2月1日、プロ野球12球団がキャンプインした。新しいデザインのユニフォームに袖を通した選手たちもいる。まっさらなユニフォームを身に着け、プロ野球の元旦に、気持ちを新たにする選手たち。
 当たり前のことだが、自主トレ中に選手が球団のユニフォームを着て練習することはない。それは12月、1月がシーズンオフで、選手の球団との契約は2月から11月までになっているからだ。
 ふと思うことがある。選手は、ユニフォームで練習するのと、ジャージで練習するのと、どちらの自分が好きなのだろうか……と。もちろん性格に因るところが大きいだろう。規則や慣例に束縛されるのを嫌う選手は、ユニフォームに堅苦しさを感じ、自分のスタイルを貫ける自由なファッションで練習することを好むかもしれない。逆に、ピシッとした服装で身も心も戒め、練習に臨むほうが、集中できる選手もいることだろう。
 意識の差である。もちろんそういう観点もあるが、もっと単純に「自分のチームのユニフォームが格好良いかどうか」を判断基準にしている選手だっていることだろう。モデル並みに私服を着こなす新庄選手の考えを聞いてみたいものだ。
 私は、中学、高校時代、こんな感覚を憶えたことがある。野球のユニフォームは着たいと思うが、学校の制服は着たくない。これは集団で同じものを着用することへの反発心などでは全然ない。純粋に、野球の真っ白なユニフォームは好きだが、固い詰襟で真っ黒な学生服は嫌いだったのである……。
 逆に学らんに格好良さを憶える人は多いだろう。初めて着たとき、大人になったような感覚を味わったことを、懐かしく思い出す男性もいると思う。残念ながら私にその感覚はなかった。みんな同じでは個性が埋もれてしまうとまで思った。
 でも野球のユニフォームは違った。仲間と同じデザインのユニフォームに袖を通し、練習できることが嬉しかった。個性は背番号が表す。私が最初に着けた番号は「6」だ。今でもこの数字がとても好き。この気持ちは、小学生の少年野球時代から変わらない。そこには普遍性がある。
 清原選手がドラフトで涙を見せ、巨人のユニフォームにこだわり続けた理由も、そこにある気がする。彼の気持ちは少年野球時代から変わっていないのだ。これだけ純粋な野球選手は珍しい。キャンプイン直前、気合いの髪型で話題をさらった清原選手だが、私は髪型よりもユニフォーム姿の清原選手のほうに目がいってしまった。選手の背中にユニフォームが似合っているほど、その成績も比例して上がっていく気がする。