マドモアゼル愛先生の月の欠損理論。
少し前から、またわたくしの中で再燃中。
 
そこで分かったことがあって
分かってめっちゃへこんで
その後、自分ありがとうとなったはなし。
 
過去のわたしは
いま現在のわたしからみて
猛烈に月牡羊の性質を発揮していたのだなぁとつくづく感じた。
 
月牡羊って、牡羊座の"I am"が、"ない"から"我がない"のよ。
 
我がないから、めちゃくちゃ個性が強い人に憧れて。(いま思うと)
学生のころは、個性的で、ある意味我が強い同級生に惹かれて仲良くなって、
仲良くなるだけならいいのだけれど
そのひとを自分の中に入れちゃうの。
無意識に、そのひとみたいになろうとするの。
特に言葉使いとか振る舞いが
めっちゃ似るらしくて
自分では自覚なくて
ひとから指摘されて分かったのだけど。
 
でも、そんなの辛いじゃない?
他人になろうとするなんて。
 
だから、時期が来ると、
侵食された氣分になって
自分で他人を中に入れたのに
うわ〜ってなって
関係が終わるみたいな。
 
そんなことを繰り返していた。
なんだったら10年くらい前までやってたよ滝汗
 
で、何にへこんだかって
個性的で、我がつよいって
まんま母親なのよーチーン
 
母親との関係性を
そのまま友人関係でやっていたの泣
(なんか泣けてきた)
 
これって太陽星座も関係があるのかも。
(一般的な月牡羊は牡羊がないのに牡羊らしく振る舞って、
墓穴を掘るを繰り返すらしい。
わたしはもともと自分に牡羊的要素を感じてなくて、
でもそのエネルギーを渇望していたように思う)
 
わたし、太陽蟹座なんだけど
蟹座ってよく、家族を大切にする星って聞くじゃない?
おそらくそれは、血の繋がった人ってことではなくて
自分の甲羅の内側に入っていいよって許した人って、ことだと思うのだけど
その甲羅の内側に入れた人にはトコトン寄り添う人だと思うの。蟹座って。
 
で、幼少期のわたしからしてみたら
母親って、もうそもそも生まれたときから甲羅内の存在だから
めちゃくちゃ分かってあげようと、寄り添ったと思うのよね。
 
でも子どもが母親に寄り添ったところで
母親自身の思い込みが解消されなければ現実は変わらない。
そんな現実ループ、母親のストーリーに、よく付き合ってあげたわ。わたし。
 
そのころの自分に
よくがんばったねと言ってあげたい。
いや、言ってあげよう。
 
「よくがんばったね飛び出すハート
 
幼少期の親との関係性で
人間関係の築き方が左右されるのだなとつくづく実感。
 
ちなみに自分のために生きようと決めて
来年で10年になります
 
「ありがとう、10年前のわたし」ニコニコ
 
 
 
月の欠損理論が怖いのは
氣がついて止めるまで
ずっとループするところ
 
そしてそれがまるで
本当の望みかのように振る舞うところ。
 
わたしが思うに月の望みは自我の望み。
真我的な望みって、あまり渇望感がないように思う。
 
わたしの場合、アクティブな行動派になりたいとか、
天真爛漫で好奇心旺盛なひとになりたいとか、
 
納得して肚に落とし、止めることで
自分をしあわせへと導くのではと、感じる。