男の娘文化時評

男の娘文化時評

ある男の娘の非日常な日常を不定期で綴ります。
たまにまじめな話をします。

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6月7日にAKB48に選抜総選挙が行われました。
そこでは数々のドラマが生まれ、そして翌々日の大島優子さんの卒業とともに、AKB48の新たな歴史が刻まれました。

ところでこの選抜総選挙、現在あるところでも行われていることをご存じでしょうか?
こちらの映像をご覧下さい。



そう、SNH48でも現在第1回選抜総選挙が行われています。
そのやり方も全く同じで、速報の結果にメンバーもファンも一喜一憂しているのも全く同じです。

この光景を目にしたとき、ある番組を見たことを思い出しました。


■秋元康のパリでの挑戦

それはまだAKB48が日本でも有名になっていない数年前に、AKB48を取り上げたNHKの報道ドキュメンタリー番組です。
その内容は、秋元康さんがヨーロッパ(たしかパリ)で開催されていたコンテンツの見本市に参加し、AKB48を売り込んでいくというものでした。
AKB48を売り込むと言っても、メンバーを売り込むのではなく、「たくさんの少女たちが『○○○48』として、秋元康さん制作の楽曲を専用劇場で歌う」という仕組みを売り込んでいたのです。
そのために、まだ無名だったAKB48のメンバーをパリへ連れて行き、ステージ上でパフォーマンスを披露していました。
それを見た参加者は「何なんだこれは?」というようなポカンとした目つきで戸惑うようにパフォーマンスを見ており、
そのような反応からも分かるように、結果は期間中の交渉成立とはなりませんでした。
しかしそのとき秋元康さんは「パリ48やニューヨーク48のように、世界中に48グループを作りたい」と語っていました。

当時それを見た私は、そのような売り方があることに大変驚くと共に、そんなことが実現できるとは思ってもいませんでした。
しかしその数年後、2011年にインドネシアのジャカルタにJKT48が、翌年には中国の上海にSNH48が誕生しました。

エンタテイメント、特にテレビにおけるこのようなコンテンツの輸出は「フォーマット販売」と呼ばれるものです。
テレビ番組の内容設定や進行、演出などを共通のフォーマットとし、それを権利として販売し、各国版として現地のタレントが出演する番組として放映すると言う形です。
例えばイギリスの「Who Wants to Be a Millionaire?」は世界中にフォーマット輸出され、日本でも「クイズミリオネア」として放映されました。
また逆に日本で過去に放映された「風雲たけし城」はタイにフォーマット輸出され、今年から「TAKESHI'S CASTLE THAILAND」として放映される予定です。
このようなフォーマット販売をアイドルに取り入れようとしたのがAKB48、そして秋元康さんなのです。


■システムとしての新幹線

これと似たような輸出を試みているのが、インフラ輸出ではないでしょうか。
その一例として新幹線について考えてみたいと思います。

日本の新幹線は世界初の高速鉄道として1964年に開業し、高速・大量輸送機関として日本の高度成長を支えてきました。
新幹線というと、鼻の長い車両だけをイメージしてしまいますが、新幹線というのは、従来の鉄道とは大きく異なる輸送システム全体を総称するものです。
新幹線は、高速に走行するための線路の設計や安全に運行するための信号システム、大量の座席を間違いなく販売するための発券システムなど、挙げればキリのないほどのシステムの集合によって支えられているのです。

そして、日本はその技術を改良・蓄積し続け、世界最高水準の安全性と正確性を兼ね備えた高速輸送システムを保有しています。
例えば、列車の運行に起因する死亡事故は開業以来ゼロで、また、年間12万本が走る東海道新幹線の平均遅延はわずか36秒(大雨などの災害を含む)です。
時速300キロを超える高速鉄道を秒単位で管理しているのは、日本の新幹線だけだと言われています。


■輸出産業の新しい形

日本はこの「新幹線」というインフラシステムを世界に輸出しようとしています。
これは、日本の輸出の新しい形であり、将来はこのような「技術」や「システム」を輸出することが、日本の輸出の主流になっていくのではないかと思います。

戦後日本は、安価で勤勉な労働力を活用し、安くて品質の高い工業製品を世界中に輸出し、「MADE IN JAPAN」として世界に席巻し、成長しました。
その後、日本の賃金が上昇し、製品の価格競争力が薄れるようになると、賃金の安い新興国に工場を造り、日本の技術で生産した商品を世界に輸出するようになりました。
しかし、日本が得意としてきたテレビやパソコンなどの組立型の産業は、技術や部品の汎用化によって、新興国の企業に急速に追いつかれ、多くの企業が事業からの撤退を行っています。

そこで活路を見いだしているのがインフラ輸出なのです。
新興国は人口拡大や都市化によって、上下水道やエネルギー、交通などのインフラ整備を進めようとしています。
インフラは整備すれば終わりではなく、それを今後オペレーションし続けなくてはいけません。
しかし新興国はそのようなノウハウを持っていないため、日本はインフラを設計の段階からオペレーション、メンテナンスに至るまでをセットにして「システム」として輸出することにより、その課題を一気に解決しようとしているのです。
そのような取り組みは先進国や、中国・韓国などでも行われており、世界の新興国で各国が激しい受注合戦を繰り広げています。
その中の一つが新幹線です。

路線や車両などの設備を現地企業と共に造り、その上で運営技術やノウハウを現地のオペレーターに移植し、最終的には現地のインフラとして運行されるという、息の長い関係を築くことで、
日本の建築や土木、各種メーカー、システム開発会社、JR各社など様々な産業に波及効果を及ぼします。
このようなハードウェア単体を「完成品」として輸出するのではなく、システムとしてのインフラを輸出することは、日本の今後の成長戦略にとって欠かすことのできないものとなるでしょう。


■世界初のジャンルとしてのアイドル

話をコンテンツに戻すと、一つの映画や音楽などの「完成品」としてのコンテンツは、見たり聞いたりして消費されてしまうと、その価値は薄れてしまいます。
しかし、素人の少女のオーディションから始まり、劇場公演や握手会、選抜総選挙などを経て成長し、メンバーも続々と増えていくという、
ファンが関与しながら成長過程を楽しむアイドルというコンテンツは、長期間にわたりブーム、あるいは文化を形成できる可能性を持っています。
それの運営ノウハウを持ち、成功しているのがAKB48です。

「恋するフォーチュンクッキー」を様々な人たちが踊る動画が投稿され、その中にはロンドンやニューヨークのファンが投稿したものも含まれており、
この、アイドルという、今までにないジャンルのフォーマットが世界で受け入れられる素地はできつつあると思われます。
また、インターネットの普及により、世界中でテレビの持つ影響力が低下し、一方で歌手がCDセールスよりもライブの動員に力を入れている中、
劇場公演主体のAKB48のフォーマットは今後世界のコンテンツ産業から注目を集め、世界中に48グループが広がっていく可能性があります。


■SNH48が弾圧されるとき

私はSNH48の選抜総選挙の映像を見たときに、SNH48の人気が今後高まっていけば、
中国当局によって活動が取り締まられてしまうのではないかとの危惧を感じました。
それは、政治体制においては社会主義をとっている中国において、アイドルの活動であるにせよ、投票行動によって民意が反映されるといういわば「民主主義」が行われているからです。
おそらく今回SNH48ファンは、中国で「民主主義」を実現させた先駆者となるでしょう。
SNH48の選抜総選挙が繰り返されることによって、民主主義に触れた人たちが増え、その目が政治にも向けられるようになれば、体制を揺るがすことにもなりかねないのです。

私はそのような悲劇が起こるくらい、この素敵なAKB48のフォーマットが世界中に広まることを期待しています。

先日、AKB48による選抜総選挙が行われました。
結果はAKB48の渡辺麻友さんが第1位となり、次回のシングルのセンターをつとめることとなりました。


私は48グループのファンになってから、毎回投票しており、
今回はSKE48の松井珠理奈さん、古川愛李さん、松村香織さん、そして大場美奈さんに投票しました。
いわゆるSKE48の「箱推し」という投票行動なのかもしれません。


名古屋とは縁のない私ですが、AKB48の「大声ダイヤモンド」という曲でセンターとなった松井珠理奈さんに惹かれ、
それをきっかけにAKB48とは違う、個性的で躍動感のあるSKE48のパフォーマンスに魅力を感じるようになりました。


そんな松井珠理奈さん。今回の選抜総選挙では第4位にランクインしました。
彼女は順位の発表を受けたコメントで、半ば泣き崩れながら
「悔しいです」
と発言しました。


前回の選抜総選挙と比べ、得票数も順位も上げたにも関わらず、このようなコメントとなったのは、
彼女が1位を目指していたからにほかならず、彼女もファンも同じ気持ちだったと思います。


この状況に代表されるように、SKE48は今回の選抜総選挙でも多くのメンバーをランクインさせ、
48グループの中では「勝ち組」と称されていることもありますが、
選挙に強いと言われるSKEのファンの中には、逆風の中で苦戦したとの空気が漂っています。


それは、名古屋を本拠地として活動するSKE48が抱える構造的問題があるものと私は考えます。


ここからは視点を広げて、SKE48が抱える問題を通じて、
地方発の文化の課題と可能性について考えてみたいと思います。



■地方は独自のコンテンツを発信する能力が小さい


名古屋をはじめとした中京圏は、日本の都市圏の中では東京、大阪に次ぐ第3位の人口規模を持っています。
その規模を背景とした地域に根ざした独自の文化も持っています。

しかし、テレビ番組のようなメディアの発信力という点では上位2都市圏に大きく水をあけられているのが現状です。


それは、東京や大阪との距離や、中京圏の地域的広がりの狭さに起因するものと思われます。

現在、全国ネットで放送されるテレビ番組の多くは、キー局である在京メディアおよび準キー局である在阪メディアが制作しています。
また、全国区で活躍するタレントの多くは東京や大阪の事務所に所属しています。
もちろん、地方局でも独自の番組を制作していますが、もちろん全国ネットではなく、
制作費等の問題もあり、多くがテレビ局のアナウンサーが進行する、長くても30分程度の情報番組です。
これは中京圏でも例外ではなく、多くが東京および大阪発の番組が放送され、
その合間に地域向けの番組が流れています。


また、中京圏とは、愛知・岐阜・三重の3県と、地域的な広がりが狭いため、
東北地方や九州地方のような、人口としてはさほど多くはなくても、地域レベルで結びつきが強く、
広域での情報共有が可能な地域と比べると、ローカル番組の必要性が薄くなっています。

結果として、中京圏では他の地域に向けた番組がほとんどなく、
地域独自のコンテンツも限られた時間でしか放送されない状況にあります。


さらに近年ではテレビの影響力の低下、それに伴うスポンサーの減少により、
安価に制作でき、視聴率を取る実績のあるタレントを起用した番組が求められる傾向が顕著であり、
経験値の少ない若手タレントの活躍の場が少なくなっています。


そのため、SKE48は中京圏内のアイドルとしてはトップに立っていますが、
それ以外の地域のファンの獲得には苦戦しています。
また、48グループ初の姉妹グループとして誕生したため、メンバーの数がAKB48に次いで多いにも関わらず、
露出できるメディアの数が少ないため、劇場公演以外の仕事の数が少なく、
それが遠因となって主力メンバーの大量卒業を招いてしまったと考えられます。



■キャズムを超えるツールとしてのメディア


もちろん48グループは結成当初から、テレビをはじめとする既存メディアとは距離を置いた、
「会いに行ける」劇場公演主体のアイドルとして活動し、握手会やネットを多用しながらファンを獲得してきたため、
メディアへの露出が少なくても、活動の存続に関わるような事態にはならないでしょう。


しかし、熱狂的な固定ファンを獲得した上で、さらにその裾野を広げるためには、
劇場を知らない人たちにも、グループやメンバーを広く知らしめるツールが必要になってきます。
それこそがテレビをはじめとした既存メディアなのです。


本店であるAKB48も熱狂的な固定ファンの動きを見たメディアが徐々に扱い始め、
活動内容や個々のメンバーの個性を多くの人に伝播し、「秋葉原のアイドル」から「国民的アイドル」へと変化させていきました。


これをビジネスに置き換えるならば「キャズムを超えた」と言うことができるでしょう。
キャズムとは、製品やサービスが初期市場からメインストリーム市場へ移行する際に立ちはだかる大きな溝のことで、
これを超えることで一気に大衆化するタイミングのことです。


AKB48にとってキャズムを超えた瞬間は、「RIVER」というシングルが発売された時ではないかと私は思います。
「RIVER」は、それ以前で最大の売上枚数(約16.8万枚)であった「涙サプライズ!」を大きく超える売上(約40万枚)を記録し、
これをきっかけに売上を伸ばし、ミリオンセラー連発の時期へと移行しました。
これは、熱狂的な固定ファンを大きく超える数の人々が注目し、CDを買った結果と言えるでしょう。


「RIVER」の歌詞の通り、この曲によってメンバーはキャズムという、目の前の深く大きく横たわる川を渡り切り、
国民的アイドルへと変貌していきました。


SKE48も「パレオはエメラルド」のあたりからキャズムを超えたかに見えたのですが、
それ以降思ったほど売上枚数は伸びず、現在では停滞感さえ漂っています。
それは中京圏内のファン層の獲得の限界に達したという見方ができます。



■名古屋の産業構造の影響


中京圏の産業構造の特徴として、「製造業主体」「大企業と中小企業の二極分化」というものが挙げられます。
中京圏内には多数の日本を代表する企業が集積しています。
トヨタ自動車、アイシン精機、デンソー、日本ガイシなどその多くが製造業です。
また、製造業の特徴としてピラミッド型で裾野が広く、周辺に中小企業が数多く存在しています。


この、「製造業主体」「大企業と中小企業の二極分化」という中京圏の産業構造が、
名古屋の文化に影響を与えていることにも注目したいと思います。


先ほど挙げた企業の中で、中京圏の消費者にとって直接的に影響があるのは、トヨタ自動車くらいでしょう。
そのトヨタ自動車にとっても、中京圏は本社や生産拠点がある重要な地域ではあるものの、
自動車販売においては、世界中の販売拠点の1つに過ぎません。
そのため中京圏に特化してマーケティング活動を行う必要がなく、
したがって、中京圏のためのCMを制作したり、スポンサーとなって番組を放送するということは重要性が低いのです。


また、その他の製造業はそもそもコンシューマー向けの製品を製造していないため、
企業イメージの向上や地域貢献活動以外での広告出稿の必要性がありません。


その一例として、昨年AKB48に「チーム8」というトヨタ自動車がスポンサーとなって作られたチームが誕生しました。
チーム8はオーディションで全国各都道府県から一人ずつメンバーを選び、
「会いに行くアイドル」として全国で公演を行うチームです。
この狙いは、トヨタ自動車がクルマ離れを防ぐための、全国の若年層に対するマーケティング活動の一環だと言えるでしょう。
中京圏にあるトヨタ自動車であれば、地元のSKE48を起用するという選択肢も考えられたはずですが、
そのような手法は取りませんでした。


このように、全国あるいは世界規模でマーケティングを行う必要がある産業が集積する中京圏では、
マーケティングにおいて地元密着への意識は少なく、結果として中京圏の文化の育成の中心にはつながっていないのです。



■指原莉乃の奇策


今回の選抜総選挙で注目されたのは博多を拠点とするHKT48の大躍進でした。
48グループ最後発のグループにも関わらず、先輩格のNMB48よりも多くのメンバーをランキングに送り込み、
その象徴とも言える指原莉乃さんは(私としては第1位でないのが残念ではあるものの)第2位となりました。


先ほどから触れている地域特性で言えば、HKT48の地元福岡は、48グループの中で最も人口が少ない地域です。
さらに既存のローカルアイドルも多数活躍する、アイドル激戦地とも言える地域です。
それにも関わらず、最後発で、地盤も弱いHKT48が前述のような結果となったのは、
劇場公演主体の48グループとしては異例の、「浅く広く」ファンを獲得する戦略を取ったからだと思われます。


AKB48からHKT48へ移籍し、以降グループをプロデューサー的視点から牽引してきた指原莉乃さんが発した言葉に、
「HKT48を九州一のアイドル、そして日本一のアイドルにする」
というものがあります。


劇場公演を定期的に見るファンを徐々に増やし、握手会等に参加する熱狂的な固定ファンの支持を受けた上で、
次にメディアへの露出によってファン層を拡大していくというのが、AKB48からNMB48までの戦略であったと思います。
しかし、地域的に不利であることを見越したHKT48は、今までの戦略を踏襲せず、
劇場公演と平行して他の活動の領域を広げ、地盤以外の地域のファンを獲得しようとしたのです。


実際にHKT48は九州ツアーを大成功させ、活動する地域を広げるとともに、
指原莉乃さんの全国的な人気を利用して、HKT48のメンバーを全国ネットのテレビ番組へいち早く出演させることで、
博多の劇場からはるか遠くにいるファンの獲得に成功しました。
一気に全国的な知名度を上げることに成功したHKT48は、今後さらに活動の幅を広げていくことでしょう。



■地方発の文化の、未来とは?


過去の選抜総選挙でSKE48ファンは数多くのメンバーをランクインさせ、「選挙に強いSKE」と呼ばれるようになりました。
それはSKE48にとっては、選抜総選挙においてでしか全国的なメディアへの露出のチャンスがないという、
現状に対する危機感からの行動とも言えるでしょう。


しかし、HKT48が今までとは違う手法で活動を行い、48グループの勢力図を一気に塗り替えたことで、
SKE48にとっても今後の活動や運営に一石を投じるきっかけが生まれたのではないでしょうか。


奇しくも今回の選抜総選挙で、第5位となった松井玲奈さんは
「SKE48は今年、全国ツアーをやります」
と宣言しました。
また、終身名誉研究生として既存メディアへの露出はおろか、劇場公演の活動さえ少ない松村香織さんが、
ぐぐたす(グーグルプラス)で独自の映像配信を行い、徐々に注目を集め、アンダーガールズのセンターとなりました。


おそらく地方を拠点とするアイドルの頂点(言い換えると「限界に近い領域」)に達したSKE48が、今後どのように活動し、
その幅を広げ、個々人が全国的な知名度を上げていくかは、全国にいる地方アイドルの未来の方向性を左右するものだと思います。


人口も資本も集中する東京には、多様な文化を生み、育てることができる環境があります。
しかし、地方にはそれらが足りません。
その限られた環境の中、地域文化の担い手として活動していくためには、地域に根ざしつつも地域外にも活動の幅を広げ、
それを支援する人々を増やしていくことが求められるでしょう。


もちろん、「地域の文化は地域で完結していればよい」であったり、
「商業的価値で文化を計るな」との声もあるでしょう。


しかし一方で、地域の文化を積極的に外部へ伝えることで、その文化の価値を高めることができ、
また文化が商業的に成功することによって、その周辺産業、ひいては地域経済を活性化させることができるとも考えられます。


地方出身の私にとって、地元の文化に光が当たり、有名になることは誇らしいことです。
48グループはそのような夢を与えてくれる、素敵なアイドルグループだと思います。

台湾のことばかり書いているので、閑話休題。



赤プリもどんどん解体されて、見附から見える風景もどんどん変わっていってるのかな?


赤坂見附と永田町は隣り合わせで、メトロでは通路でつながっていて、一つの駅になっています。


赤坂見附に通っていた頃、朝、晴れていて時間があれば永田町の駅から外に出て、

お散歩気分で歩いていました。

その道は緑がいっぱいで、季節の移ろいを感じられる、私の好きな道でした。


しかし夜になると人通りも少なく、車の流れだけが光る、ひっそりとした道に変わるので、

赤坂見附の駅を使って帰っていました。


そんな夜の永田町へ向かう坂を、何度か通ったことがあります。

それはどうしても一人になりたいとき。


困ったことやつらかったときなど、すぐにでも一人になりたいとき、

赤坂の夜は賑やかすぎるのです。


そんなときは見附の駅を使わずに、歩いてぼんやりと静かな永田町へと向かって歩くのでした。


その坂の途中には歩道橋があるのですが、夜はほとんど人通りがありません。


本当に本当につらかったとき、その歩道橋で大泣きしたことがあります。

誰一人通らない歩道橋にのぼり、気がすむまで泣いて、降りる。

2回くらいやりました。


涙で滲む夜の首都高やビルの明かりが何となく思い出されます。


そのときは、自分だけがつらいと思っていたのですが、

今、考えれば周りはもっとつらかったのかもしれないなと思います。


私が子どもだったんだよね。



今はもう使わないその駅を通るたび、そんなことを思います。

まさかの台北7日目。


ホテルで朝食をいただき、身支度をしました。


「寝るだけなので、立派じゃなくてもいいので空いているホテルを紹介して下さい」

と前日にお願いしたホテルだったので、どんなホテルかと思っていたのですが、

多少古い感じがしたものの、比較的リーズナブルなのに快適なホテルでした。


この日のフライトは前日の桃園空港ではなく、松山空港発でした。

日本で言えば、桃園空港は成田空港で、松山空港は羽田空港みたいな感じで、

松山空港は市内に近く、捷運で行くことができます。


前日のアクシデントがあったので、この日は少し早めに捷運で空港へ向かいました。


無事に空港へ到着し、チェックインを済ませて出国審査を抜けました。


この松山空港、前回に利用したときには東京便が就航したばかりで、

国際線のエリアも狭く、古びたレストランと小さな雑貨屋さんくらいしかなかったのですが、

今回行ってみると、きれいな免税店などができており、立派になっていました。


しばらくお店を見て回ったり、お茶を飲んだりしながら搭乗を待ち、

順調に飛行機に乗り込むことができました。


そして台北を飛び立ち、4時間くらいで羽田に到着しました。

松山空港発着のフライトは全部羽田を使うので、都心へのアクセスには便利です。


ようやく戻ってきた東京。


これで最終日は終了です。



最後にちょっとトラブルがあったけど、今回も台北は楽しかったです。


ほぼ毎年行っている台湾ですが、まだまだ行ってみたいところはたくさんあります。

これだけ気軽に行けて、安全で快適に過ごせる台湾は、私の中では国内旅行に近い感じです。


また行きたいなぁ~。

台北6日目。

この日は最終日(の予定だった)ので、ホテルの部屋の片付けと荷造りをして、チェックアウトしなければいけませんでした。

そのため、ホテルの中で朝ごはんを食べました。

ホテルの中のカフェのおばちゃんも顔を覚えてくれて、日本語で「おはよう」と声をかけてくれるようになりました。


チェックアウトをして、フロントに荷物を預け、タクシーで最後のスタジオに向かいました。


この日のスタジオは何度も行ったことがあり、安心して写真を撮ってもらいました。


そして少し遅めのランチを、スタジオ近くのカフェ「台北牛乳大王」でいただきました。

このカフェは台北に何店もあるチェーン店で、「パパイヤ牛乳」が人気のお店です。

もちろんパパイヤ牛乳とご飯を注文しました。


ランチをいただき、帰りは「蘆洲線」という捷運でホテルに向かいました。

この捷運は開通したばかりで、初めて乗りました。

台北では訪れるたびに捷運が開通していて、どんどん移動が便利になっています。


そしてホテルで荷物を受け取って、近くのバス停からリムジンバスで桃園空港へ向かいました。


バスは順調に空港へ向かって走っていたのですが…。


空港へ向かう高速道路の途中で、突然バスが止まりました。

前に目をやると、バスの前には車がびっしりと詰まっていました。

渋滞かな?と思ってしばらく待っていたのですが、一向にバスは動き出しません。


さらにしばらくすると、運転手の人が立ち上がり、乗っているお客さんに向かって何やら話し始めました。

もちろん華語なので私には分からず、ぽかんとしていました。

ざわつく車内で何ごとかと、隣に座っていた方に英語とジェスチャーで聞いてみたところ、

英語は通じず、筆談で教えてくれました。

内容は「交通事故があって、バスはしばらく動けない」というものでした。


多少は時間に余裕があったのですが、フライトに間に合わないかもしれないので、

航空会社に電話したところ、とりあえず空港へ行って下さいとのことでした。

それからバスは2時間ほど遅れて空港に到着。

この時点で飛行機は飛び立ってしまっていました。


恐る恐る空港のカウンターへ行き、事情を話したところ、

最初はもう一度チケットを買い直して下さいと言われてしまいました。

困ってしまい、別な人と話をさせて下さいとお願いすると、

奥からたぶん責任者の方が出てきて、どこかと電話をしながら私の話を聞いてくれました。


すると、明日の午前便になら振り替えてくれることになりました。

どうやら直前に航空会社へ電話をしたのが良かったみたいです。


ほっとしたところで、その日に泊まる場所を確保しなければならないことに気づきました。

もともと東京までの最終便を予約していたので、時間はすでに夜近くになっていて、

とりあえず今まで泊まっていたホテルへ電話すると、満室とのこと。

途方にくれながら空港をうろうろしていると、無料でインターネットができるコーナーを見つけ、

受付を済ませ、パソコンを使って市内の空いているホテルを探すことにしました。

しかし、なかなか空いているホテルが見つからず、時間だけがたってしまい、

受付の男性が近づいてきて、閉店の時間だと言われました。


すごすごとそのコーナーを出ようとすると、その男性が、

「ホテルを探してるんですか?」と英語で話しかけてくれました。

私はそうですと答え、華語が話せないのでこれからどうしようかと困っていますと話したところ、

空港にホテルを紹介してくれるコーナーがあることを教えてくれ、

さらに、言葉で困ったら、ここに電話して下さいと、自分の名前と電話番号のメモを渡してくれました。

なんて優しい台湾の方!!

お礼を言って、教えてくれたコーナーへ行くと、すんなりと空いているホテルを紹介してくれました。


そして再びリムジンバスで市内へ戻り、ホテルにチェックインしました。

夕ごはんはホテル近くの食堂でいただきました。


これでひやひやの6日目は終わりです。

ずっと更新していなかったレポート。忘れそうなので続きを書きます。


台北5日目。

そろそろホテルの朝ごはんも飽きてきたので、外に出て食べることにしました。
台湾では朝ごはんを外で済ませる人が多く、あちらこちらにお店があります。


台湾の代表的な朝ごはんは「豆漿」という豆乳を甘くしたようなドリンクと、
何かメインとなる食べ物を組み合わせて食べるのが一般的です。


私は豆漿と「飯團」という、いろいろな具が入ったおにぎりと大根餅を注文しました。
朝のラッシュ時間と重なってしまったために、お店はすごく混んでいましたが、
台北でしか食べられない朝ごはんを食べられて大満足でした。


そしてこの日もスタジオへ向かいました。
この日は日本語と英語を話せるスタイリストさんだったので、いろいろな話で盛り上がりました。
私が台湾の「F.I.R」というグループが好きだといったら「どうして知っているの」とビックリされました。
私がもともと台湾びいきなのと、
震災の時に台湾の有名歌手が集まって歌ったチャリティーソングを作ったのが彼らだったからと話したら喜んでくれました。


その日の昼ごはんはエビチャーハンとタピオカジュースを買ってきてもらいました。


スタジオを後にして、その日向かったのは市政府エリアです。
ここは高層ビルやショッピングモールが林立する、台北で一番新しいエリアです。

ここには三越や阪急百貨店、ユニクロなど日本のお店もたくさん出店しています。

この中で私が一番好きなのが「誠品信義店」という、アジアで一番大きな本屋さんです。
ここはとてつもなく本が売られているだけでなく、それに関連した服や雑貨なども売っていて、フードコートもあります。
もちろん本は読めませんが、各フロアを見て回るだけでも楽しい本屋さんです。


このエリアのシンボルとなっているのが「台北101」という超高層ビルです。
このビルはドバイにビルが建つまでは世界で一番高いビルでした。


薄暗くなってきたので夜景を見ようとここの展望台へ向かいました。
この日は晴れていたので、台北の夜景を存分に見ることができました。
(以前くもっている日に行ったら、展望台が雲の上にあるので、何も見えませんでした)


男の娘日記-台北101からの夜景

そしてこのエリアで夕ごはんを食べることにしました。
ショッピングモールにあるレストランで小籠包を頂きました。


男の娘日記-小籠包

そしてタクシーで饒河街夜市という夜市へ向かいました。
ここは長い一本道の両側にお店が並んでいるので、往復すれば全部のお店が見られます。

男の娘日記-饒河街夜市

ここではマンゴーと練乳をかけたかき氷を食べたり、値頃な茶器を買ったりしました。
本当は一軒一軒お店を見たいのですが、いかんせん通りが長いので、興味のあるお店だけを見て回りました。


男の娘日記-かき氷

これで台北5日は終わりです。

5泊6日だからといって、ゆっくりしていたら、

もうあと2日しかなくなっているのに気づき、ちょっと焦っています。


そのためいろいろなところをまわって、買い物などをしました。


詳しくレポートしたいのですが、くたくたなので、

またあとでレポートします。


おやすみなさいZzz…(*´?`*)。o○

台北4日目。折り返し地点です。


今日もしっかり朝ごはんを食べてから、タクシーでスタジオへ向かいました。

そして、スタジオで写真をとってももらい、スタジオを後にしました。

撮影が終わりに近づいた頃、アシスタントの方から「シャンプー行く?」と聞かれました。

いわゆる「台湾式シャンプー」です。


今まで気になってはいたのですが、なかなか行くチャンスがなかったので、行くことにしました。

そして案内してくれたのが、カメラマンの方。

しかもバイクで行くというのです。

私は彼のバイクの後ろに乗り、台北の道路を爆走するという、

めったにない経験をしました。


台湾式シャンプーとは、椅子に座ったままでシャンプーをするというものです。

最初は?って思っていたのですが、担当のお姉さんの洗う力がだんだんと強くなり、

最後は頭に指圧されているんじゃないかというような力でシャンプーをしてもらい、

とっても気持ちよかったです。


さて、スタジオで撮影すると、どうしても14時くらいになって、お昼を食べるタイミングがなくなってしまいます。

そんなときは、現地のカフェに入ります。

台北のカフェは、食事が充実しているところが多いので助かります。


そして、夕方になってきたので、今日も夜市へ出かけました。

今日の夜市は「師大夜市」といって、文字通り台湾師範大学の前にある夜市です。

この夜市は初めて行くので、どんなところかなぁと思っていたのですが、

大学の前にあるだけあって、若い人が多く、ファッションのお店が多いのが特徴です。


男の娘日記-師大夜市

そんな中にもやっぱり屋台があり、多くの人が食事をしていました。

私もおなかが空いてきたので、屋台でごはんを食べました。

今日の料理は台湾風のカレーでした。

辛いんだけど、薬膳チックな味がする、意外にもおいしい料理でした。


男の娘日記-屋台


基本的に屋台でごはんを食べるときには、日本のように水などは出てくるわけがなく、

自分で調達するのが常識です。

しかし、カレーがあまりに辛かったので、食後に飲み物と甘いものが欲しくなりました。


そしてうろうろしていると、若いカップルが並んでいるクレープ屋さんがありました。

そこではクレープと飲み物が売られていたので、早速注文してみました。


そしたらびっくり!クレープの大きさが日本の2~3倍くらいあるのです。


男の娘日記-クレープ


ちなみに私の定期入れとの比較です。


やっとの思いで完食し、夜市を後にしました。


さぁ、明日は何をしようかなぁー。

ノープランとは言ったものの、さすがに6日間何もしないのももったいないので、

一応、頭の中では考えて、手配していたことがありました。

それは写真撮影です。


今日はゆっくりと朝ごはんを食べて、タクシーで移動し、

お昼前にスタジオに入り、写真を撮ってもらいました。


写真を撮影するというのは、結構な体力がいる作業なので、

途中、アシスタントの方にお昼ごはんを買ってきてもらいながら、撮影しました。


撮影が終わるとすでに18時をまわっていました。

しかし、今日は雨が降っていなかったので、ホテル近くで食事をとったあと、

夜市に行くことにしました。


本当は夜市で食事をしても良かったのですが、

明日からも長丁場なので、安心して食べられるお店で食べることにしました。


そこは「大戸屋」。台北にもあるんです。

しかもメニューはほとんど同じ。

現地の方が来ると華語で接客して、日本人が来ると日本語で接客してくれます。

唯一違うと思ったのが、ビールの銘柄くらいなものです。


男の娘日記-台湾ビール

大戸屋で軽くごはんを食べた後、捷運で士林夜市という、台北最大の夜市へ向かいました。


着いてすぐに異変に気づきました。

においがしない。

台湾料理には、「臭豆腐」」という文字通りにおいがきつい料理があり、

士林夜市ではその屋台がたくさんあって、それがさまざまな料理のにおいと入り交じって、

それが特徴だったのです。


しかし今日はそれがない。

しかもその屋台がひしめきあっていた場所が更地になっていたのです。

どうしたことか士林夜市…。


そこでみんなが歩いていく方向に沿って進んでいくと、

コンクリート製の立派な市場ができあがっていました。

1階は衣類や雑貨の露天、地下が食べ物の屋台という構造になっていました。


以前の雑多な士林を知っている私としては、少し寂しい気がしました。


士林にはもう一つの顔があって、若い人向けの服や雑貨などを売る路地があります。

そこは以前と変わらず、人で溢れかえっていました。

だいたいの路地はわかっているので、その辺を散策したり、

買い物をしたり、かき氷を食べたりしました。


男の娘日記-士林夜市

台北のかき氷は日本のものと違い、氷の食感がなく、

さらさらとした雪のような氷の上に、果物などをトッピングしていきます。

私はこれが大好きで、露天で買った生のフルーツ盛り合わせと、このかき氷を食べました。


男の娘日記-かき氷

そのうちに23時を過ぎ、そろそろ帰ろうと思ったのですが、

通りはまだまだ人であふれていました。

それだけではなく、道のど真ん中に机を並べて、何かを売る人まで現れはじめたのです。

恐るべし台北パワー。


そして24時くらいにホテルに帰ってきました。


さぁー、明日は何をしようかな?