よく犬は飼い主に似るという。実際には飼い主が犬のほうに似ていくのかもしれないが、犬もご主人様が好きで、飼い主も犬を我が子のようにかわいがるから、互いに少しずつ近づいてゆくのだと思う。
 僕にも似たような経験があった。あれは高校2年の時だ。ある日、級友がまじまじと僕の顔を見つめ、「似てるねぇ」とつぶやくのだ。彼は僕が犬を飼っていることなど知らない。思わず僕は訊いていた。「何に?」
 彼は即答した。「落合だよ」
 思い出してほしい。僕は落合博満をハンサムとは思っていなかった……。でも級友は褒め言葉のつもりで、似てると告げたのだ。球界の四番に似ているなんて光栄じゃないかと。僕は複雑だった。
 でも次第に、まんざらでもない気持ちになった。相変わらず運動音痴で、甲子園への憧れはありながらも野球部入りを断念していた僕にとって、その言葉はささやかな励ましになったのかもしれない。

 うちの高校は進学校で、周りはまず第一に学業優先だった。でも僕の中には勉強だけを頑張るという選択肢はなかった。勉学も精一杯頑張って、野球も必死にやる。それが僕の高校生活の理想だった。
 でも僕は中学時代のある挫折で、勉強も野球も100%の力で取り組めない人間になっていた。真面目すぎた故に、当時荒れ始めた周りの生徒に馴染めず、僕は中学校のある期間、クラスで孤独な時間をすごしたことがあった。それでも親友や先生、家族の支えがあり、その時期を乗り越えることができたが、僕はその過程でほんの少しだけ学業の成績が下がった自分を許せなかった。誰もそんなことを責めたりしない。周りの理解があったにも拘わらず、当の本人が人生の目標を失い、絶望してしまったのである。今ふり返れば、何故そこまで思いつめてしまったのだろうと客観的に見ることができるのだが、十代半ばの僕は真剣に悩み、ただただ苦しかった。
 希望の高校に入学することができ、本当なら心から嬉しいはずなのに、99%までは喜べても100%喜ぶことができない自分……それが恐ろしかった。僕の気持ちは高校生活で一度も、きれいに晴れわたることはなかったのである。
 僕が高校で野球部に入らなかった理由は実はそこにあった。勉強との両立を断念したからではない。家が遠く、時間を作れないからでもない。坊主頭には多少の抵抗もあったが、それは理由にもならない。
 僕は100%努力できない自分が恐くて、目指す前から甲子園を諦めてしまったのだ。

 野球を諦めるということは、勉強を諦めることとイコールだった。もう少し僕の頭が柔軟で、野球がダメなら勉強があるさ、勉強がダメなら野球があるさ……そんなふうに考えられる人間だったら結果は随分変わっていたと思う。それでも僕は100か0の思考しかなく、とてつもなく頭の硬い人間だった。
 そして現実を正確に認識する能力にも欠けていたと思う。もし野球部に入っても、当時の僕の実力と、体力のなさでは、レギュラーはおろか練習にもついていけなかっただろう。だから野球部に入っても挫折していた可能性は限りなく高い。だけれど、やった上での後悔と、やらなかった後悔とでは、まったく意味が違う。実際に野球に取り組んで、厳しい結果が出たなら、もちろん辛い思いはするだろうが、その時の思い出も残る。でも野球部に入らなかった僕には、高校の野球部での思い出がない。

 世の中で最も恐ろしいものは、後悔だと思っている。

 僕は自分の手で、人生の大きな選択ミスをしてしまったのだ。この時の想いは、のちに僕が野球に取り組む姿勢に活かされることになる。それは高校卒業後、約10年もあとの話だ。

 思えば、落合博満も若き日は順風満帆な野球人生ではなかった。彼には実力があった。高校一年から四番を打つ力があった。それでも野球部の先輩の理不尽さに嫌気がさし、入退部を繰り返し、結局、甲子園出場も果たせなかった。しかし落合は10年のちにプロ野球を代表する打者になる。そこにあるキーワードは「天才」ではなく「努力」だ。もっと正確に言えば、「天才がとことん努力をした」のである。やはり野球の世界では、生まれ持った才能も必要だ。だが才能だけですべてがうまくいくほど、この世界は甘く作られてはいない。最後に勝つのは、最も練習した選手である。
 背番号6の落合はドラゴンズの四番として試合に出続けた。高校時代、家で中日の試合を観戦する時間と睡眠の間だけ、唯一悩みを忘れることができた僕にとって、落合博満の活躍は心の救いだった。

 背番号6はどん底の僕を救う人生の恩人になった。

つづく