先日、おとう宛てにビールを送った。そして、おとうからメールでお礼が来た。
タイトル: おいしいビール
ありがとぅ。たいへんなことになってきてるけど、がんばって。
おとうのメールチェックポイントは毎回いくつかあるが。
- ちゃんと、タイトルと本文分けられてる
- 「ぅ」が小さいのは、むしろかわいいのでアリとする
- お礼と共に私への気遣いが見える
さて。でも、この「たいへんなことになってきてるけど」ってなんやろう。と私は考えた。
私が住んでいる国では、かなり厳しくコロナを見守っているし、一番のピークは脱したかのように思う。『新しい日常』として、マスクをつける条件や、店舗オープンの条件など、かなり厳しいし、昨年のようにはいかないけれど。一時期の緊迫感は脱している。
「たいへんなことになってきてる」つまり、最近、大変な事になったもの・・・・あ。日本か。
おとうのメールを見てからここまで、多分、2~3分。そして、おとうに返信をした。
タイトル: RE:おいしいビール
暑いと思うけれど、まだマスクせなあかんし。かといって熱中症もあるし。両方ちゃんと気を配るんやで。元気でおってください。
つまり、おとうの言いたい事を読んで、そのまんま受けて、返信した。
私は生まれた時から、ASDおかんとASDおとうに育てられた。今でこそ、おとうのASD感は薄いけれど(いや、薄くないか・・・)、私が子供の頃はこだわりも空気の読めなさも曲げられなさも天下一品で、おかんもさぞかし苦労したと思う。それこそおかんはカサンドラ症状あったと思う。かといって、ASDおかんも私が子供の頃からASD脳で「こうあるべき!」という自分目線が尋常でなかったので、おとうもより家庭より仕事に逃げたんやと思う。
まぁ、つまり。何が言いたいかと言うと。私は、ASD両親に育てられたASD英才教育なのだ(笑)。のちに妹ちゃんも生まれるが、やはりASDの妹ちゃんも、がっつり目のASDの幼少時代だったので。私はASDの中で育ち、それが当たり前だった。
発達障害は目に見えないから問題であると、色んなところに書いてあるし、みんな少なからず「確かにな」と思っていると思う。
でも、例えば・・・。それが、走る事ができない障碍だったとして。
私は、生まれた時からおとうも、おかあも、妹ちゃんも最初から走らない人々だったのだ。「走れない」人々ではなく「走らない」人々として認識していたのだ。多分、走る事ができない障碍だった場合、目に見えてわかるから、少し経てば「私のおとうとおかあ、他の人と比べると走らへんねんな」と気が付き「なんで走らんの?なんで義足なん?なんで車いすなん?」と疑問に思い「ああ、そういう障碍なんか」と納得すると思う。
でも、私のおとう・おかん・妹ちゃんの場合、目に見えないので。私は去年あたりまで「走らない」人のスタンスで、ASDの特性も「そういうもん」として受け取ってきた。
かといって、じゃあ、全部受け入れられて腹も立たないかと思ったらそういう事とも違う。走る事ができない障碍だったとしても、多分、時々私は「んもう。私だけいつも小間使いみたいな事になるやんか。わかってるけど。面倒やわ!」とかイラっとくると思うし、「走らんのはいいけど、他の人と違う事ぐらい理解してよ!」と思う事もあると思う。
多分それと同じで、「んもう。点と点がつながってないのわかるけれど、私そもそも日本国内におらんし!気遣いのポイントが違うねん」とイラっとくる事もあるし、もし、私が住んでいる国でのコロナがもっと大変な事になっていたなら「私の国の事情をちゃんと理解した上で気遣いしてよ!」と思う事もある。
でも、基本、「走らない」人なのだ。つまり、「点と点は結ばん」人。
だから、日本で起きている事(点)と、私の国で起きている事(また違う点)を結んで(線)気遣いはせんのが、我が家のおとう、おかん、妹ちゃんなのだ。多分、私の国で起きている事を理解しようとしていない時点で「本当の気遣いではない」という人もおるかと思う。
でも、やっぱり。「走らない」人なので、そもそも「走る」事も「私の国の事情を理解した上での気遣い」もしない人なのだ。「走らない人」なりの努力が、「ありがとぅ。たいへんなことになってきてるけど、がんばって」なのだ。それが、例え儀礼的に、「何かをもらったらお礼を言う事」とか「ついでに相手の事を気遣う言葉を入れる事」という事だったとしても。
例えば「走らない人」が、ジョギングに行こうとしている私に「付き合おうか?」と言ったとして、私は「意味のない提案」とは思わんと思う。「なんじゃその提案。面白いな。ウォーキングになる気がするけど(笑)。っていうか、私が押す事になるんか?(笑)ほんなら、川沿い行く?私、途中でショートランして戻ってくる感じなら一緒に行けるで」となると思うのだ。
ASDおとうの「点」での気配りは、「無意味」ではない。そして「偽物」でもない。
と、私は思うのだ。だって、「走らない人」が車いすや義足で一生懸命走る人の横についてこようとしてるのを「偽物」とはいわん気がするのだ。
だからといって、モヤっとしないという事ではないけどな(笑)。
もし読んでいる方やその近しい人に「走らない人」が居て、不快に感じたらごめんなさい。目に見える・見えない障碍の例としてわかりやすい例を・・・と思いました。モヤっとイラッとしたら、ごめんなさい。