製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイアー、ケヴィン・ミッシャー、レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・デイヴィソン、ジョナ・ヒル
原作:マリー・ブレナー
脚本:ビリー・レイ
撮影:イヴ・ベランジェ
プロダクションデザイン:ケヴィン・イシオカ
衣装デザイン:デボラ・ホッパー
編集:ジョエル・コックス
音楽:アルトゥロ・サンドヴァル
出演:ポール・ウォルター・ハウザー、サム・ロックウェル、キャシー・ベイツ、ジョン・ハム、オリヴィア・ワイルド他
昨今、SNSの拡散から、誹謗中傷の被害を受ける非のない人の話が後を絶たない現代。
『リチャード・ジュエル』はアトランタ五輪が行われた1996年の話。
1995年にWindows95が大々的に発売され大ニュースに。
その翌年で、まだまだインターネットは限られた人だけが扱うネットワークでした。
その時代、人々の情報収集は、もっぱらTVと新聞と雑誌。
新聞の信頼度は、ほぼ100%に近い程高く、TVの情報拡散能力は絶大でした。
爆弾をいち早く見つけ、犠牲を最小限に抑える貢献をした主人公。
しかし、当時の絶大効果を誇る新聞、TVにより、英雄は一夜にしてテロの犯人候補として祭り上げられます。
昨今のSNS同様、起訴もされていない状況ながら、報道の過熱と共に、犯人に特定されたかのようになった事は容易に想像できます。
新聞記者のネタ獲り競争は、我先に犯人捜しをしてツイートする若者のそれと近いのかもしれません。
そして、当時のFBIのメンツと。
今も24年前も、媒体は変われど、そういう行動は変わってないのかも。
もう一つ、主人公の見た目、言動、過去情報によるレッテル貼りも要因の一つ。
独身、母親と二人暮らし、太っている、法務執行者への異常な執着、それによる過去のトラブル、銃マニア…
なんか、これも現代でも変わってないような気がします。
日本で事件があったとして、容疑者が逮捕されて、映像で見て、ニュースやSNSで上記のような情報を得て、
「ああ、やっぱりね。やりかねないね。」みたいな感覚ってありませんか?私はあります。
過去の冤罪事件の容疑者になってしまった人達も、少なからず、過去や置かれた環境、状況が判断されたなぁと思う事が多いと思います。
それを思い出し、個人的に胸が痛くなってしまいました。
主人公の言動、行動に心配してハラハラし、記者とFBIのやり方に熱くなる程に怒りを覚え、一夜にして地獄を見ることとなった母親の愛に涙し、巨大なマスコミ、捜査機関を相手に逆襲を試みる主人公と弁護士にまた熱くなる。
クリント・イーストウッド監督さん、面白いよ♪
キャシーベイツ、どうしても『ミザリー』のイメージが強かったのですが、いやいや凄いです!!ただただ凄いです!!
彼女の演技に入り込んでしまいました。
あらゆる情報が溢れる現代、SNSや報道に一喜一憂せず、しっかりと情報分別をしなきゃならないですね。