は終わった」で言われていることとほぼ同じだ。日本共産党は政権にかかわろうとする意思(未練)をキッパリと捨て、地道な運動を再構築していくことに力を注ぐべきだろう。ただし、政権への幻想を断ち切った上での他の野党との個別な課題での共闘の追求はありうるし、場合によっては政権共闘を呼びかけもありうる。

 では運動をどう構築していくのか?

 少し前になるが、NHKの世論調査で「石破茂首相の続投」に「賛成が反対を上回った」 としたが、実は「回答者の年齢層に偏り」があり、それを補正すると「反対が賛成を上回る結果になる」という報道があった――相対的に高齢の回答者が多かったのである。ひるがえって共産党中央が地区委員会を通じて集めた支部党員らの声はどうだろうか? 党員の過半数が年金受給者であるなら 「年齢層の偏り」はNHK調査の比ではないだろう。この偏りを補正しなければ、共産党にできるのは年金生活者のための運動だけになる。補正方法としては、広く現役世代の声を聞くしかない。そういう意味では四中総から提起されている「要求対話・アンケート」の取り組みは最低限の補正活動として必要になる。それができて、ようやく出発点だ。

 だが、今の高齢化した共産党にはこの最低限の活動でさえままならないだろう。六中総は、こうした困難な取り組みに追い打ちをかけるように「世代的継承を中軸に、質量ともに強大な党をつくる集中期間」を呼びかけている。しかもその「集中期間」の取り組みで志位氏の二つの小冊子(いわゆる赤本と青本)を、「すべての党機関と支部で学習するとともに、青年・学生、労働者はじめ国民のなかに広げる」のだという。それより先に、思い切った活動主体(支部)の再編(=動ける党づくり )を実施すべきではないのか。

 たたかいの課題のなかで微妙に浮いている「賃上げも時短も」もそうなのだが、この六中総は、国民の切実な要求や現実やその現場に直面する支部よりも党首の方に顔を向けて書かれたようだ。 

 

 六中総の提起を個別的にみていくと、目を引くのが、「いま日本で私たちが目にしている極右・排外主義の台頭は、社会的・経済的・歴史的な根をもっており、『一過性』のものと軽視することはできない……本腰を入れて極右・排外主義とたたかう」としていることである※。

 それにしても党中央が考える「社会的・経済的・歴史的な根」とは何なのかこの文書ではさっぱりわからない。そこを詳しく明らかにすべきだろう。

 志位氏の「中間発言」では、欧州におけるたたかいに学ぶとしているのだが、それこそ「社会的・経済的・歴史的な根」が異なる。彼はただ欧州の経験から「危機はチャンスにもし得る」という「階級闘争の弁証法」を抽出しただけだ。ただただ〝根性でがんばれ〟あるいは〝欲しがりません勝つまでは〟式の精神論を「弁証法」という〝高尚な〟用語で糊塗しているにすぎない。具体的な分析がなく、あまりにもお粗末だ。

 欧州との違いは闘争主体についても言える。欧州の戦闘的左派は一貫してグローバリズム・新自由主義に反対して闘ってきたからこそ、反グローバリズムの流れのなかで勢力を多少なりとも拡大できた。一方、日本共産党(不破=志位指導部→志位指導部)の場合は、グローバリゼーション自体は否定せず、そのアメリカ主導のやり方が問題なのだという特殊な反グローバリズムであった(ゆえに例えば日本企業の海外活動に対する批判は弱かった)。日本共産党の支持が伸びないのは、この特殊性によって国民から反グローバリズムの担い手とみなされていないことにも一因があると私はみている(日本のグローバリズム・新自由主義自体にも、欧米から遅れたゆえの特殊性がある)。

 

※:ここに字数を割いているのは、この間参政党の演説会での妨害行為など過激化する一部の活動(家)についての批判・懸念の声が党中央にもあがってきたためであろう。小池書記局長は記者会見で、参政党の演説会を妨害する目的で使われたのは(発煙筒などによるスモークではなく)「ミスト」だと述べたが、実際に使われたのはイベント等でスモーク演出に使われるジェットフォグ発生装置(水+グリコール液)であって、熱中症防止目的で使われるようなミスト発生器(水)ではない。妨害行為を少しでも小さく見せたいがための姑息な言い換えである。