窓越しに見た青空

窓越しに見た青空

されど空の高さを知る

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最後に更新したのはちょうど2年前。

ずいぶん長いことご無沙汰しておりました。

 

なぜ、更新しなくなったかというと、最大の理由は、記事を読めば私がどこの誰か容易に分かるようになってしまい、思ったことや書きたいこと、内密にしておきたいことなどをさらけ出せなくなってしまったためです。

 

あとは、Twitterを始めたのも大きい。こっちは(色々練らなければいけないけれど)短文で良く、何か投稿することの心理的抵抗が低いのです。

 

ブログ文化がかなり衰退してきて、ブログというメディアに魅力を感じなくなってしまったというのもあります。

 

また、仕事に関することはネット上に書くことはできず、日々、更新するネタがなくなってしまったということも大きな理由です。

 

いずれにしても私は元気です。

大変なこと、苦労することもありますが何とかやっています。

楽しいことだってあります。日々の中に小さな幸せを見つけながら生きています。

 

 

いつ更新するか分からない状態ままダラダラするのも良くないと思いました。

なので、ここで一つ区切りをつけたいと思います。

 

このブログの更新を休止します。

 

でも、閉鎖はしません。

ここに書いたことはこれまでの自分の一部であり、自分がこの世に存在した証でもあるからです。

なんせ、大学3年から11年も続けたんですもの。

 

アクセス履歴を見ると少しは役に立ちそうなことも書いていたようなので、今後もそれがどなたかの助けになれば僥倖です。

 

さて、今年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、在宅勤務が主体になりました。

このブログのタイトル通り、「窓越しに見た青空」を眺める日々が続いていました。

家の中にいても、外にいても、みんな同じ空の下でつながっていることを実感する良い機会になった1年でもありました。

 

そう、みんな同じ空の下にいます。

何かの縁で、またいつか会うこともあるでしょう。

またどこかでお会いした時には、よろしくお願いいたします。

 

というわけで、また会える日まで。

 

じゃあね!

気づけば年の瀬。

平成最後の大晦日とお正月がやってこようとしている。

 

夏、人脈と情報戦を駆使してポスドク研究員の職を手に入れた。

 

春から夏までは非常勤講師+無給研究員という極めて不安定な立場だった。立場、収入、精神、すべてが不安定だった。

 

「これ以上、続けて何になるのだろうか」

「続けたとして、安定したポストを手に入れるのはいつになるのか」

「もうこの道は諦めて堅気の世界に戻るべきなのではないか」

「だとしたら、いったい自分にはどんな仕事ができるのだろうか」

 

そんなことを毎日考えていた。

 

非常勤講師は前期までだったので、そのあとは何とかして収入を得ないと生活費を賄うどころか年金もろくに払えない。

 

「塾講師でもするか……」と考えていた矢先、今の仕事にありついた。

 

あのまま、何の職にもありつけず、無職になっていた可能性もあるのだと思うと、心底ぞっとする。

 

今の仕事も決して安定した立場ではなく、任期付きだ。

再来年にはまた次の職探しを本格的に始めなければならない。

 

それでも、一つ一つ自分にできることをして日々を過ごしている。

目の前にある自分に課せられたことをこなしていけば、きっと良縁があると信じて過ごしている。

 

きっとそのうち良いことがあると開き直って前を向く力。

 

これは博士課程という極めて不確かで、不安定で、理不尽な世界を生きてきた中で培われた力だ。

 

そういう意味で、進学したことは無意味ではなかったと思っている。

大学2年の時に演習授業のTAをしていた修士の先輩から「はかせ」というあだ名を付けられ、実際に博士になってしまったのが3月。

 

メガネをかけていると小学校とかでは高い確率で「はかせ」というあだ名が付けられることがあると言うが、自分の場合はそんなことはなく、見た目とは別の所で、大学に入ってから「はかせ」というあだ名が付けられた。

 

長い長い学生生活が終わり、学校という場所から解放された。しかし、糸が切れた凧のように風に流され、翻弄され、見たこともない大空をさまよう日々が続いている。

 

今時、良い仕事先が見つかるわけでもなく、8月からは無職になる危機が迫っていた。

 

「ここまできて無職か。」「塾講師でもして食いつなぐか。」と覚悟していた矢先、情報戦を駆使し、虎の威を借り、最後は自力で、なんとかひとまずの仕事を手に入れることができた。

 

8月から始まる仕事が自分に合っているものかは分からない。しかし、ここは石にかじりついてでも頑張ってみないと次がない。

 

合っているか合っていないかは、やってみないと分からない。

 

やってもみないうちから、一生懸命頑張ってみないうちから諦めるのは一番やっちゃダメなことだ。

 

長いことかかって、いろんな苦労をして、何度も劣等感にさいなまれて、やっとスタートラインに立てたんだ。

 

今は両手を地面について、屈んで、前を向いて、号砲が聞こえるのを待つばかりだ。

 

号砲が聞こえたら走り出す。ただそれだけのこと。

前に書いた院生室の主さんは、先日の大雪の時も交通が大混乱する中、大学に来たらしい。

 

もはや、なぜそこまでして大学に来たいのか分からない(笑)

 

研究熱心なのは感心なんだけど、雪の時くらい自宅で出来る作業は家ですればいいのにと思う。

 

なぜそこまでして危険を冒すのか……。

 

何があっても大学に来る院生室の主さんは、もはや大学の主なのでは?と思い始めた今日の出来事。

 

きっと、地球最後の日でも大学に来るんじゃないかなぁ。

うちの大学院には各コースの院生室(修士メインで博士の学生も使用)と研究科の博士の学生が専用で使える院生室がある。

 

博士の学生は大体修士と兼用の部屋にいた方が人も情報も集まるので,そちらにいる。

 

そんなわけで,博士の院生室は机やPC,プリンターなどはあるものの物置状態で埃まみれになっている。

 

しかし自分の場合,修士と兼用の院生室の机が修士の学生でいっぱいになってしまったので,数年前に仕方なく博士の院生室に移動した。

 

普段は使われることのない博士の院生室だけあって,使うのは自分ひとり状態がしばらく続いていた。一人の部屋というのは,落ち着くには良いものだとプラスに考えていた。

 

ところが,今年になって急に博士の院生室を使い出した学生がいる。

 

その人は平日は毎日,朝9時から夜の7時くらいまで,院生室に詰めている。文系でもたまにいる毎日登校型の博士院生だ。さながら,院生室の主である。

 

登校型院生はゼミとかコースでは大体頼られていることが多く,研究や勉強に熱心な学生が多い。事実,その人も毎日ずっとPCに向かって作業をしている。

 

その人は自ら話をするタイプではないが,こちらから話せば話もする。

 

自分がいつも博士院生室に行くと必ずいて,空調もその人が調整してくれるので,夏は涼しく,冬は暖かく,人がいるのも良いものだなと思っていた。

 

ところが最近,その学生はゼミやコースの中で浮いているという話を聞いた。なんでも,同じコースの先生や同じゼミの人にも挨拶をあまりしないらしい。

 

つまり,自分のコースの院生室で居場所がなくて,博士院生室に流れてきたようなのだ。

 

ふつう,大学で居場所がなくなったら,大学に来ようとしなくなりそうなものだ。

 

自宅でもできる作業は家でやれるはずだから,その人の行動は少し不思議である。家で作業ができないタイプなら,図書館とか近くのスタバでやるとか。

 

その院生さん,聞くところによると博士からうちの大学に来たらしい。きっと周りとの初期の関係づくりで失敗したのかもしれないなぁ。

 

そんな院生にもコミュニケーション能力が求められるよというお話。