diary 70年代半ばの日本の音楽界を駆け抜けた作詞家 | Love! Music& Love! Life

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☆10月25日☆

この1・2日、体調がイマイチなので、何をする
にしても、少し休みつつ行っていたのですが。

夜、ZAKZAK(夕刊フジのwebサイト)を見て
いると、興味がある記事が載っていました。

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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝
千家和也(作詞家) その勢いはすごすぎた! 
10代から大人の女性まで…心情をズバリ表現
https://www.zakzak.co.jp/article/20221021-M3ZRVQ45LBMR3ACGITRLRUNDP4/

今から50年前、1972年は、日中国交回復
の声明が発表され、沖縄県が本土復帰、読売
巨人軍V8など大きな出来事がいくつもあった。

作詞家の千家和也さんはこの年、奥村チヨの
「終着駅」で日本レコード大賞の作詩賞に
輝いたばかりか、自身が手がけたデビュー
シングル「芽生え」(都倉俊一作曲)で
レコ大で最優秀新人賞に輝いた麻丘めぐみに
花束も手渡している。麻丘は翌73年に
「私の彼は左きき」が大ヒット。新人作詞家
ではすごい勢いでヒットを連発しており、
乗りに乗っていた。

千家さんは大学を中退すると、なかにし礼さん
に師事した。私は73年ごろ、なかにしさんの
パーティーで紹介された。会社の先輩に
千家さんの大学の同級生がいたこともあり、
有楽町のガード下の屋台によく連れていって
もらったものだ。

売れっ子だったが、おごることなく、気さくに
ばか話をし、人の話を静かに聞いてくれる
兄貴のような方だった。

山口百恵からキャンディーズまで当時の
アイドルをまとめてヒットさせている。
さらにはフォーク系の麻生よう子の
「逃避行」は通算27週間も100位内に
ランクインしてロングセラーとなっている。

その勢いはすごすぎた。アイドルだけかと
思いきや、73年には殿様キングスの
「なみだの操」でミリオンセラーの大ヒット
を放った。10代の女の子から大人の女性まで
心情をズバリ表現した歌詞は刺激的だった。

そんな70年代の締めくくりに千家さんは
お礼のゴルフコンペを開催した。テレビや
ラジオ、出版などの各メディアや音楽
関係者らが150人ぐらい集まった大ゴルフ
コンペだった。

優勝賞品はなんとベンツの中古車! 
参加者の目の色が変わった。OBになった
はずのボールがなぜか見つかるなど、あちら
こちらでトラブルが続出。そんなことも
あって次回のコンペの賞品は原付きバイクに
なった。

仕事場は代官山アパートにあり、寅さんも
住んでいたとか。そして「もうすぐ引っ越し
するよ。今度は小説を書くから」というと、
作詞の世界からあっさり身を引き、静岡の
富士宮に転居した。

そして82年、小説「だから言わない
コッチャナイ」でオール読物新人賞を
受賞した。物づくり職人の凝縮された
生きざまを見た気がした。 =おわり

■千家和也(せんけ・かずや) 
1946年―2019年6月13日、
73歳没。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 
株式会社「パイプライン」顧問、
日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年
生まれ。東芝EMI(当時)で制作
ディレクターとして布施明、
五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らの
デビューを仕掛けた。2010年に徳間
ジャパンコミュニケーションズ代表
取締役社長に就任し、Perfume
らを輩出。17年に退職し現職。

(ZAKZAK 2022.10/21 06:30)
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私がローティーン辺りだった、1975年前後
の日本の音楽界で、作詞家として登場した
千家先生。

麻丘めぐみさん『わたしの彼は左きき』や
山口百恵さんの『ひと夏の経験』の女性
アイドルさんの曲から、記事にあった
当時は「ムード歌謡」と言われていた
ジャンルで有名だった殿さまキングスの
『なみだの操』とか、AMラジオでは
毎日のように流れていたことを、今も
記憶しています。

キャンディーズの初期の作品になる
『年下の男の子』もPOPで可愛らしい
感じの曲だったりと、今もその歌詞が
楽曲と一緒に思い出せる作品が多かった
……と、改めてそう感じながら読んで
いた記事でした。