女性の多い環境で育った私ですが、現在勤めているのはDDTプロレスリングというプロレス会社。どちらかといえば男性社会
選手も社員も家族の様な温かさが私にとって大好きなポイントの弊社ですが、最近ではサイバーエージェントの傘下となり、日々成長を重ねる会社で、みんな忙しく働き、病気になってしまっては迷惑で肩身が狭いと思っていました。
ですが、通院を重ねなければいけなく、現実的に黙っているのも難しく。
社長である高木三四郎(現役プロレスラー)や会社の一部の方に打ち明けました。退職を覚悟で。
ですが、皆さんとても親身になってくださり・・・・
特に高木さんに関しては、家族と同じくらい心配してくれました。
「体が一番だから、体の事を優先してからでいいから」と。
普段は、勢いと発想力がすごくて、365日24時間仕事をしているザ・社長といった感じ。
たまに自分が軽く思いついた新たな仕事を選手や社員に丸投げするという恒例行事?が行われますが、実は繊細な感性も持ち合わせた、声が大きくて野生ゴリラの無敵ボスみたいな、私の中では最も尊敬する、父親みたいな存在であり、社長。
世の中がコロナウイルスによって大変な状況になり始めた頃に病気の発覚も重なり、
会社としては、プロレスの興行がどんどんと中止になり大変な状況のなかでも、高木さんは
私が出来る範囲での勤務をしながら、会社に居る事を考えて下さいました。
そういった面で私は本当に恵まれていと思います。
本当に高木さんや、会社の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
高木さんにはもちろん、周りにもほとんど話した事は無いけど、私には幼いころから憧れていたアナウンサーという夢以外にもう一つ漠然とした夢がありました。
(私のレスラー時代をご存じの方は知っているお話しですが、学生時代アナウンサーを志し、
ウン十万という大金を払いアナウンススクールに通い、見事にアナウンサー試験は、技術を披露する事もなく、書類審査で全て落ちました。)
これは本当に今でもただの憧れでしかないし、年を重ねるごとにその夢を口にする事すら恥ずかしくて、心に留めていた夢。小さくていいから自分の会社を持つという夢。
アナウンサーの次は起業かよと突っ込みの声が聞こえてきますが、まぁいいです
病気をして気付いた事の一つで、もっと自由に、もっと自分を大切に生きようと
頑張りや、我慢も社会人として大切なのはもちろんですが、やりたい事は何でも声に出してやってみたら良いじゃないと失敗したらやり直せばいいし、周りに迷惑かけない程度にもっと自由でいいんじゃない?と・・・・
大人になるにつれて、「やりたいこと」に対して自分で勝手に評価をして、年齢のせい、性別のせい、キャリアのせい、環境のせい、誰かのせい。にして色々な事を避けてきたことに、ここ最近気付いたのです。
プロレスを始めたころは、自分の身体能力の低さとか、プロレスを始めるには高すぎる年齢とか、分かってはいたけど、だからこそ頑張ろう、どんなことも耐えようと思えて頑張った3年半でした
ですが、引退してからの私は何か抜け殻の様に淡々をした日々を過ごしていました。
そんな時に分かった病気だからこそゆっくり自分の気持ちと向き合う事が出来ました
恥ずかしい自分の大きすぎる夢を語りましたが、プロレスを始める時だって、私の運動神経や、今までの経歴を知ってる人はあきれた感じでした。でもきちんとやり遂げた
これからの自分の活力に繋げる為に色々声に出すことは大切ですよね
手術が終わって、今はまだ経過観察中なので体が優先ですが、今はエネルギーを溜めつつ、
新たな夢を実現させるために色々考えなければ・・・・