いままで、

自分が変わらないと相手も変わらない

というのは


相手のために

自分を捨てて

相手の望むことをやってあげる

相手に尽くしてあげる

そういう器の大きな人間に

自分が変わることだと思っていた


そうではない

と思うようになった

自分が強くなること

人格を形成すること

人として成熟すること


これも

自分が変わること

だと

気がついた


別に、

相手の望みを叶えるだけが、

相手に尽くすだけが、

相手を思いやる事ではないし


そこがおかしいと思っていた

成人である相手の

(未熟な子どもは違うという意味)

「自分さえ良ければ良い」

「自分の希望に沿う形にして当たり前」

そんな要求を叶えることが

本当に思い遣りなのか?

本当に器が大きい人がやることなのか?

相手に都合良く搾取され続ける

それが人間関係として望ましいものなのか?

ずっと疑問だった


自分が変わる とは、

相手の願いを全て叶えてあげる人間になることではなくて

相手と良い人間関係を築けるほど

自分が人格を高める

そういう自分に変わる

そういうことで良いのだ


相手の言いなりになること

が、自分が変わることではなかったんだ