昨日のスワンリバーの夜明け
雲がかかってご来光が望めず。
日の出の時間が6:40過ぎになり、薄暗い中の散歩が続くこの頃。
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ただいまオーストラリア全土で絶賛開催中の「オーストラリアン ヘリテージ フェスティバル」。
今年は、「マイ カルチャー、マイ ストーリー」をテーマに、各地で様々なイベントが行われている。
その一環として行われた「ライク ウォーター」という催しに、mimi duoのピアニストのSetsuさんがご招待してくださった。
(過去のmimi duo/Setsuさんのコンサートに関する記事はこちら。「ピアノとクラッシックギターの音色に酔う」)
パースで「水」に関するヘリテージ(歴史的遺産)と聞いて、誰を思い浮かべるであろう?
「C Y オコーナー」の名前が思い当たったあなた! ![]()
なかなかの西豪州通ですな。![]()
wiki先生によると、件のチャールズ Y オコーナーは、アイルランド生まれ。
(写真はwikipediahttps://en.wikipedia.org/wiki/C._Y._O%27Connorより拝借。)
21歳でニュージーランドに移住すると、エドワード(アーサー?)・ドブソンの元でアーサーズ パスの建設に携わったのを皮切りに、土木技術師として経験を積み、
後に、西オーストラリアにわたって、周囲の非難(河口に港を作るのは不可能である)をよそにスワンリバーの河口にフリーマントル港を完成させた。
その後、ゴールドラッシュに沸く 乾いた内陸部の町に水を供給するため、西オーストラリア州の初代州知事のジョン・フォレストより、金鉱地域水供給計画(Goldfields Water Supply Scheme)を任される。
この際も、この2.5百万ポンドに登る巨額の公共事業は、当時のマスコミや、ジョンフォレストが連邦議員になったあと州知事になったジョージ・リークや、一部の西豪州議会議員から非難を浴び続ける(「プロジェクト自体技術的に無理」だとか、「ゴールドラッシュは一時的なもので、金はすぐ枯渇してしまい、建設費を回収できないまま債務だけが残る」とか)が、
土木技術師として経験豊富なオコーナーには、このプロジェクトを成功させる自信があった。
オコーナーは、1898年から1902年の4年間で、マンダリング ダムと、
6万本の直径76cmの鉄のパイプをつなぎ合わせた、完成当時世界最長だと言われた 約530kmにわたって東に延びるパイプラインと、
高低差のあるパイプラインで水を送るために必要となる、8箇所のポンプステーションを完成させた。
(第1ポンプステーション)
ところが、すべての工事が終わってオコーナーが水を流し始めたものの、その水はカルグーリーに届かなかった。
プロジェクトの失敗と、世間からのバッシングで、失意のどん底に落ちたオコーナーは、1902年の3月、馬にまたがったままサウス フリーマントルの海に入り、自殺してしまう。
しかし、オコーナーの物語は、ここで終わらない。
実は、彼の自殺の直後(翌日?翌々日?)、カルグーリー側のパイプの端から水が出てきたのである。
水が、高低差のある長いパイプを満たしながら530kmの距離を移動するのに、数日を要してしまったのだ。
当時、西オーストラリアの多くの人が考えも及ばないような高度な知識と技術力を持ち、それを使ってプロジェクトを完成させながら、失敗したと思い込んだ上での悲劇的な自殺。
彼の死から約1年後の1903年1月パイプラインは正式に運用され始めた。
(以上情報は、wikipediahttps://en.wikipedia.org/wiki/Goldfields_Water_Supply_Schemeより)
途中、第2次世界大戦でパイプラインの一部が徴用されて、木製のパイプに取り替えられた時があったものの、完成から100年以上たった今も、ゴールデンパイプラインは内陸部の街に水を届け続けている。
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そんな、西豪州の今の発展の礎を築いたC Y オコーナーと、娘で芸術家のキャサリン・オコーナー(オコーナーの8人の子供のうちの一人)にスポットライトを当てたのが、「ライク ウォーター」のイベントだ。
(前ぶりが長くなってしまったので、イベントの様子は次回。
)
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